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視聴率の疫病神|㉛イザーマン・BB覚醒・ふぶきの部屋・創価朝鮮チームとの戦い(総括編)

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30からの続きです。

常連読者様からのコメントです

イザーのウィキを久々にみたら、大学中退後はオーストラリアですってww。

橋賀寿賀子作、三田佳子が女医役の大河ドラマ『いのち』というがあったのですが、外科医有森冴子ってパクリじゃないかしら。

時代にや設定を変えても、パクリになってしまうから、武田鉄矢は教師役で他のドラマはできないし、米倉涼子は医者役で他のドラマは出来ないでしょう。それと同じですよ。

以上

 

「いのち」

1986年 主演:三田佳子、脚本:橋田寿賀子

歴代9位ですね。

 

「外科医有森冴子」

1990年 主演:三田佳子、

 

 

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《「外科医有森冴子」でイザーマンが受賞した「芸術選奨」という「不透明な賞」》

イザーマンの代表作は、「外科医有森冴子」、その根拠は、「文化庁芸術選奨新人賞」受賞が唯一の根拠。

https://web.archive.org/web/20181027111856/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E8%A1%93%E9%81%B8%E5%A5%A8%E6%96%B0%E4%BA%BA%E8%B3%9E

芸術選奨新人賞(げいじゅつせんしょうしんじんしょう)、芸術選奨文部科学大臣新人賞(げいじゅつせんしょうもんぶかがくだいじんしょう)は、文化庁主催の芸術家顕彰制度・芸術選奨により贈られる芸術賞。各年度毎に、芸術各分野においてその業績により新生面を開いた芸術家に対し贈られる。

読者は、手間をかけるが、この「芸術選奨新人賞」の受賞者をざっと見てほしい。

趣旨は「芸術各分野においてその業績により新生面を開いた芸術家に対し贈られる。」とある。

ちなみに、1991年の受賞者を見ると

1991年

水村美苗『續明暗』
水落潔『上方歌舞伎』
中原俊『櫻の園』
吉野直子、井沢満、堀越真、鶴澤悠美、高部尚子、松永真、山本則俊、太田英夫、坂本冬美

失礼だが、知らない人ばかりである。唯一知っているのは、演歌歌手の坂本冬美のみ。

他の人はWikiがあれば、かろうじて何をしていた人かわかるが、現在も第一線で活躍しているかは、不明である。

そして、Wikiすらない人は、「正体不明」の人である。

 

《不思議と、1991年以前は、受賞者に「それなりの人」は何人かいる》

イザーマンの受賞の根拠となった「外科医有森冴子」について

「評価項目」

業績・・・・視聴率は不振、同年度にもっと視聴者の評価を受けたドラマは多々あったはず。

新平面・・・イザー本人に言わせると、ドラマタイトルに「有森冴子」なる固有名詞を入れたことだそうだ。下らない、何が新平面だ。

 

《私は、文化庁に電話して、この賞の担当者に問いただした》

イザーマンの受賞の根拠は何か?と。

すると、電話口で担当者は意味深に「エヘヘ」と笑った。

そして「受賞対象は「選考委員」が決めるので、わかりません」と。

私「選考委員は誰ですか?」と聞くと、「お答えできません」との回答。

★芥川賞ですら、「選考委員」を公表し、「受賞作」には、理由を述べるのに、おかしいではないか?と聞くと

急に、言い直して「選考委員」を明らかにするとロビーイングされるので公表しません」と言った。

但し、昨年平成29年度の選考委員は、文化庁のHPで見れますとのこと。

電話しながら、確認すると、確かに昨年度の選考委員と「選考理由」は見れた。

1991年の、「選考委員」と「選考理由」は見れるのか?と聞くと

「過去のデーターは、順次削除している」とのこと。

「受賞者に賞金が出ます」というので、「いくらですか?」と聞くと。

「お答えできません。予算の範囲内出だしております」とのこと。

★なんと、「国民の血税」から、出しているではないか(怒)

イザーマンは、ちゃんと確定申告したのだろうか?

