皇女和宮と皇族複数体制|伝統と複数体制の維持➁

➀からの続きです。

《江戸時代以前にも天皇、皇族の「替え玉」「複数体制」は常時維持されていたのではないか》

ここから先は、私の推理によるシナリオですが、如何でしょう。

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江戸時代中期、京都では「関白」の近衛太郎が一人思い悩んでいた。

理由は、昨年即位した○○天皇が、流行りの伝染病に罹り、病床に付していたからだ。

おまけに、御殿医によると、元々ご病弱な体質故、後2か月持つかどうかわからないという。

近衛の悩みの理由はもう一つあった、齢60を過ぎた近衛は体力的な問題から、関白の職を辞するつもりであったが、関白の後継の座を巡って、九条一郎と鷹司次郎の公家の派閥争いで、収拾がつかなくなっていた。

「このようなときに薨去されてはかなわない」近衛の悩みは深かった。

その時、近衛にふと妙案が浮かんだ。

「そうだ!青蓮院の門跡となっている○○親王に秘かに代わってもらおう」

 青蓮院とは・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190424063310/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E8%93%AE%E9%99%A2

京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。山号はなし。開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。現在の門主(住職)は、旧伯爵東伏見家出身の東伏見慈晃。

概要

青蓮院は、梶井(現在の三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる(天台三門跡)。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王・入道親王(皇族出身で親王の称号を与えられた僧侶)が門主(住職)を務め、格式を誇ってきた。

江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。日本三不動[1]の1つ「青不動」のある寺としても知られる。

以上

○○親王は、現在病床に付している○○天皇とは、母方の従弟に当たり、年も2歳違い、幼少の頃から、背格好も声も瓜二つと言われてきた。

その後、新月の夜を選び、近衛は御殿医を伴い、深夜青蓮院を訪れ、「事情」を親王にはなし、快諾してもらった。

そして、翌日、親王は急病で倒れたことになり、姿を消し代わりに病床に付した天皇は剃髪され、青蓮院に運ばれ、改めて病臥した。

2か月後、天皇は薨去されたが、門跡の親王の「葬儀」として青蓮院で処理された。

親王はその間、実家の中山家に秘かに戻り身を隠していた。

その後、近衛は、数か月かけて、公家たちに根回しして、自分の後任の関白を決めた。

後任の関白が決まると同時に、病床に付していた天皇が奇跡的に快癒し、御簾のうちから、新任の関白の挨拶を受けた。

勿論、快癒した天皇の正体は、元青蓮院の門跡の親王であるが、前関白の近衛が勇退する際に、朝廷の役職についていた全てのものを一緒に退任させ、入れ替えていたので、秘密裏に行われた「天皇の入れ替え」に気付くものは誰一人いなかった。

以上

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以上のシナリオは、即興で考えたものですが、天皇本人と関白、御殿医らが合意して、秘密裏に行えば、不可能ではないと思います。

★この「応用編」は皇后にも親王、内親王にも使えると思います。

私は、江戸時代以前から、こういうことは頻繁に行われていたと思います。

天皇家、皇室の「公式の歴史」は、当時の「公家の日記」を歴史資料としています。

逆に言えば、明治維新と王政復古前は公家の仕事は「日記」を付けることぐらいしかなかったのです。

よく「○○卿日記」とかありますが、あれは個人のダイアリーではなくて、京都朝廷という役所の「記録業務」なのです。

そういう性質の日記ですから、後世、人に読まれることを前提に書いています。

江戸時代の大きな大名家の家臣の日記も同じです。

★ですから「朝廷の威信=カリスマ支配」を崩壊させるようなことは、当然一切かけないのです。

 

《万が一の「有事」に備えた「複数体制の維持」は皇室の叡智(えいち)》

皇統を断絶させない、祭祀を絶やさないはずにするはずだった「叡智」が、戦後、「ミチコ」入内後、「反日外国勢力」に「悪用」されている。
「ミチコ入内後」この「複数体制」に気付き悪用し始めたのが

① 部落解放同盟

② 中国共産党&人民解放軍総参謀本部

③ 創価学会

④ 在日朝鮮人勢力

部落解放同盟は、小和田雅子の皇太子妃内定まえに、解放同盟委員長の上杉佐一郎が、宮内庁による小和田家の「家系調査」を圧力をかけて阻止した。

「雅子さま 北朝鮮」の画像検索結果

「ミチコ」の入内には、生母が部落民の吉田茂ら米国勢力が強く働きかけた。

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しかしその後、「ミチコ」の実父の堤康次郎が死去し、2005年に西武グループ総帥の堤義明が逮捕れ「西武グループ」から、堤一族が全員追放されると、「日本の皇統断絶」を図るプレイヤーがアメリカから、中国共産党員に交代した。

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アメリカも中共も「皇統を断絶」させることにより、日本の「国体」から言わば「脊髄」を抜き取り「日本の弱体化」が究極の目標だが、私は現在のトランプ大統領に代表されるアメリカ共和党は、そのような「悪意」は持っていないと思います。

何故なら、アメリカ国民の90%が反対した「日米戦争」を日本を追い詰め挑発することによって開戦に引き摺り込んだのは民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルトであり、日本に原爆を落とし、戦後の占領期間の全期間の対日政策を決めたのは、後任のトルーマン大統領だからです。

「日本は「自由主義陣営」だから日本と戦争してはいけない。日本を戦争に追い込んだルーズベルトは狂人だ」と生涯言い続けたのは、ルーズベルトの前任者の共和党のフーバー大統領でした。

フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領に就任した1933年から、トルーマンが退任する1953年までの20年間に

① 対日戦争の開始

② 原爆の投下

③ 占領政策で部落民と在日朝鮮人を日本の支配層にする

④ 部落民「正田美智子」を入内させ、「皇統を断絶」させる。

上記の「日本弱体化戦略」が、囲碁の「布石」のように着実に打たれてきたのです。

次号へ続きます。

 

 

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