書籍化されました
話しを、中曽根と全斗煥に戻します。
《当時の韓国の経済事情》
1960年代前半まで世界の最貧困国だった韓国は、国内総生産 (GDP) が北朝鮮を下回っていた。日本からの無償提供資金を、韓国経済発展のための国内投資資金に回したことで半世紀で世界10位圏の経済大国に発展
漢江の奇跡(ハンガンのきせき)とは・・・・・Wikiより
韓国が、1960年代後半以降、外債を累積させながら急速に復興し、経済成長と民主化を達成した現象をさす[1]。1960年代前半まで世界の最貧困国だった韓国は、国内総生産 (GDP) が北朝鮮を下回っていた。
しかし、韓国は日韓基本条約の日韓請求権協定で個別に国民に支給すると日本側に説明して請求権資金として支払われた3億ドルの無償提供資金を、韓国経済発展のための国内投資資金に回したことで半世紀で世界10位圏の経済大国に発展し、その恩恵を受けた韓国企業は巨大な財閥に成長した。
当時に日韓交渉を担当した金鍾泌元首相(国務総理)も2017年に「1961年に誕生した政府が国家安保や経済再建を掲げて発足したが、国庫が底を突き、財源づくりのためには韓日会談の再開を通じた日本の請求権資金しかなかった」と認めている。国交を回復した後に約25年に渡る円借款などを国内投資資金の元手にして、日本からの資金・技術援助を利用することで社会インフラを構築して経済発展を遂げた。
《「漢江の奇跡》とは朴正煕の時代に完成したものではない》
良く誤解されますが、朴正煕は「韓国を先進国入りさせた英雄」として、一代で「奇跡的な経済成長」を成し遂げたと誤解されますが違います。
ポイントは
「日韓請求権協定で個別に国民に支給すると日本側に説明して請求権資金として支払われた3億ドルの無償提供資金」・・・・を「自称慰安婦」や「自称徴用工」に支払わずに、みな、鉄道や道路、港湾の建設などのインフラ投資で使い切ってしまったことです。
日韓基本条約締結時の3億ドルは、当時の円ドルレートは、1米ドル=360円の固定レートでしたから、昭和40年当時で換算すると、1080億円です。
この1080億円を、2018年の貨幣価値に直すと4.2倍なので、4536億円です。
日本銀行のHPより
https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/
昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?
回答
財(モノ)やサービスの種類によって、価格の上昇率がまちまちであるため、お金の価値を単純に比較することはなかなか困難です。そこで、「今の物価は、昭和40年と比べてどのくらいの水準なのか?」という質問に置き換え、いくつかの数字を使って考えてみましょう。昭和40年当時に1万円で取引されていた物が、現在は何円ぐらいなのか、ということから、大体の価値が見えてきます。
ここでは、企業物価指数および消費者物価指数が1つの参考材料になります。企業物価指数を見ると、平成30年の物価は昭和40年の約2.1倍なので、昭和40年の1万円は平成30年の約2.1万円に相当する計算になります。また、消費者物価指数では約4.2倍なので、約4.2万円に相当するという計算になります(計算式の(1)、(2)を参照)。
日本銀行のHPの設問の昭和40年とは、奇しくも日韓基本条約の締結された1965年に当たります。
そして、安倍総理がオバマ大統領に強要されて、結んだ「慰安婦合意」では韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出。
2015年|「元慰安婦支援財団に日本政府が10億円を拠出」合意
慰安婦問題日韓合意とは・・・・・Wikiより
2015年(平成27年)12月28日の日韓外相会談でなされた日韓間の慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日本政府と大韓民国政府の合意である[1][2][3]。日本側の公式名称は日韓合意[4]。
(中略)
韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出し、両国が協力していくことを確認した
★中国の習近平に擦り寄ろうとして「コウモリ外交」を続ける朴槿恵を、日米側に引き留めるために、当時の韓国世論と「自称慰安婦」達に納得させる「慰謝料」のぎりぎりの妥結額でした。
この10億円を、日韓基本条約が締結された1965年当時の金額に再計算すると、先ほどの計算の「逆」で4.2で割ればいいわけですから、
10億円÷4.2=2億3千万円です。
無償3億ドル=1080億円は、470倍も払い過ぎていたわけです(怒)
《日本人の慰安婦に「個人補償」をしないのなら韓国の「自称慰安婦」にも補償すべきではなかった》
★日本に「性奴隷大国」の烙印を押させた「村山談話」の時、「日本人慰安婦に対する保証はどうするのか?」と質問され、村山富市は絶句した。
もう、ほとんどがお亡くなりになっていると思いますが、彼女たちは名乗り出ないでしょう。
「お国の為」に従事したことですから。
《「ベトナム戦争特需」もなくなり、苦境に追い込まれていた朴正煕と韓国経済》
10年以上の年数と膨大な軍事費と5万人の戦死者を出しても勝ち目がないことを悟ったアメリカのニクソン大統領とキッシンジャーは、1973年に、「パリ和平協定」を結んで、さっさと撤退してしまいました。
参戦しても、ベトコンや北ベトナムの正規軍からは逃げ回り、無関係な南ベトナムの農村を襲い、虐殺と強姦殺人を楽しんで「ライダイハン」を大量に作りながらも、韓国は、潤沢な参戦報酬を受け取っていました。
しかも、基軸通貨の米ドルだったので、経済成長の為の輸入の貿易決済には不可欠でした。
しかし、1973年に南ベトナムから撤兵すると、貴重な外貨収入が無くなりました。
更に、1972年にニクソンが訪中し、アメリカと共産中国が国交を結ぶと、「反共の防波堤」としての韓国の価値は低下します。
そして、1976年に「人権外交」のカーター大統領が登場すると、「開発独裁」で「人権弾圧」をしている朴正煕に対するアメリカの見る目が冷たくなってきます。
日韓基本条約で日本から受け取った無償3億ドル(無償とは返済義務がないこと)はインフラ投資で使い切ってしまいました。
秘かに進めていた「核開発」もアメリカに阻止され、八方ふさがりになっていた朴正煕は1979年に、腹心の金載圭KCIA部長に射殺されます。アメリカの謀殺説も消えません。
★「権力の空白期間」に資金も底をついて、経済成長はマイナスとなります。
そこに「軍事クーデター」で権力を握った全斗煥は、また日本に「ゆすりたかり」をすることを思いついたのです。
★「日米安保条約」については「認識不足」だった鈴木善幸首相も、園田外務大臣は、韓国と全斗煥の「たかり」に気付いて、簡単に妥協しませんでした。
「退陣」しなければならないほどの政策の失敗もないまま、アメリカと自民党の親米派からの圧力と、政権を支える田中派から見放されて、鈴木首相が突然の辞任をした後に、全斗煥とは異様に「ケミストリー(体質)」の合う、中曽根の総理就任は、渡りに船でした。
※続きます。