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1951年 日韓会談・日韓国交正常化交渉開始
1951年(昭和26年)10月20日の交渉から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までの会談を日韓会談、日韓国交正常化交渉という。(中略)独立運動家として日本を敵視し続けていた李大統領の対日姿勢もあり予備交渉の段階から紛糾した。
1951年交渉開始
竹島、戦後補償、在日の在留資格、北朝鮮への帰国支援事業、歴史問題、文化財返還問題、紛糾
1961年5月16日、
韓国で朴正煕らが5・16軍事クーデターを起こし、日韓会談は中断 。
同年6月22日
韓国のクーデター直後、池田ケネディ日米首脳会談では民政移管を条件として韓国軍事政権の支持が合意された。
1965年
アメリカの圧力で締結
日本側主張
「韓国と交戦状態にはなかったため、韓国に対して戦争賠償金を支払う立場にない」
「韓国独立に伴って遺棄せざるを得なかった在韓日本資産(GHQ調査で52.5億ドル、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドル)の返還を請求する権利がある」
1961年朴正煕来日、池田勇人首相と会談
戦争もしていない、戦勝国でもない、しかし「賠償金」請求
朴正煕議長の来日
国家再建最高会議議長朴正煕が1961年11月11日に訪日し池田勇人と会談し、朴議長は請求権問題は賠償的性格でなく法的根拠を持つものに限ると述べ、池田首相も、法的根拠が確実なものに対しては請求権として支払い、それ以外は無償援助、長期低利の借款援助を示唆し、経済協力方式による解決が提示された。
しかしこれが報道されると、韓国内で朴政権が妥協したと批判されたため、朴政権は請求権問題と「経済協力」は別々の問題であると説明した。
この日韓首脳会談が契機となり、歴史認識問題や竹島(独島)の帰属問題は「解決せざるをもって、解決したとみなす」で知られる丁・河野密約により棚上げとなり、条約の締結に至った。
1962年『妓生接待大好き』大平正芳・『用日派』朴正煕大統領の登場で「現実的」「妥協的」交渉が加速し始めた
1962年10月・11月、大平外相・金外相会談
金鍾泌韓国中央情報部長
大平正芳日本外務大臣
1962年10月、11月大平正芳外務大臣と金鍾泌大韓民国中央情報部(KCIA、現大韓民国国家情報院)部長による外相会談が開催された。
国内世論「国会や国民に合理的に納得してもらうために独立祝賀金といった名目などの理由を加えたり、請求権についてもなぜ韓国にあげなけれなばならないのか」
大平「6億ドルは到底ありえない」
10月22日池田首相と金KCIA部長会談
池田首相「法的根拠に基づいた純弁済額はいくら厚く計算しても7000万ドル」、相当な考慮によって「1.5億ドル、またはそれ以上」を提示。
11月11日会談 大平が合意「無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル」
無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル以上という条件が提示。
大平外相が40分ほど考えた末合意。
合意内容をメモし、金KCIA部長に渡した。このメモは「金・大平メモ」よばれる。
また韓国側は、韓国の軍事力が日本の国防に貢献しているため負担金を要求、日本は「韓国の防衛力は韓国自体を守るために存在している」のであり、もし日本を守るために存在するなら韓国国民のプライドが許さないはずだと反論した[18]。
★「大平・金メモ」の
金鍾泌とは・・・・・Wikiより
妻は朴正煕の姪・朴栄玉(パク・ヨンオク)。
韓国で「国母」と慕われた、朴正煕夫人の陸英修(朴槿恵の母、後暗殺される)は意地の悪い人で、随分と苛められたと告白している。
1961年に5・16軍事クーデターを朴正煕とともに主導し、朴正煕政権誕生の立役者となった。以降、朴正煕政権で初代中央情報部(KCIA)長、国務総理(首相)など要職を歴任。
1979年の朴正煕暗殺以降は議会政党指導者として有力政治家でありつづけた。
アメリカの「助け舟」で領有権を主張できる「竹島」を放棄した日本政府
アチソン・ラインとは
外務省HPより
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_sfjoyaku.html
サンフランシスコ平和条約における竹島の取扱い
ポイントは
