無限拡散|アネザイチカの再プロファイリング
多くの新興宗教を「はしご」していいとこどりをして教祖になろうとしている末端工作員
しかし、霊能力もなく、他人をしのぐほどの才能がないので、他人の物を盗み続け、行き詰ると呪詛に頼り、神社巡りをして「罪が祓われた」気になって、また、同じことをくりかえしているのではないのでしょうか。
2016年5月22日(日)手相見姐さんプレミアムイベント
「神様の言い分の聞き取り方」
審神者(さにわ)というコトバが独り歩きしている昨今、みんな大好き某社の事例をもとに「神の言い分を聴取する」ことについて解説したいと思います。
審神者とは・・・・Wikiより
とは、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のことである。後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった。
「さにわ」(歴史的仮名遣いでは「さには」)は、元は「清庭」(さやにわ)の意味で、神を祭り神託を受けるために忌み清めた庭(場所)のことを指したとする説[誰?]が有力である。
『古事記』の仲哀天皇の段に、天皇が琴を弾き、武内宿禰が沙庭(さにわ)に居て神の命を請うたという記述がある。ここで沙庭は場所の意味であるが、宿禰が審神者を務めたということになる。その後の記述では、神が神功皇后に乗り移り、神託を述べている。
『日本書紀』の神功皇后9年(209年)3月には、皇后が自ら神主となり、宿禰に琴を弾かせ、中臣氏の祖と伝えられる中臣烏賊津使主を審神者としたと記されており[1]、福岡県久山町の審神者神社が祭神として中臣烏賊津使主を祀っている。
後に、神楽で琴を弾く者のことを「さにわ」と称するようになった。平安時代の『政事要略』に「今琴弾之者を以て佐爾波(さにわ)と云、偏に以て神遊に供奉す」とある。近現代の新宗教教団においては、人についた神や霊の正体を明かしたり、その発言の正邪を判断したりする者のことを審神者と称している
私の知識の範囲内では、この「審神者」と言う言葉を多用する人は、多くの「新興宗教」をはしごして、「いいとこどり」を狙い続けた人が多いと思います。
しかし、その生きる姿勢が「我利我利亡者」の為、過去の人生で何一つ達成できなかった人だと思います。
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故井沢満との共通点と相違点
共通点は
広い意味の「朝鮮民族」であったこと。
井沢は、「中国朝鮮族」で、アネザイチカは、半島経由で日本に入国した「高麗人」である可能性が高いです。
いずれにせよ、DNAレベルで朝鮮民族であり、その行動パターンと、「純粋日本人をいかに騙すか」という生き様は同じです。
「薬物依存の多重人格者」この点も同じです。
相違点は
井沢は台本屋として実績は残せなかったけれど、曲がりなりにもNHKから注文を貰った経験があった。
「社会」の一部とは少なくとも接点があったことは確かです。
しかし、アネザイチカ=夢の宮は「日本の社会の一員」として、まともに機能したことが無かった。
その差が、「工作員」としての技術の差で現れました。
井沢は多重人格で「BBの覚醒記録人格」や「銀蠅トド子人格」のブログを巧みに使い分けました。
自作自演のコメント欄も、それぞれ「分裂人格」に決まったキャラ設定をして、そのルールを厳格に守り抜きました。
私やでれでれ草さんのブログに送り込んだ工作員にも「一定のキャラ設定」を守らせてきました。
しかし、アネザイチカには、そこまでの技術は有りません。
2015年2月の2chの「手相見姐さんをゆるくオチするスレ」でも、その時点で、6個の「分裂人格ブログ」を持っていました。
そして、他人のブログのパクリに失敗するたびに、また新たな「分裂人格」を作って、憑依するブログを探す。
2chで異口同音に言われていたのが、アネザイチカ(手相見姐さん)は頭が悪いということでした。
私もそう思います。鶏と同じで「三歩あるいたら言われたことを忘れる」レベルです。
アネザイチカは現在いくつの「分裂人格ブログ」を持っているか自分でもわからなくなっているのでしょう。
※後段へ続きます。