全て、密室で、決められていて、賞金は血税で払われ、しかも、情報は一切、国民に非公開である。

★これでは、公務をしない「末端宮家」と同じだ(怒)

 

《「政治受賞」ではないか、と私が疑った理由》

1991年の時代背景、「平成3年」にあったこと。

・政権は、「第二次海部改造内閣」総理は火星人こと、海部俊樹。

・「日韓地位協定の見直し」・・・・外務大臣は中山太郎

・政権が、韓国の「ごり押し」に屈服する形で、在日組織が執拗に要求していた「指紋押捺制度」の廃止要求を飲まされる。

・「一般永住許可」が「特別永住許可」に変更される。

これで、在日韓国朝鮮人は、5世も、6世も、何世までも、未来永劫、帰化せずに日本に住み続けることが可能となった。

★いわゆる「在日特権」が確立した年である。

・「女子高生コンクリート詰め殺人事件の裁判」

この稀にみる、凶悪な在日少年4年の犯罪は、不当に軽い量刑で決まった。

・NHK会長の権力抗争と「NHKのドン」の失脚

この話は、当時、長きにわたってNHKに君臨した「NHKのドン、島桂次(しまけいじ)会長」が、自民党の権力抗争に巻き込まれる形で失脚し、NHK内部の権力構造が変わった事件である。

島桂次、通称(シマゲジ)と言われた、実力会長と、自民党の主流派閥との癒着は、昭和のかなり昔から、有名で、私のような「政局マニア」の一部にはよく知られていた話だった。

島桂次・・・・Wikiより

第15代NHK会長、元NHK政治部記者。

東北大学文学部美学科卒業後、1952年4月NHKに入局。初任地はNHK盛岡放送局。政治部記者となり池田勇人の総理番記者となり、その後、宏池会を担当。 1973年、ニュースセンター次長となり、1973年9月に放送総局副総局長の堀四志男の指示の下、報道番組部長として、1974年4月『ニュースセンター9時』、1976年4月に『NHK特集』をスタートさせる[1]。1976年、アメリカ総局長、1977年、放送総局主幹、1978年、報道局次長、1980年、報道局長兼放送総局副総局長などを経て、1982年理事、1980年専務理事、1988年副会長、1989年4月に会長に就任。

その後、1991年に永田町、霞ヶ関、丸の内界隈の権力闘争とNHK内部の権力闘争がリンクしていき、結果として1991年7月に会長辞任

以上

この権力抗争は、詳しく書くとかなり面白いのだが、別の機会に譲って、かいつまんで説明しよう。

島という人は、NHKの政治記者としての初任地は、岩手県の盛岡支局で、後に総理となる、麻生太郎の岳父の鈴木善幸の「カバン持ち」となった。

その縁で、総理の池田勇人に信頼され、自民党の派閥である「宏池会(こうちかい)」の担当となる。

宏池会とは、過去記事の「麻生の乱」の所で書いたが、亡くなった加藤紘一が、クーデターに失敗して、分裂し、主流派「岸田派」傍流は「麻生派」に分かれた。

しかし、分裂前は、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸と総理を輩出し、竹下派経生会と並び、「保守本流」と呼ばれた名門派閥である。

島という有能なNHKの政治記者は、池田→大平→鈴木と三代の総理と誼をつなぎながら出世し、幹部になると、ロッキード事件の報道に規制をかけて、田中角栄にも恩を売り、NHKを「自民党の代理店」にし、1973年から辞任する1991年までの約20年間NHKを支配し続けた。

しかし、田中角栄失脚後、竹下登や金丸信を軽く見たために、竹下派の恨みを買うことになる。

金丸信のことを「山梨の黒駒勝蔵(有名なやくざ)」と揶揄したことが、金丸の耳に入り、刺客として指名されたのが、今年亡くなった野中広務である。

詳細は省くが、野中は巧みな謀略戦と情報戦を駆使して、国会で島を追い詰めて辞任に追い込んだ。

野中広務という同和地区出身の政治家が、自民党の表舞台にデビューしたのがこの「NHKのドン、島会長の追い落とし」であり、その後、数々の権力闘争で竹下登の子分として頭角を現し、2003年に小泉純一郎を倒せずに引退するまで、12年間自民党を牛耳ってきた。

