「元都庁高官、都の巨大外郭団体理事長も絡んだ大疑獄事件」に発展する可能性
三日間更新の間が空きましたが、自分なりには結構忙しかったです(笑)
一つは、ある「捜査機関」に提出する資料の作成準備です。
検事出身の弁護士から、指導を受けて、現場の検事の心の「琴線(きんせん)」に触れる「報告資料」の書き方を教わり、提出資料の作成中です。
現場の検事にとって、「立件」する場合に最も重要なのは「公判の維持が可能かどうか」です。
どういう意味かというと、立件→起訴という流れで、「刑事裁判」が始まる。
検察官としては、絶対に有罪判決を勝ち取る必要があります。
従って、所謂「筋の悪い」事件=「公判の維持の難しい事件」は、立件しません。
その結果、起訴後の「有罪率」が90%以上という「権威」を確立しているのです。
天才学者の小室直樹氏の「日本人の為の憲法言論」によると、刑事裁判において、裁判官は、刑事被告人の味方で、当然、弁護士の味方です。
2対1という、「アウェー」の中で、「社会正義」を貫き、有罪を勝ち取る苦労は並大抵ではないでしょう。
増して、確定判決で「逆転無罪」となれば、「冤罪を着せた」と、左翼人権団体から、批判を浴びます。
「公判が維持できる」=「高い確率で有罪判決となる」為には、「立件」するかどうかは、慎重に慎重を期さなくてはならないということです。
その「報告資料」は、今すぐにでも、提出できる状況ではありますが、何しろイザーマンブログが「笑えるほど宝の山」で、無駄に、毎日更新すればするほど、期待を裏切らず「オウンゴール」「墓穴を掘る」ので、待てば、待つほど「報告書」の情報が充実し、「公判維持」の可能性が無限に100%に近くなるということです。
そして、現在、視野に入りつつあるのは、「元都庁高官、都の巨大外郭団体理事長も絡んだ大疑獄事件」に発展する可能性があるということです。
報告書の作成作業は、全国に散らばる私の人脈で「同時並行的」に行い、内容を互いに擦り合わせ、「精度」をあげています。
現状のミーティングでは「報告書の提出」は「急ぐのは勿体ない、もっと大きな「魚」を吊り上げようではないか」ということでコンセンサスを得ています。
「完全なる公人」の元東京都秘書事務部長の井澤勇治氏(大分合同新聞2008年報道時点の役職、当時56歳)は、少なくとも、石原慎太郎が都知事に在任した12年間は全てカバーしている。
「自称兄」のイザーマンに言わせると、その後の、猪瀬、舛添の三代にも仕えている。
2008年当時、56歳ということは、逆算すると、昭和27年(1952年生まれ)、大卒と仮定して、22歳で都庁に入庁したとしたら、1974年の入庁。
当時の都知事は、悪名高き「共産主義者でマルクス経済学者」の美濃部亮吉です。
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美濃部亮吉
東京都知事
革新統一による知事として知られ、政党では日本社会党と日本共産党を支持基盤とする革新知事として1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り、東京都知事を務めた。東京での革新統一方式は以後、一挙に全国に拡がり、一時は日本の総人口の半数近くが革新自治体施政下に暮らす画期となって、最初の’67年都知事選結果は、国際通信社によって「共産主義者が東京で勝った(Communists Win in Tokyo)」などと報じた、[1]。
美濃部のやった「悪政」
・1971年、「共産中国」の北京市と東京都は「姉妹都市」となる。
・1968年には、当時の文部省が「北朝鮮系在日朝鮮人の基幹教育機関」として認可に懸念を示していた朝鮮大学校について各種学校として全国で初めて認可した。以後、金日成賛美の洗脳教育を行う朝鮮学校へ補助金を支給する動きが全国に広がったため批判がある。
・1971年には平壌を訪問して当時の北朝鮮首相金日成とも会談した。
・対北朝鮮、在日朝鮮人の関連では全国の都道府県の中で先駆けて在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)など、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に近い立場の関連施設の固定資産税を免税にしている。
