書籍化されました
続きです。
公明党と自民党との共闘
創価学会・公明党と水面下で深く結びついた田中角栄
佐藤栄作長期政権中の自民党幹事長を長く務めた田中角栄は、藤原弘達の著書の出版妨害の「口利き」で動いてやったことにより、故池田大作とホットラインでいつでも話せる中となった。
スポンサードリンク
国政選挙で、創価学会票を「大量買収」していた田中角栄
池田大作が既に死んでいるとしても、この手の話は、紙の単行本としては出版できない。
しかし、保守系の雑誌では体を張ったフリーライター達が果敢な取材で頻繁に書いて、ほぼ常識となっていた。
自民党の幹事長は、衆議院であれ、参議院であれ、選挙資金の最終管理を任せられる。
そこで、角栄は、自民党候補が「苦戦」を予想される選挙区では、創価学会票を「一万票」単位で買収していた。
しかし、裏切られることはなかった。
池田大作が「健在」の頃は、「投票に行かないと仏罰を受けるぞ(怒)」と脅しをかければ、創価信者は、雨が降ろうが、槍が降ろうが命がけで、投票に行くのである。
★最近「自公連立」で、創価婦人部を中心とした有権者が、公明党の指示通り、小選挙区で自民党候補に投票しなくなったのは、「池田大作」という「重石」が無くなったからだろう(笑)
「学会票」を非公然と買収し続けることにより、角栄が采配を取る選挙で自民党は負けなしとなり、「選挙の神様」の異名をとり「ポスト佐藤」で福田赳夫を追い上げ、破って、日本憲政史上初の「小学校卒」の総理大臣となった。
政治評論家・藤原弘達が見抜いていた創価学会の本質
長期政権を続ける政権与党の「実力幹事長」から、圧力をかけられた藤原は、著作に心身ともに強烈なプレッシャーから大量の吐血をしたと吐露している。
藤原弘達曰く「創価学会の連中は皆、同じ顔をしている(怒)
これは、騒動後、藤原があちこちでの「講演会」や、雑誌のインタビューで繰り返していた憤慨コメントだった。
★今にして思えば、至極当たり前のことだが、当時はそこまで言うのが精一杯の抵抗だったのだろう。
それはそうだ、平信者から、幹部に至るまで、皆、在日朝鮮人なのだから(笑)
独特の「民族的風貌」にカルトに洗脳された人間の「独特の顔の歪み」が加われば、藤原が交渉した、創価の幹部は皆同じ顔に見えただろう。
私でも、第二次安倍政権以来、「公明党枠」の捨扶持である国土交通大臣(目くら判押すだけ)に就任する公明党議員は、みな「同じ顔」か「同じオーラ」を放っている。
少なくとも
①帰化朝鮮人
②東大卒だが、中流以上の家庭で生まれ育っていない。
正直、皆、卑しい顔に見える(怒)
私の「原初的」創価信者とのニアミス
小学校3年の時の記憶ですが、あまりにも鮮烈だったので、光景はリアルに蘇ります。
昭和40年代、今の児童と違って「子供は子供らしく単純で「野生児」」でした。
特に、私のような地方出身者は。
クラスに転校生が来ると、興味津々で、友人と二人でその子(男子生徒)の家に遊びに行きました。
隣県から転校してきたS君という男の子でした。
夏休み前の暑い日、友人二人と彼の家に遊びに行きました。
狭いアパートで、正直豊かそうではありませんでした。
そして、彼は今でいう「発達障害」に近く、会話がほとんど進みません。
手持無沙汰になった我々二人は、部屋の中をきょろきょろと見まわします。
仏壇ぽいところに、立派な額縁に入った大人の男の写真が大切そうに飾ってありました。
父親にしても、彼には全く似ていないし、「気持ち悪い顔」でした。
「おばさん、この人誰?」と聞くと
「この方は会長さんよ」とだけ答えて、詳しく説明しませんでした。
「暑いわね、麦茶でも入れようか」
おばさんは台所に行き、戻ってきました。
しかし、二人分の麦茶はヤクルトの空きぷらしちっくケースに入っていました。
私達は、飲む気になれず、「おばさん、この入れ物は何?」と聞くと
「あら、ヤクルトは体にいいのよ」といいました。
別に、息子の級友に意地悪をしている風でも有りませんでした。
私達は喉が渇いていましたが、とても飲む気になれず
「S君またね」といって、彼の家を出ました。
S君は、昔対馬の大名家をしていた華族同じ一文字の漢字でした。
今でも、顔もはっきり覚えているし、セピア色の卒業アルバムでも見れますが、正直、後になってわかったことですが、本来は養護学校に行くレベルの学習能力でしたが、何故か普通学級に6年生までいました。
当然、授業には全くついてこれませんでしたが、担任の先生は「腫れ物」でも扱うかのように接していました。
小学校を卒業すると、本来は進学すべき校区の中学校にはいかず、行方不明になりました。
しかし「透明人間」のような存在だった彼のことを思い出す級友はいませんでした。
彼と、偶然にも一歩踏み込んだニアミスをしたのは彼の家に遊びに行った私ともう一人の級友だけでした。
私が、小学校の頃、S君の家で見かけた写真の「気持ち悪い顔」の男が若い頃の池田大作だと気づいたのは、大学生になってからでした。
今現在、ネット上で若い頃の故池田大作の写真として流布しているものは、日本人らしく見えるように相当修正しています。
笑えない話です。
藤原弘達死亡時の遺族を襲った創価学会らしい気持ち悪い出来事
Wikiより
1999年(平成11年)3月3日死去。
藤原の自宅に不特定多数の者から匿名で「おめでとうございます」などという藤原の死亡を祝う電報が届いたり電話が頻繁にかかっていたとの遺族の証言が『週刊新潮』2000年(平成12年)3月30日号に掲載された[7]。
★犯人は創価学会信者しかいませんね(怒)
「純粋日本人」なら遺恨を持つ相手が死んでも、腹の中で「ザマアあみろ」と思うことはあっても、ここまで、手の込んだ組織的なことはしませんよ(怒)
続きます。