書籍化されました
①からの続きです。
朴正煕大統領の、韓国軍のベトナム戦争参戦に対し、見返りとしてジョンソン大統領は、韓国軍兵士に「アメリカ永住権」を与えた
韓国軍の、南ベトナムでの非戦闘員、一般市民、農民の虐殺、女性への強姦という、悪行の数々については、ベトナムのシリーズの過去記事で書きました。韓国軍は同盟国アメリカの為でもなく、共産主義との戦いの為でもなく、サイコパスの祝祭として、強姦、虐殺のためにベトナムにやってきた暴れました。
下記URLをご参照下さい。
★尚、この時の、ベトナム戦争に召集され、実際に、「非戦闘員」の虐殺、強姦に直接かかわった、韓国軍人が後に2人も韓国大統領に就任しています。それは、全斗煥と盧泰愚です。
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全斗煥
韓国第11~12代大統領、第9師団29連隊長(白馬部隊)として、ベトナム戦争に参戦。
猛虎師団、青龍師団などと共にビンディン省等攻撃と大量虐殺を行ったことで有名。
盧泰愚
韓国第13代大統領、1967年、歩兵大隊連隊長としてベトナム戦争に参戦。
二人とも連隊長なので、実際に部下を指揮して、ベトコンとは全く関係ない農民たち、老人、子供、女性は強姦したのち殺害したのでしょう。まともな国の軍隊なら、連隊長と実行犯は「軍法会議」にかけられて銃殺されているでしょう。
この二人が、大統領までなったのが、韓国という国の民度です。
しかも、全斗煥は、更に1980年、民主化を求める「光州事件」でも、多くの市民を軍を投入して虐殺しています。
光州事件
1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市(現:光州広域市)を中心として起きた民衆の蜂起。
5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、5月18日にクーデタに抗議する学生デモが起きたが、戒厳軍の暴行が激しかったことに怒った市民も参加した。
デモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がり、市民軍は武器庫を襲うと銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領したが、5月27日に大韓民国政府によって鎮圧された。
死者154名、負傷者3028名。
以上
韓国軍の虐殺を証言する元アメリカ兵の証言
壕に隠れた看護婦を4人見つけた。
医療品を持ち、黒い制服を着ていたから確かだ。
そこへ韓国軍海兵隊が現れ看護婦の引き渡しを要請、
彼らの偵察区域だったし我々に捕虜の世話は難しかった
それで殺さずに韓国軍に渡した
しばらくすると韓国の海兵隊員は、彼女たちを地面に押さえつけ、4人全員をレイプした
やったのは10人~20人の韓国人兵だ
彼らは4人を拷問した、胸を切り、なたで指などを切り落としていた。
それが済むと彼らは信号弾を取り出した。
アルミの容器に入っていて最長60メートル飛ぶやつだ
それを女性器に入れ、バラバラに吹き飛ばした
以上
続々とアメリカ永住権を取得し、移民する元韓国軍人とその家族
1965年の韓国系アメリカ人数は約2.5万人であった。米国各地にコリア・タウンが形成され、”パパママショップ”と呼ばれる低所得者向けの個人商店や、クリーニング屋に従事する者が多い。
1965年2.5万人であった移民人口は1970年には5万人、1980年には35.7万人、1990年には70万人と膨れ上がった。
とりわけ1980年代に約35万人が韓国から米国に渡っている。
次号へ続きます。