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閑話休題|新元号「令和」に関する見解⑥縁起が良いのか悪いのか?

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本来の意味は?縁起が良いのか悪いのか?

《新元号「令和」の成り立ちを万葉集から再チェックする》

★深く、不気味な「令和」の意味と典拠となった歌の背景

文春オンラインで、万葉集の専門家が「予言」めいて解説してくれています。

京大院卒の書評家 三宅香帆さん

やっぱ、この京大出のおねーちゃん、頭いいいわ~

尚、歌の背景の暗喩は、三宅さんではなく私が勝手に妄想したものです。

https://web.archive.org/web/20190404164141/https://bunshun.jp/articles/-/11340

タイトル 新元号「令和」元ネタの万葉集では、「妄想力」が爆発していた

「令和」出典の舞台は花見の宴会

【これが問題の「題詞」です。「令」と「和」を見つけられますか?】

梅花謌卅二首并序 

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封○(=穀のノギが系)​而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。(巻五、815番題詞)(1)

https://web.archive.org/web/20190404162314/https://bunshun.jp/articles/-/11340?page=2

梅を見る宴会するには早すぎる件

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。(天平二年の正月十三日に、帥老の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。時に、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(やはら)ぐ)

冒頭部分、「正月十三日」と書いてある。これ、ぼんやりしてると読み飛ばしてしまうのだけど。旧暦「正月十三日(天平二年)」とは、太陽暦では「2月4日(西暦730年)」のことである。

よく考えると……2月上旬、梅、咲かなくない?

宴の場所は大宰府(※福岡)。2月4日に梅を主役にする宴会は、ちょ~~っと早いんじゃないか。という冷静なツッコミが、長年萬葉集研究者によってなされてきた 。(2)

ちなみに現在、大宰府観光協会による「大宰府だより」ホームページには2019年2月24日の段階で「境内の梅は見頃です」と書かれてある。もちろん飛梅は早くから咲くし、異常気象の可能性もあるけれど、やっぱり梅を見る宴会するには早すぎる。不自然。

https://web.archive.org/web/20190404162518/https://bunshun.jp/articles/-/11340?page=3

★宴会の人々が「妄想の梅」を詠んだ理由

おそらく、宴会の人々は、各々「妄想の梅」を詠んだのだ、ということである。

つまり庭に実際咲いている梅というよりは、想像のなかの梅。2月の咲き始めの梅じゃなくて、自分が想像するなかで一番きれいな、梅の風景を歌にしたのだ。では、なぜ彼らはわざわざ梅を妄想して詠む宴会をひらいたのか?

実は、この宴が開催された背景に、宴会の重要人物である歌人のひとり「大伴旅人」が、赴任先である大宰府へ移住してきた直後、妻を亡くしている。

つまり、梅の花を見る宴会といいつつ、ここには大伴旅人を慰めるという意図が存在する(この宴会だけじゃなく、ほかの歌からもその事情が分かる)。ちなみにこの宴では、それとなく旅人の孤独な暮らしに配慮した歌も詠まれている

★「令和」の出典は、「誰かのために想像力を使う」ことばだった

「令月」とは「(何事をするにも)いい月(転じて、正月のこと)」、「風和」は「風がやわらぐ」意。つまり題詞はこう述べる。妻を亡くした旅人をかこむとき、酒を飲みつつ、満開の梅を想像しよう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

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次に、この新元号「令和」に深い政治的意味合いを感じる人もいる

ニューズウィークの冷泉彰彦氏の記事を読んでみよう。

https://web.archive.org/web/20190404154448/https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/04/post-1075_1.php

タイトル 新元号「令和」に秘められた、かもしれない政治ドラマ

2019年4月2日

<新元号の典拠である万葉集の「梅花の宴」の背景には、九州の大宰府に赴任した大伴旅人と朝廷をめぐる政治ドラマがあった>

既に多くの識者が指摘しているように、そもそもこの「梅花の宴」の箇所自体が、中国の詩文集である「文選」にある張衡の「帰田賦」へのオマージュであることは間違いないでしょう。もっと言えば「令」も「和」もこの「帰田賦」にも出てくるわけで、こうなると「令和」の典拠は「純粋に日本の国書」というのは無理があります。

さすが、冷泉氏バッサリと切っていますね(笑)凄い!

 帰田賦(きでんのふ)とは・・・Wikiより

中国漢王朝(紀元前202年–紀元220年)の官僚、発明家、数学者、天文学者であった張衡(78年–139年)によって書かれた。

「帰田」は「官職を辞し、郷里の田園に帰って農事に従うこと」を意味する。

『歸田賦』は後漢順帝永和三年(紀元138年)に作られた。張衡は首都洛陽の腐敗した政治から退き、河北河間の行政官の任を務めた後、138年に喜んで引退を迎えた。

張衡は剛直な人柄であったため、図讖や讖緯説などを厳しく批判し、順帝を取り巻く人々にうとまれた。136年には都を追われ、河間国(現在の河北省南東部)の相となった。河間国では官吏や土豪の不正を激しく取り締まったため、かえって排斥されたという。官を辞したい意向を奏上するが許されず、永和3年(138年)には尚書として呼び戻されるが、永和4年(139年)に病死した。

