書籍化しました
それでは命式を見てみましょう。
ジョージ6世
1895年12月14日生まれ~1952年2月6日(56歳没)
・・・上 中 下 宿命星 蔵干 十二運 吉凶星
年柱 乙 未 己 比肩 偏財 養
月柱 戊 子 癸 正財 偏印 印綬 病 天乙貴人 咸池
日柱 乙 未 己 偏財 養
時柱 壬 午 丁 印綬 食神 長生 月徳貴人 文昌貴人
【辰巳空亡】
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【総合鑑定】生まれつきの虚弱体質と癌体質
月令を見てみましょう。日柱の天干(てんかん)が乙(きのと)です。「木の弟」です。草花です。
12月14日生まれです。北国イギリスでは厳寒でしょう。
例えて言えば、真冬に土中から、間違って目を出してしまったチューリップの芽です。
気温が低すぎ、太陽の光も弱いので、すくすく芽を伸ばせません。
要するに「月令」を得ていないのです。基本的に弱い命式と言えます。彼の生涯を苦しめた、虚弱体質と多病はここに見てとれます。
命式中に食神と偏印が混在しています。食神は栄養を摂取すること、「生命の源」です。偏印は食神を潰すので偏印倒食と言います。
命式中に偏印倒食のある人は、基本的に「消化器系」の弱い人が多いです。「胃弱」とか。
命式中に正財と印綬が混在しています。故小林麻央さんのところでも説明しましたが、癌に成りやすい「地雷型の命式」です。
命式通り肺癌で亡くなりました。
時柱の午と年柱と日柱の未が二重に支合を形成します。午―未の支合で、火の勢いが強く、変動の予感の暗示です。
波乱万丈の人生を送る人で、心配事の無い晩年は送れない人が多いです。
吉凶星の欄は、さすがに、「貴種」の方らしく、すっきりしていて凶星が有りません。
この貴人星は日柱にあるのがベストだと言いますが、天乙貴人が有ります。月徳貴人や文昌貴人が有ります。
好色の星の咸池が有りますが、これは凶星ではありません。
★印綬が2個、偏印が1個あります。合わせて印星が3個以上あります。
このタイプの人は、業界No1となるか、位人臣を極める人が多いですが、常にリスクと背中合わせです。
そして、不運なことは、印星の行運(こううん;大運、年運、月運、日運、刻(一刻は2時間)の運)に起きることが多いです。
この王様の二十八宿は心宿です。
元々演技性の性格の人ですから、吃音さえ矯正すれば、演説は上手かったはずです。
2010年のアカデミー賞を取ったイギリス映画「英国王」のスピーチでは、ジョージ6世が吃音を克服する様子が描かれていました。
ジョージ6世の没年の大運を見てみましょう。56歳で亡くなりましたから、53歳~63歳の大運で、壬午―印綬―長生で、印綬ですから印星の大運です。
死亡日の運気
死亡日の運気と星の巡りを見てみましょう。
1952年 壬辰戊 印綬 正財―空亡
2月 壬寅甲 印綬 劫財
6日 壬午丁 印綬 食神
★年運は空亡です。長患いしている方は危ないです。しかも印綬が来ています。正財も来ていますから、命式中の印綬(生命の源の星)を潰しに行きます。癌を闘病中の方には致命的です。
2月も印綬が来ています。死亡日の6日も印綬が来ています。
命式中に印星が3個以上ある人の、行運、後天運が最悪となる日に亡くなられたようです。
ジョージ5世の2人の王子
さて、世界最高級の家柄に生まれ、両親も同じくする二人の兄弟の全く対照的で数奇な運命。
読者の皆様が、二択で究極の選択を迫られたら、どちらの人生を選びますか?
弟 ジョージ6世、
一歩間違えれば、チャラい兄のように、この人も逃げたのかもしれません。しかし、踏みとどまり、兄の失態で、「地に堕ちかけた」英国王室の威信を「極限までの自己犠牲と献身」で回復しました。しかも、イギリス史上最も「国難」な時期に、在位し続けました。「我欲」を断ち、遊びまわることもせず、「責任感」という「縄」で自分を玉座に縛り付け、最後は力尽き、燃え尽きて、還暦を待たずに「戦死」しました。
しかし、死後、国民から敬愛され、銅像は立つ、自分の名前を冠した地名や建物が多数できる。映画でも讃えられています。
兄:エドワード8世、
好きな女性と結婚し、自分には向かないと、父親も自分も自覚していた、イギリス王の地位を「責任感」とともにポイ捨て、本国からは即日追放されるが、「ウィンザー侯爵」の称号を貰い、依然として「王族扱い」、生活費も恐らく、多額に貰っていたと思われる。
好きな女性と「世界漫遊」の旅、「腐っても元イギリス王(但し未戴冠)」世界各地で「マンセー」で迎えられる。窮屈だったのは、バハマ総督に任じられカリブ海に閉じ込められた5年間だけ。
ただ、事実上の幽閉と言っても、旅行の自由は有ったらしく、夫婦でアメリカのフロリダに上陸した際は、「親ナチ」と言うことで、ルーズベルト大統領から警戒され、FBIに監視される。
大戦後は、フランスに渡り、フランス政府からは所得税を免除され、パリ、ブーローニュの森に豪邸をあてがわれる。味が不味くて有名な、イギリス料理より、本場のフレンチの方が美味しかろう。
悩みの種は、マスコミのインタビューで王冠を捨てた理由を毎回聞かれることぐらい。
本人曰く「例え、時計の針が戻っても同じ決断をしただろう」、後悔の念は無いらしい。
入国を許されたのは、弟のジョージ6世の葬儀だけ。
但し、本人の葬儀はイギリスでやってくれて、妻のシンプソンもともに英国王族の墓地に眠っている。
ジョージ五世の2人の王子の運勢
・先天的に弱弱しい命式、
・弱弱しい体質と、プレッシャーに弱い惰弱な精神、
・恋愛結婚で、格下の階級から妻を迎えた(兄は平民・弟は欧州の王族ではなく、自国の貴族)
でした。命式を見るに、どちらが即位しても、大英帝国は解体したでしょう。
2人の王位継承者の命式を見るに、大運的には、大英帝国の解体は決定していたように見えます。
しかし、英国王室が滅亡せずに、英国も、大帝国から連合王国へ格下げしたとはいえ継続できたのは、国家元首であったジョージ6世の、死ぬほどの努力と忍耐、実を粉にしてまでも尽くしぬいた国家への献身、に、天の運が添ったゆえだと思います。
こういう君主は、天も見捨てないでしょう。ジョージ6世は、英雄ではないにせよ、名君だったと思います。
この人によって、王族や国のトップの本気と死ぬ気の努力と献身によって、王家や国の運も変わることがわかります。
以上