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≪ロン・ノルとカンボジア内戦≫カンボジア国民の4人に1人を粛清虐殺
クーデター後、アメリカは反シアヌークを訴えるビラを巻きロン・ノルを支持した。
親共産主義であったシアヌーク体制下でカンボジア領内に多くの後方基地を設けまた食料の買い付けを行っていた北ベトナムは、1970年3月29日、カンボジア東部に侵攻した。
この侵攻はクメール・ルージュのヌオン・チアからの明確な要求によって行われたとされている。
北ベトナム軍はカンボジア東部を瞬く間に蹂躙し、プノンペンの24km以内に迫った。カンボジア軍を破った後、北ベトナム軍は獲得した地域を
地元の武装勢力へと引き渡していった。一方、クメール・ルージュは北ベトナム軍からは独立して活動し、カンボジア南部および南西部に「解放区」を打ち立てた。
ベトナム侵攻後、激しい反ベトナムキャンペーンを行い、在カンボジアのベトナム系住民を迫害した。収容所に隔離させられたベトナム系住民の集団虐殺が起きている。
このため、在カンボジアのベトナム系住民50万人のうち、1970年からわずか1年の間で、20万人がベトナムに大量帰還した。
北ベトナムの侵攻に呼応して、アメリカ軍と南ベトナム軍は共産勢力を追撃してカンボジアに侵攻した。アメリカ軍の撤退は早期に行われたものの、共産勢力は駆逐されず、こうした状況から反政府勢力クメール・ルージュの勢力は伸張し、政府軍との間でカンボジア内戦が始まった。
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アメリカの傀儡政権 ロン・ノル首相
1971年4月20日、国会により元帥に指名され、1972年3月10日に国家元首に就任。同年3月13日に大統領に就任した。
ロン・ノル政権になって以降、北ベトナム・クメールルージュとアメリカ・南ベトナムに支援された政府軍の内戦は本格化し、人口密集地域を含むカンボジア全域に拡大され、数十万人の農民が犠牲となり、さらに難民が100万人以上都市へ流入し、食糧輸出国であったカンボジアは食糧輸入国に転落した。
★ロン・ノルは独立後、初代警察庁長官となり、首相も務め、国防相も長年勤める、カンボジアのNo2でした。自分の野心とアメリカに唆され、クーデターを決行します。
クメール・ルージュ(カンボジア赤軍)との戦いに苦戦し、プノンペン陥落の1975年4月17日を待たず、4月1日に亡命しカリフォルニアで死去しました。
それでは、命式を見てみましょう。
四柱推命鑑定 命式 ロン・ノル
1913年11月13生まれ~1985年11月17日(72歳没)
・・・・・・上 中 下 宿命星 十二運 吉凶星
年柱 癸 丑 己 正財 劫財 傷官 養 天乙貴人
月柱 癸 亥 壬 正財 偏財 絶 孤辰 劫殺 駅馬
日柱 戊 戌 戊 比肩 傷官 墓 魁罡(かいごう) 寡宿
時柱 庚 戌 戊 食神 比肩 傷官 衰 魁罡(かいごう) 寡宿
【辰巳空亡】
【総合鑑定】アメリカの傀儡政権にピッタリの人物。能力不足が自滅を招いた。
十二運を見ると、養、絶、墓、衰で鉄板の身弱です。
月令も11月生まれの戊(山の土)ですから、旬は夏です。従って、月令は得ていません。
年柱の丑と日柱と時柱の戌が二重に刑「けい」を形成します。上司から迷惑を受ける暗示です。この刑「けい」の為に、天乙貴人は死んでしまいました。
≪食傷過多の成立≫
食神が1個、傷官が3個で食傷過多の成立です。
天乙貴人が死んで吉星の無い命式ですが、日柱が戊戌で魁罡(かいごう)なので、存在感は有ったと思います。
亡命した日は61歳でした。大運は、52歳~62歳 丁巳―印綬―建禄―空亡で大運空亡の真っ最中でした。
そう言えば、クーデターで政権を奪ったのが56歳ですから、その時も大運空亡です。
大運空亡中にトップの座に就いたものは、人気を全うできません。直近の例が、韓国のパククネ(収監中)で、今の文在寅と小池百合子東京都知事もそうです。
亡命した日の行運を見てみましょう。
1975年 乙卯乙 正官 正官
4月 己卯乙 劫財 正官
1日 丁丑己 印綬 劫財・・・羊刃2個
当日しか際立ったサインは出ていませんが、1975年4月は、インドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)が全て赤化した月ですから、彼も「赤化と言う大津波」に飲まれたと言えるでしょう。