張衡の詩は、彼の儒家教育よりも道教思想に著しく重きを置きながら、引退して過ごすことを望んでいた生活を反映している。

昔は中国にも、こういう気骨があり、清廉な役人がいたんですね。

今と大違いだ(怒)習近平に爪の垢でも飲ませてやりたい。

オマージュとは・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190404173935/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5

芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事を指す用語である。しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。

厳密に言えば「映画で単純に似たシーンがあること」をさしてオマージュとはいえない。

“オマージュ”には必ずしも似た表現や表象がある必要はなく、作品のモチーフを過去作品に求めることを指す。騎士道から生まれた言葉であるため、モチーフに対する敬意ある親和性がオマージュであるかどうかの判断基準となる。

安倍総理自身の解説によれば、梅を愛でる風流な宴会のように聞こえますが、実は宴の背景には、奈良の平城京における政治闘争が関係していた可能性があるのです。

政治闘争というのは、長屋王政権と藤原四兄弟(藤原摂関家の先祖)の激しい政治的対立です。長屋王という人は、父が天武天皇の長男で天武・持統政権の最高権力者であったとされる高市皇子、母の御名部皇女は天智天皇の娘で、皇族の中でも天皇に非常に近い存在でした。

その長屋王は、女帝・元正天皇から聖武天皇の時代にかけて、政界の事実上の指導者として君臨しますが、やがて聖武天皇の外戚であった藤原四兄弟が勢力を拡大する中で、729年に自殺に追い込まれます。歴史上「長屋王の変」と呼ばれる事件です。

大伴旅人は、この長屋王政権の時代に出世しますが、長屋王自殺の前年である728年に九州の太宰府に赴任しています。そこで、当時は筑前守として赴任していた山上憶良などと「筑紫歌壇」を形成して多くの和歌を残したとされます。

今回「令和」の典拠の背景となった「梅花の宴」というのは、そこで起きた出来事というわけで、宴の主催は大伴旅人であり、テキストを書いたのは山上憶良ではないかとされています。

う~ん、深い読みですね~

漢字発祥の地の中国ではどう見ているでしょうか?

中国の掲示板、じゃぽにか反応張を見てみましょう。

中国紙「令和の典拠は万葉集の『初春令月、気淑風和』」 

中国人「日本が日本らしくなってきて私はうれしい」

https://web.archive.org/web/20190404054723/http://www.japohan.net/archives/22403

日本のニュースThe日本

2019年4月4日

 ポイントとなる書き込みをピックアップしていきます。

在日中国さん

令和は本当は中国古典の清史稿の「乃令和珅自裁」が出典らしい [193 Good]

■ 杭州さん

それなら日本の破綻はもうすぐだな [11 Good]

■ スペイン在住さん

在日中国さんは今すぐ日本から出て行け

(訳者注:清史稿は辛亥革命後の中華民国時代にまとめられた清朝1代の紀伝体歴史書で、その中に出てくる「乃令和珅自裁」という文言は「和珅に自害を命じた」という意味です。和珅(ヘシェン)は清朝時代の乾隆帝、嘉慶帝の側近として仕え、その地位を利用して専横の限りを尽くし、中国最大の大富豪とも言われていた人物です。乾隆帝の死後、権力の集中を目論んだ嘉慶帝に自死を命じられました)

 

和珅(ヘシェン)とは・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190404181722/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3

ヘシェン(満州語: )、和珅、乾隆15年5月28日(1750年7月1日) – 嘉慶4年1月18日(1799年2月22日))は、中国清朝の政治家。

字は致斎。乾隆帝の母方である満洲正紅旗のニオフル氏(鈕祜禄氏)出身。

中国史上最大の富豪で、乾隆帝、嘉慶帝の二帝に仕えたが、正一品文華殿大学士・軍機大臣として専横の限りを尽くした。乾隆太上皇帝が死ぬと、親政を行おうとする嘉慶帝によって賜死となった。

 

《私の総括、新元号「令和」の発するメッセージ》

京大院卒の書評家 三宅香帆さんの論文を読んでイメージする言葉

「葬送」「野辺送り」「諦め」「再出発」

冷泉氏の論文からイメージすること

「政争」・・・・安倍政権VS内廷皇族&創価学会の最終決戦

じゃぽにか反応張の「在日中国さん」の書き込みからは

「罪」を得て「死」を賜るか、「死」に追い込まれるものが現れること。

ちなみに、私はこの「在日中国さん」の書き込みが案外的を得ている気がします。

例えば「ヤフオク事件」とかね。

「令」という漢字は今回初めて使用されたそうですが、多くの人が言っていますが、「命令」の「令」であったり、「冷」の一部であったり、「冷たい金属的な感触」を感じて正直、元号に使うのはどうかな、と感じます。

しかし、上記三人の論者の示唆から考えると、次代が「最悪のケース」で佐伯徳仁氏なら、ありかもと考えたりします。

皇室全般画像掲示板に載っていましたが、佐伯徳仁氏に新元号の説明に行った帰りの車中の安倍総理の疲労と、苦悩に満ちた表情を見ると、相当「深い」意味のこもった新元号だと思います。

続く

 

 

 

 

 

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