 

・平成の始まりとテレビの劣化

昭和天皇の喪が明けて、今上が即位したのが1990年末で翌年の1991年から本格的な「闇の時代の平成」が始まった。

「昭和の良き時代」の萩本欽一や、ドリフターズ、志村けんらの練りに練った「ストリートコント」が影を失せ、足立区出身の在日芸人のビートたけし、タモリ、明石家さんまらの「ビッグスリー」がお笑い界とTVを牛耳るようになった。

たけしの「見た目のおかしさ」や、タモリの「ムードによる冷笑」とお笑いの「質の劣化」は、そのまま、TVタックルや笑っていいともを通じてTV界の劣化を導いた。

上方漫才でも、オール阪神巨人のような「計算されつくした掛け合い漫才」の影がうすれ、ダウンタウンという「異形のお笑い芸人」が登場した。

西川のりおは、「ダウンタウンなんてコンビニの前でたむろしている不良ですよ」といったが、まさにその通りだった。

「漫才師」と「師」がついたものが「お笑い芸人」という朝鮮の被差別民、白丁(ペクチョン)そのものになった。

「破天荒の天才漫才師」と呼ばれた故横山やすしは、デビュー当時のダウンタウンをぼろくそにけなしたらしいが、見る目があったといえよう。

このころから、芸能界は、在日でなくては、出世できなくなり、更に創価学会員でなくては、生き残れなくなった。

創価の芸能部長と呼ばれる久本雅美が、民放キー局のキャスト権を握り、逆らうと干され、生殺与奪の権を握られることになった。

この久本を子役の頃から使い、今やネット界の「創価朝鮮工作員」となり果てたのがイザーマンであることは何度も述べた。

 

ブログにさも自慢げに書いてある。

https://web.archive.org/web/20181103151504/https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/f658f97c10e237202dd3a2336e2a6599

渡哲也さんとは、確かホテルオークラでお会いしたと思う。

このホテルの喫茶室では、初対面で他にいしだあゆみさん、久本雅美さんとお会いした記憶がある。

疑惑として、創価に入会して、仕事をもらったのが、例の「明日の君が、、、」という、コケたドラマではなかったのか。

 

《イザーマンが受賞した1991年の文部行政の政治家は誰か?》

第二次海部改造内閣の組閣表を見てみよう。

https://web.archive.org/web/20170305195123/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC2%E6%AC%A1%E6%B5%B7%E9%83%A8%E5%86%85%E9%96%A3_(%E6%94%B9%E9%80%A0)

文部大臣は井上裕だが、この男は「参院枠」で入っただけの「上がり」の人事であり、実際の「文部行政」をやったのは、当時は文部政務次官(現在の副大臣)。

あった!中山成彬である。

中山は鹿児島ラサール高校→東大→大蔵省と経歴だけはきらびやかだが、「器」が小さい割には「自己評価は高い」、ある意味イザーとよく似た政治家だ。

自民党はその辺をよく見るから、中山が高齢になるまで大臣ポストを与えなかった。

民主党政権が末期に近づいたころ、総理の座に色気を見せた石原慎太郎は、大阪の橋下徹と組んで「日本維新の会」を立ち上げた「東西の色物のカップリング」である。

自分の処遇に不満を持っていた中山も、自民党を飛び出して合流した。

そして、離合集散を繰り返した「次世代の党」は2014年の衆院選で壊滅した。

 

《イザーマンの1991年の受賞は中山成彬による「政治受賞」》

だと私は見ている。その証拠に、イザーのブログで盛んに中山絶賛の記事が出てくる。

https://web.archive.org/web/20181105093136/https://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/c2d1c712bb2319243381b5149821282b

「日本のこころ」の中山恭子代表と、夫の中山成彬元文部科学相が

「小池新党」に参加なさる意向だとかで、かなり驚いています。

もともと、少数では何もできず数をたのまなければならないのが

政治ではありますが・・・・

それならやはり、自民党にいらっしゃるべきだった、というのが

偽らざる感想で、それはこのご夫妻のまっとうなご意見を拝する

たびに、胸に去来していた思いでもあります。

 