「ドク島,または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては,この通常無人である岩島は,我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく,1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は,かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・」
戦後の「新生日本国」の独立と「領土の確定」を定めたサンフランシスコ講和条約で、連合国を代表して、アメリカのラスク国務次官補は明らかに、竹島=リアンクール岩礁は日本が放棄すべき地域ではない。
即ち、「日本固有の領土」だと文書で明言しているのです。
《美人妓生の「肉弾攻撃」に撃沈した大平外相》
妓生接待と引き換えに竹島も金も韓国に「献上」
これは、公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏が当時の証言者として、著書で述べています。
『ヤクザと妓生がつくった大韓民国』 菅沼光弘
第五章 竹島を棚上げさせた妓生の実力 P104~
政治家が骨抜きになるのはわからんでもない。容姿はむろんのこと、相手の趣味や趣向に合わせて話ができる。日本語もペラペラで、それなりの知的水準の女性が送り込まれてくるわけだから。大平(正芳)さんなんて金鐘泌と一緒にいてやられちゃったわけだ。
———大平・金睦団、ありましたね。「無償供与3億ドル、政府借款2億ドル、商業借款2億ドル」という具体的な金額までメモに残されている。・・・・・・そういうことだったんですか。あの朴訥でお堅いイメージの太平山まで。
菅沼
太平さんは金鐘泌といるときは、たいがい女の子も一緒だった。椎名悦三郎さんも妓生好きだったしね。
日韓条約で竹島の問題もそうですが、全部やられているだから。アメリカがラスク書簡で「竹島は韓国の領土になったことはない」と韓国に回答をだしているのにも関わらず、日韓基本条約では「解決しないことをもって解決とす」などといいう、実にあいまいアン着地の仕方を下。これはひとえに(韓国の立場からすれば)妓生のおかげということになる。金鐘泌や李厚洛の対日工作の勝利だね。
以上
★「用日派」大統領の朴正煕が登場して「韓国外交のお家芸」の「妓生接待」が定着した。
今では、もう常識となっていますが、日韓基本条約締結に向けた「大平WS金」の外交交渉は「秘密交渉」だったので、我々一般国民は知ることは有り得ませんでした。
★交渉の為、ソウルを訪問した大平外相を「集中的に妓生接待」で撃沈させた。
菅沼氏によると、韓国政府の用意する「妓生」は美貌と教養を兼ね備え「肉弾攻撃」の対象の相手の趣味まで徹底的に事前に情報収集するそうです。
朴正煕―全斗煥―盧泰愚と三代続いた「用日派」の軍事政権では、訪韓するたびに、「妓生の肉弾攻撃」に撃沈させられた自民党の「親韓派」議員は数えられないほどいるそうです。
2018.07.30 自民党・二階派44人がソウルで研修会、なぜ?
https://japanese.joins.com/JArticle/243576
二階俊博幹事長(79)が率いる自民党内第5派閥、二階派が31日から3日間、ソウルで研修会を開く。日本政界の有力派閥がソウルを団結大会場所に選択したこと自体が極めて異例だ。
二階派の所属議員は計44人。安倍晋三首相が属する細田派(94人)、第2派閥の麻生派(59人)、その後に続く竹下派(55人)、岸田派(48人)の次だ。
安倍首相が3選に挑戦する9月の自民党総裁選挙を控え、すでに安倍首相を支持する意志を公開的に明らかにした二階派は今回の研修会でこうした方針を公式表明する予定だ。
二階幹事長は二階派の最大の行事をソウルで開く理由について「両国関係」を強調した。
「二次会」が目的だったのかも、しれませんね。
先ず朝鮮人との交渉は、政治も経済も、「用意」された妓生を受け入れない限りは、「交渉の意思なし」とみなされますから。
大平外相、後の大平正芳総理は「哲人政治家」と呼ばれた人格者ですが、若い頃からお世辞にも「持てるタイプ」ではなかったと思います。それが、訪韓するたびに、「プロ外交官」の選りすぐりの妓生から、食事は箸で口に運んでくれる。
徹底的なサービスで一夜を共にしたら「情」が移り、それが韓国政府の「理屈に合わない要求」でも、まあ呑んでやるかということになるでしょう。
回り道をして、なかなか中曽根にたどり着けませんが、まだまだ続きます。