書籍化しました
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《ブレクジット(4)|何故、現在のEUが「ドイツ第4帝国」か》
第二次大戦直後の欧州は、戦禍で荒廃しきっていました。
戦後欧州の復興は「マーシャルプラン」というアメリカの援助も有りましたが、西欧諸国独自の復興プランも有りました。
先ず、
・1958年のEEC(欧州経済共同体)
wikiより
欧州経済共同体(おうしゅうけいざいきょうどうたい、European Economic Community、略称:EEC)は、1957年に設立された。
ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダとの間での経済統合を実現することを目的とする国際機関。
「ヨーロッパ経済共同体」と表記することもある。
・1967年にEC(欧州共同体)
wikiより
・欧州諸共同体(European Communities) – 現在の欧州連合 (EU) の前身にあたる
・欧州共同体(European Community) – 欧州経済共同体 (EEC) の後身にあたる
EEC加盟国6か国のほかにその後別の6か国が加わり、また1967年には機関が欧州石炭鉄鋼共同体(英略称:ECSC)と欧州原子力共同体(英略称:Euratom)とのあいだで統合され、欧州諸共同体(英略称:EC)と呼ばれる体制に移行した。
以上
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中学の社会科や、高校の世界史で教わっても、「Eが一つ減っただけじゃねえか」と思い、暗記しただけで終わってしまいましたが。
《当初の目的は「独仏和解」》
第二次大戦後のイギリスは、金づるのインドを筆頭に多くの植民地に独立され、「七つの海を支配する大英帝国」ではなくなりました。
第二次大戦を指導したチャーチルも、選挙で負け労働党政権が発足しました。
社会福祉政策を手厚くしましたが、その後、長い間「英国病」と呼ばれる経済の長期停滞に突入します。
大戦前は、世界の基軸通貨だった「ポンド」もその座をアメリカドルに奪われました。
要するに、大戦後のイギリスは、西側(自由主義資本主義陣営)の欧州大陸の主要国に、「口は出せても金は出せない」老大国に落ちぶれたのです。
その為、欧州大陸の主要国が先ず考えたのが、経済力のある西ドイツとフランスの「和解」です。
両国はナポレオン戦争以来、何度も攻めたり、攻められたり、勝ったり負けたりの「遺恨の仲」でした。
しかし、優秀な民族のドイツ人は東西に分断されても、西ドイツは戦後、瞬く間に経済復興し、日本に抜かれるまでは、GNP(国民総生産)はアメリカに次いで世界第二位となりました。
《ソ連崩壊と冷戦終了でフリーハンドをつかんだ「東西統一ドイツ」》
1991年までは、米ソ冷戦で核戦争の危機もあったし、ソ連軍の西側侵攻のリスクも有りました。
しかし、ソ連崩壊で民族ごとに独立国ができて分解し、ロシアは一回り小さい国になり、核ミサイルは保有していても、先進国ではないただの資源輸出国になり果てました。
《EU成立と統一通貨ユーロの登場とドイツ独り勝ち状態》
・1992年にEU(欧州連合)発足
・1998年に欧州中央銀行が発足し、「単一共通通貨」のユーロ登場。
《共通通貨ユーロの実態は「ドイツマルク」の進化版》
サラリーマン時代、ごく短期間ながらも為替のトレーダーを経験し、早期リタイア後は、個人でFXもやっていました。
その時、確信したのは「ユーロって、ドイツマルクの進化版じゃね?」ということでした。
何故なら、FXをやっていて、ユーロの長期の罫線(けいせん;値動きの長期のチャート)が、ドイツマルクの延長でしかなかったからです。
私は、直感的に理解しましたが、同様のことは、経験豊富なプロの為替ディーラーや、国際金融の専門家も同じことを言っています。
★つまり、EU成立後、ドイツは、「通貨による欧州支配」を確立したのです。
これをもって、EU=「ドイツ第4帝国」の成立、軍事力ではなく、経済力による欧州支配の完成と私は見ています。
まだまだ続きます。