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ブレクジット(7)|近代ヨーロッパ史におけるイギリス外交の原則
《近代ヨーロッパ史におけるイギリス外交の原則》
「欧州大陸に「イギリスに敵意を持つ統一国家」の成立を阻止する」
上記の目的を達成する手段は「外交」です。
巧みに、欧州大陸の各国を仲違いさせて、欧州に「巨大統一国家」を作らせない。
これを「勢力均衡(バランスオブパワー)」といいます。
《イギリスが開戦に踏み切るポイントは》
これは「地政学」という、戦後、平和ボケの中で日本で教えなくなった学問が有効です。
地政学とは・・・・Wikiより
https://web.archive.org/web/20190610074110/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6
地理的な環境が国家に与える政治的(主に国際政治)、軍事的、経済的な影響を、巨視的な視点で研究するものである。イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国などで国家戦略に科学的根拠と正当性を与えることを目的として発達した。「地政学的」のように言葉として政治談議の中で聞かれることがある。
歴史学、政治学、地理学、経済学、軍事学、文化学、文明、宗教学、哲学などの様々な見地から研究を行う為、広範にわたる知識が不可欠となる。また、政治地理学とも関係がある。
以上
奥が深いので、詳しい説明は別の機会に譲ります。
イギリスの「地政学上のクリティカルポイント(致命的な場所)とは
★ドーバー海峡をはさんだロウ・カントリーズ(海抜の低い国々)。ずばり、オランダとベルギーです。
①対スペイン・ハプスブルグ帝国
エリザベス1世の頃、スペイン領のネーデルランド(オランダ)では、海運や商業で豊かになった、オランダ市民たちが、「自治」を求めて、スペインのフェリペ2世に反抗していました。
そして、遂にオレンジ公ウィリアムが独立戦争を始めると、エリザベス女王はイングランド陸軍を派遣して、独立を支援します。
独立軍に手を焼いたフェリペ2世が、無敵艦隊(アルマダ)をイギリス遠征に向かわせて、大敗北し、それ以降スペインの脅威はなくなります。
②対フランス・ブルボン王朝
太陽王ルイ13世が、欧州制覇を目指して、オランダに侵攻すると、オランダに堤防を決壊させて、フランス軍の侵攻を阻止しました。
➂対ナポレオン戦争
ワーテルローの戦い
エルバ島から帰国したナポレオンの復活を阻止するために、ベルギーのワーテルローで、会戦が行われました。
イギリスは本格的にウェリントン将軍率いるイギリス陸軍を派遣して、辛勝し、ロー・カントリーを守り抜きました。
⑤失敗したケース;第2次大戦の対ナチスドイツ
ドイツ軍の電撃作戦に英仏軍は撃破され、イギリス軍40万は、ダンケルク(ベルギー国境までたった10kmのフランス領)から這う這うの体で、イギリス本土に逃げ帰りました。
この後、アメリカの参戦まで、イギリスはドイツ空軍による本土空襲(バトル・オブ・ブリテン)もうけ、非常な苦戦を強いられます。
《日本にとっての地政学上のクリティカルポイントはどこか?》
ずばり、朝鮮半島です。
明治の日本は、大日本帝国の安全保障のため、清国と日清戦争を行い、勝利し、清国軍の朝鮮半島撤退と朝鮮の清からの独立を認めさせました。
その後は、ご存知の日露戦争です。
若き「大日本帝国」は、帝政ロシアの陸軍が朝鮮半島を支配し、ロシア海軍が「不凍港」の釜山に海軍基地を作られたら終りなので、莫大な戦費と夥しい戦死者を出してまで、ロシアを破りました。
《韓国の釜山に「赤旗」が立ったら日本はオワコン》
確率は低いと思いますが、朝鮮半島が北朝鮮主導で統一され、釜山に「赤旗」「北朝鮮旗」が立てば、日本の安全保障の最前線は38度線から、対馬になるわけで、極めて危機的な状態になることは言うまでもないでしょう。
続きます。