話はUターンして、NHKのドンだった会長の島桂次に戻ります。
元職員で、ブロガーの池田信夫氏が語っています。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292431.html
島は他方で、NHKを抜本的にスリム化する構想も持っていた。彼は「NHKは波を持ちすぎだ」と公言し、教育テレビやラジオ第2放送を削減しようとした。また報道をのぞく番組制作部門はすべて外注すればよいという方針で、番組制作局の「部」を「プロダクション」と改称した。最終的には、NHKを24時間ニュース専門の「第1NHK」と、娯楽・スポーツなどを中心にする「第2NHK」に分割し、第2NHKは民営化する方針だったという。しかし、こうした構想は、島が失脚すると、すべて白紙に戻ってしまった。
こういう人物です。悪が強い曲者でしたが「ビジョン」は持っていた人でした。
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《画像も動画も意図的にほぼ抹殺されている》
ネットで画像が拾えるのは1件だけ、しかも韓国のKBSの過去記事のみです。
・You tube の動画はヒットなし。
・直接対決した野中広務の画像にも動画にも出てきません。
・当時国会中継された。私も見た記憶のある国会逓信委員会の野中の追及の動画も削除。
・更に驚いたのはNECと、島会長失脚の原因となった放送衛星BS-3の情報すら抹殺されています。
https://web.archive.org/web/20180218130812/https://ja.wikipedia.org/wiki/島桂次
島は衛星ロケット費用が安いという理由でゼネラル・エレクトリックに委託したが
とありますが、GE(ゼネラル・エレクトリック)は、NECが基幹部分を発注した仕入先であり間違っています。
フリー百科事典だからいいか、と言えばそれまでですが、NECの広報に聞けばすぐわかる話です。
https://web.archive.org/web/20150425130306/https://ja.wikipedia.org/wiki/BS-3H
BS-3に関する記述にもNECのエの字も出てこない。
「竹下派による「NHKのドン島」追い落とし」という事件はその後の日本のメディアのみならず、皇室問題にまで深刻な影響を与えた「政変」です。
この「情報封鎖」に意図的なものを感じざるを得ません。
「島の失脚」により、「ニュース9」という「報道の世界」を切り開いた磯村尚徳は表舞台から去り、島の側近で、会長就任に尽力したといわれる日高義樹は、アメリカに去り、フリーの外交評論家になりました。
《NHKのドン島失脚の意味するもの》
NHKというとすぐ、イザーマン=BBの覚醒記録=銀蠅トド子の様に、馬鹿の一つ覚えで「GHQが~」と言いますが、占領軍は単に名称を決めた、現場統治者に過ぎません。
NHKが放送法に基づいて開局した1950年はマッカーサーが更迭されたとしでもありました。この時のアメリカ大統領は、民主党で反日のハリー・S・トルーマンであり、アメリカの西へ西へとひたすらフロンティアを求めて膨張する「地政学的戦略」の一つの布石に過ぎません。
そして、島までずっと「親米」であったNHKが、「島追い落とし」によって極端な「親中」に一変して現在に至ります。
★デレデレ草さんの検証においても、このころ「ミチコ」が、「人民解放軍女兵士タイプ」に変わります。
今現在、東京、渋谷のNHK内に中国中央電視台が堂々と同居するのが動かしようのない証拠です。
《「島追い落とし」の2年後、1993年の今上陛下とミチコの訪中》
ご存知のように、中共は、1989年の「天安門事件」以来、欧米の強烈な批判を浴び、経済制裁に苦しんでいました。
その窮境の打開の「一手」として、鄧小平と江沢民が目論んでいたのが「天皇訪中」です。
従って、「極端な親中」の竹下、金丸の経世会にとっては「親米」で言うことを聞かない島の追い落としは、当然の「地ならし」でした。
そして、竹下派の担いだ宮沢政権の時に、中国待望の「天皇訪中」が実現しました。
日本の天皇が初めて「共産中国」を訪問したことで、中国共産党は「天安門のみそぎ」を済ませました。
欧州やアメリカの国際社会も、日本の天皇が訪中したならばと制裁を解いたのです。
次号へつづきます。