書籍化されました
ベトナム戦争での韓国軍の「戦争犯罪」と「戦時性暴力」が明らかになる程、世界中で「慰安婦像」を建設しようとする韓国・朝鮮人
★世界中で、今も続々、建設される「慰安婦像」
・2015年11月、カナダ、トロント市、設置場所;不明
・2015年12月、中国、南京市、設置場所;「なんちゃら会館?」・・・中国名が読めません。
・2016年8月、オーストラリア、シドニー、設置場所;シドニー韓人会館
・2017年3月、ドイツ、バイエルン州、ウィーゼント市、設置場所;ネパール・ヒマラヤパビリオン公園★ヨーロッパ初
・2017年7月、香港特別行政区、設置場所;在香港総領事館前
★そして、2018年8月14日、世界第一の親日国台湾でも、遂に慰安婦像が除幕されました。
場所は、台南市の「国民党支部敷地内」
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撤去要請の難易度とウィーン条約
★日本政府の撤去要請に誠実に対応してくれた国。
フィリピン、マニラ市の慰安婦像、ドゥテルテ大統領が、誠意を示して、撤去してくれた。
余談;撤去してくれてよかったが、正直、その出来ばえと「造形美」に感心した「マニラ慰安婦像」
慰安婦像=少女像の由来
議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件(ウィジョンブべいぐんそうこうしゃじょしちゅうがくせいれきしじけん)
読みにくい事件ですが、2002年6月13日、大韓民国京畿道楊州郡(現:楊州市)で、議政府市の駐韓米軍基地に帰ろうとしていた米第2歩兵師団所属の装甲車M88が、公道で事故を起こして女子中学生2名を轢き殺した事件です。
★装甲車とは、見た目、戦車のようですが、装甲回収車といって、戦場で壊れた、車両を回収する、要するに「車」です。
事故は、在韓米軍は、被害女学生が、「死角」におり、装甲車の通信機器が故障したための不幸な業務上過失事故だと主張しましたが、市民と被害者遺族は、「十分防げた事故」ではないか?と反発しました。
彼らは、検察庁に訴えようとしましたが、在韓米軍は、「軍法会議」でさっさと決着をつけ、無罪にし、装甲車を運転していた二人の米兵を帰国させました。
これで、火病を起こしたのが、韓国市民です。
12月6日
ソウルで3万人あまりが参加した集会では、警察を振り切ってアメリカ大使館への進出に成功。
12月14日
釜山で開かれた集会では、釜山の在韓米軍基地 後門がデモ隊によって突破され、正門でも警察を突破。
全国各地で、さらには国外でも在韓米軍を追及する集会が開催。
11月27日、
こうした運動の高まりに危機を感じたアメリカ政府は在韓アメリカ大使を通じてブッシュ大統領の謝罪。
12月13日
ブッシュ大統領が金大中大統領との電話で再度遺憾の意を示した。
不平等だという批判があった韓米政府間の地位協定 (SOFA)を是正することにも合意した。しかし国民の怒りは鎮まらなかった。
アメリカ政府は当時の指揮官ら4人を懲戒処分にした。また遺族たちは国家賠償を請求し、それぞれ1億9千万ウォンあまりの賠償金を得た。
★この時の、犠牲女学生の追悼用の彫像が、使いまわされて、慰安婦像となったというのが定説(高山正之)です。
慰安婦像の椅子が2つあるのは、本来なら2人の女子中学生の像を座らせて米軍基地を威圧するはずだったのですが、予算の都合で一体だけしか完成しませんでした。
米軍車両にひき殺された女学生の像が、慰安婦像にリサイクルされて使われています。
次号へ続きます。