 

《1991年、テレビ界はマイノリティー(在日、創価)のものになった》

 

さよならぼくたちのてれびきょく

ひょうきん族みたいな番組を 作りたくて入ったテレビ局

思い通りにはならなかったけれど テレビの仕事が好きだった

タレントたちと朝まで飲んだり 女優さんと仲良くしたり

ギョーカイ人ともてはやされてた あの頃が人生のピークだった

かの国の資本に買い取られてから 実態のないブームのねつ造のために

嘘のアンケート結果や サクラを動員した

プロパガンダの片棒担いでた

さよなら僕たちのテレビ局 日本人のためのテレビ局

何も知らない子供たちは テレビの言うこと真に受けて

かの国に憧れ抱くんだろう

さよなら僕たちのテレビ局 夢が詰まっていたテレビ局

楽しくなければテレビじゃない そんな言葉が今は虚しい

だから今は忘れてしまおう

(Uh~)

楽しいことばかりじゃなかったけど 逃げ出したくなることもあるけど

テレビを見て喜んでくれてる 子供たちの笑顔に支えられた

かの国の露骨な工作批判した タレントが所属事務所から解雇されて

これはおかしいと思っても 声に出すことができず

誰もが息を押し殺してた

さよなら僕たちのテレビ局 日本人のためのテレビ局

スポンサーはみんな離れて かの国のCMばっかり

こんな未来望んでいただろうか

さよなら僕たちのテレビ局 今は変わり果てたテレビ局

日本人の社員たちは 次々に職を追われていった

今じゃもう外国のテレビ

(間奏)

日本人社員だけが集められた

会議室で べテランの鬼プロデューサーが

壁のホワイトボードに 「ニッポン万歳」と

書いて嗚咽漏らし泣き崩れた

さよなら僕たちのテレビ局 日本人のためのテレビ局

次の世代の子供たちに 僕ら何を残せるのだろうか

本当のことを伝えたいんだ

さよなら僕たちのテレビ局 夢が詰まっていたテレビ局

楽しくなければテレビじゃない もう一度この場所に帰ろう

きっといつか戻ってくるから

さよなら僕たちのテレビ局

以上

さよならぼくたちのてれびきょくとは、2011年8月4日01:33分に投稿された、ほぼ日Pの283曲目の曲である。

韓流フジテレビ批判騒動をテーマにした哀愁ただよう皮肉たっぷりの曲である。

 

それを象徴するのが、在日創価脚本家イザーマンの受賞であった。

主演の三田佳子は、故人だが力道山の兄貴分だった著名な「在日ヤクザの親分」の六本木の娯楽ビルの竣工パーティーに特別に招かれている。

TSK・CCCターミナルビル

https://ja.wikipedia.org/wiki/TSK・CCCターミナルビル

東亜相互企業

暴力団「東声会」のトップとして知られ、レジャー開発などを手がける「東亜相互企業」を経営する在日韓国人の町井久之(本名は鄭建永)により、1966年に完成し町井の自宅がおかれていた「東亜マンション」と同じ敷地内に「現代人の憩いと対話の場所を実現するため」として建設され、1973年7月11日にオープンした。

「Celebrity Choice Club」

元暴力団組長が経営しているにもかかわらず、オープニングレセプションは読売新聞社の渡辺恒雄(その後同社会長)が運営委員を務め、司会は後に参議院議員となる女優の山口淑子が務めた[2]。さらにゲストとして町井の後見人で東亜相互企業会長でもある児玉誉士夫と親しい岸信介元首相や園田直衆議院議員などの政界人や、岡田茂三越会長などの財界人、三田佳子などの芸能人から各国の特命全権大使までが駆けつけた[2][3]

以上

 

次号へ続きます。

 

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2 件のコメント

  • 池田勇人の名前は有名ですが、
    イザーマンと同じぐらいに陋劣低俗(ろうれつていぞく)なクリエイターイケダハヤトについても、四柱推命で叩き割ってほしいものです。

    分析力、ライティング能力の高さには舌を巻きますわ。
    脚本家として君臨しても数字が取れたでしょうに。

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