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そして、「政権与党」となった公明党と創価学会
1993年、細川護熙連立政権誕生、連立与党となる
細川内閣・・・・Wikiより
は、衆議院議員・日本新党代表の細川護熙が第79代内閣総理大臣に任命され、1993年(平成5年)8月9日から1994年(平成6年)4月28日まで続いた日本の内閣である。
非自民・非共産8党派の連立政権である細川内閣の発足により、1955年(昭和30年)の結党以来38年間政権を維持し続けた自由民主党は初めて下野することになった。
郵政大臣;神崎武法
労働大臣;坂口力
総務庁長官;石田幸四郎
環境庁長官;広中和香子
4人も大臣ポストにいますよ(怒)政務次官(現副大臣)にもいますよ。
選挙結果で自民党が下野し、公明党が連立与党に参加することが分かったとき故池田大作は、学会の講演で興奮を隠せずに言いました。
「皆さん、これからデージン(大臣?)も出ますよ」
本当に日本語が苦手ですね(爆)
しかし、これが問題視されました。
Wiki池田大作より
https://web.archive.org/web/20190627115718/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%A4%A7%E4%BD%9C8月8日
第69回創価学会本部幹部会において、細川連立政権の内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと語ったことが、国会で問題となる[21]当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨を説明。
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池田は、藤原弘達の「言論出版妨害事件」で1970年に、創価学会と公明党に対する批判本に対して、創価学会員、公明党議員らが出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」に関し、野党議員が池田の証人喚問を要請[15]。
5月3日 創価学会第33回本部総会において、「言論妨害という意図はまったくなかったが、結果として、妨害と受けとられ、関係者に圧力を感じさせ、世間にもご迷惑をかけてしまったことは、まことに申し訳ないと残念に思っております」[16]と謝罪、公明党と創価学会の分離を約束。
故池田大作はいったいどの口で謝罪し「政教分離」を公式に約束したのだろうか?
23年たったから「時効」だと思ったのだろうか?
それとも、知能が低くて、3日たてば全てを忘れるのだろうか?
結論は
- 朝鮮人は「嘘」をつく
- 平気で約束を破る
- 訴訟が大好き
「朝鮮人の民族特性」につきます。
藤原の時のような、裏に回っての陰湿な「言論妨害」はやらなくなりましたが、自分と創価学会を批判した、書籍や雑誌については訴訟を連発しています。
★細川連立内閣で、連立与党となった、この1993年に田中角栄は病死しました。
この頃から、「池田大作とかかわったものは全て滅びる」と世間で広くいわれ出しました。
★それにしてもこの内閣、本当に8か月で終わってよかったわ。冗談抜きに。
細川が8か月で辞任し、羽田孜が3か月で退陣に追い込まれると。
自民党は、旧社会党の村山富市を担いで「自社さ」連立政権で、橋本龍太郎の1998年まで何とか持たせます。
その間、5年間は公明党は野党でした。
続きます。