「2008年時点の東京都秘書事務部長の井澤勇治氏」は、「秘書セクション」のトップである。
★それまでも、「秘書畑」で長く勤務した末のポストと考えるのが自然であろう。
そう考えると、「石原以降3代」の都知事にのみ仕えたのではなく、美濃部亮吉、鈴木俊一、青島幸男にも「秘書」として仕えたと考えるのが、これまた自然である。
★都庁の役人が、不自然に、この人物の存在を秘匿しようとし、「情報を開示」しないから、こちらは、「組織論」と「社会通念」で、「キャリアの空白」を推理で埋めるしかないのである
《都知事秘書である「自称弟」の「縁故枠」による「外科医有森冴子」の受賞(笑)》
三田佳子のWiki
1992年
第35回ブルーリボン賞・主演女優賞 – 『遠き落日』
第2回日刊スポーツ映画大賞・主演女優賞
第16回山路ふみ子映画賞・女優賞
第10回ゴールデングロス賞・特別賞
都民文化栄誉賞 – 『遠き落日』、『外科医・有森冴子』(日本テレビ)
とある。
「都民文化栄誉賞」を受賞しているが、その対象作品に「外科医有森冴子」が入っている。
そこで、早速、イザーマンの自慢話が「炸裂」する(爆)
2013年11月27日の記事
賞の話から、三田さんが都民栄誉賞を受けた時の思い出話。
鈴木都知事の頃で、私が花の贈呈役を務めさせて頂いた。
その話から、今の都知事のお話まで飛んだ。
余程、都合が悪かったのか、削除した記事の魚拓が残っている(爆)
http://cartwheeler58.rssing.com/chan-32090737/all_p9.html
2015年3月11日の記事
都条例が出されたのは、てっきりあの悪名高き美濃部さんの時かと調べたら
鈴木さんの時代だった。鈴木さんとは都庁でお会いして立ち話したことがある。
私を「外科医 有森冴子」の作者だと知って、「あなたが、あれを書いているの?」と話しかけてくださった。
その頃は政治にまったく無関心、無知であったので鈴木都知事の立ち位置などは存じ上げなかったのだが、美濃部さんのようなことはなさってなかったようだ。鈴木さんの在職時代にあの自虐文言。ということは何か抗いがたい
勢力なり、空気があるということなのだろうか。
以上
鈴木 俊一
鈴木 俊一(すずき しゅんいち、1910年(明治43年)11月6日 – 2010年(平成22年)5月14日)は、日本の政治家、内務・自治官僚。東京都名誉都民、北京市栄誉市民[1]。
第9 – 12代東京都知事、東京都副知事、第2次岸内閣内閣官房副長官、自治事務次官等を歴任
以上
鈴木俊一都知事は既に故人である。
鈴木の在職時に、東京都に本社のある会社に勤めていたという縁だけで、寸評を述べるとしたら、「極めて、実務能力に長けた官僚政治家」だったという印象だ。
イザーマンが、初めて、故鈴木都知事に言及した2013年11月の時点では、既に亡くなっている。2010年5月14日没。
★各業界の著名人の訃報が報道されると、即座に、「いつ、どこどこでお会いした。名刺を交換した」などの、「死人に口なし」の「嘘話」、所謂「犯罪心理学」で言うところの「ネームドロッピング」であることは好例だ。
しかし、三田佳子が、「都民文化栄誉賞」を受賞した1992年当時の都知事が鈴木俊一だったことは符号する。
★と言うことは、「外科医有森冴子」の受賞に当たっては、都庁職員の知事秘書の「自称弟」の「強いプッシュ」が有ったことは事実だろう。
表面的には、当時の人気女優の三田佳子の受賞でも、脚本は愚兄が書いている。
花束のプレゼンターに、イザーマンをわざわざ呼んだのも、都庁職員の金勇治なるものの、鈴木知事への、巧みな根回しの賜物だろう(笑)
イザーマンを売り込み、同時に自分の出世にも繋げるいかにも「小役人」らしい、せこいやり方だ。
《2008年時点の秘書事務部長、2017年の東京都中小企業振興公社理事長》
いずれも、井澤勇治という人物が存在する。
大分県の地方紙が2008年に報道した井澤勇治氏と、ネットで確認できる、公益財団法人東京都中小企業振興公社理事長の井澤勇治氏が、同一人物かどうかは、確認できない。
都庁の担当者が、敢えて、こちらの興味を刺激するかのように、明言を避けるからだ。
都の担当者が、「公務員の守秘義務」についても、「現在は、公社という「団体職員」だから、問題ありません」の一点張りで、逃げ切ろうとするが、果たしてそうであろうか?
注意深い読者なら、気づいたであろう。この当時の「井沢満ブログ」は、記事を更新した時点の、時刻は表示されていたのである。ただ、この頃から2chで、井沢満=BBの覚醒記録=銀蠅トド子の同一人物説が、盛んに囁かれるようになって、イザーマンは、gooブログの「設定を変更」し、更新時刻を「非表示」にしたのである。以下、該当記事です。
http://cartwheeler58.rssing.com/chan-32090737/all_p9.html
2015年3月10日の記事
愚弟好みのぬる燗傾けながら、愚弟が実際に接した石原氏のこと猪瀬氏のこと、舛添氏のこと・・・・・。弟が拝見した皇太子殿下、秋篠宮両殿下のことなど。
監督官庁である総務省の自治行政局の担当者に、「井沢満のブログ」の該当箇所を示して、見解を聞いたところ。
「アウトですね」の一言。
根拠法を尋ねると
地方公務員法 第34条
第1項 「職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。」と定められている。違反者は最高1年の懲役又は最高50万円の罰金に処せられる。
以上
退職後でも終生に渡って守秘義務を負うことになる。
これらの守秘義務については、秘密を漏らした側だけでなく、取得した側も罰則の対象となるという特徴があり、
★「退職後でも終生に渡って守秘義務を負うことになる。」
井澤勇治さんは、読んでいるのかな?都庁の職員であった時代に、職務上(秘書事務部勤務時代)知り得た秘密は、たとえ「人生負け犬脚本家」だったとしても、兄弟に話してはいけないんだよ(笑)
★墓場まで、もっていかなくてはいけないんだよ。
そして、「秘密を取得した」イザーマンも、刑事罰の対象からは逃れられない。
合掌。
《後は、「捜査機関」の裁量次第である》
ちなみに、東京都庁を一旦退職し、公益財団法人の「団体職員」となっても実質は同じである。
法的には「準公務員」となる為、利害関係者であろうと無かろうと「お歳暮」や「お中元」その他不定期の「プレゼント」ですら受け取ると「贈収賄」の「収賄」となる。
増してや、イザーマンに、何らかの、「利益供与」を与えていれば、世間を揺るがす「大スキャンダル」になるだろう。
「準公務員」という概念が難しければ、わかりやすい例として
・JRの社員(旧国鉄の職員)
・NTTの社員(旧電電公社の職員)
・日本郵政グループの社員(旧郵政省の国家公務員)
に、親戚がいて、付き合いだからといって、不用意にプレゼントするのは違法だということである。
★ばれなければよいという発想は、中国朝鮮族のイザーマンや「ハイノリーズ」レベルである(爆)
ご参考「みなし公務員」について
https://web.archive.org/web/20181128114257/https://shukatsu-mirai.com/archives/24518
みなし公務員とは企業に属する社員のこと
郵便局員、銀教職員、JR職員に共通するものは、『企業に属する職員である』という点です。みなし公務員とは、あくまで企業を雇い主としている仕事です。
とはいえ、今挙げた仕事には公共性や公益性などが求められ、警察官や消防員と同等に扱われます。属する場所が違うのに、なぜこのような扱いになっているのかをご存知ですか?
みなし公務員と準公務員の違い
みなし公務員という言葉を耳にしたことがある人も多いと思います。準公務員という言葉はどうでしょう。どちらも似たようなことばですね。この2つの言葉に違いがあるのか、気になっている方も多いようです。実はこの2つ、同じ意味なんです。
みなし公務員あるいは準公務員とは働く企業や法人が、設立される根拠となる法律で、「公務に従事する職員と規定されている職業です。みなし公務員は前述のように民間企業で働く人を指しますが、数多くある企業の中でも公共性が高く法律によって公務と規定された企業で働く人を「みなし公務員」というのです。
以上
★当然「副業も禁止」。創価朝鮮工作員として、日当2万円で、ネット工作員をやっていたとしたら、カルロス・ゴーンと同じ「巣鴨」行きになる(爆)