書籍化されました。
※韓国|行き詰まる外交と経済(2)からの続きです。
《韓国の「構造的な対日貿易赤字」》
図8-2 韓国の対日輸出入の推移
年度ごとに、韓国の輸出額と、対日輸入額を棒グラフで並べています。
1990年以降の韓国の経済成長を牽引したのは、「半製品(部品)を輸入し加工輸出する経済」です。
韓国の経済成長とともに、輸出額を示す棒グラフは伸びていますが、それ以上に、「対日輸入額」の棒グラフが伸びているのが特徴です。
そして折れ線グラフの「対日貿易収支(対日輸出額―対日輸入額)」は一貫してマイナス=貿易赤字で韓国の経済成長とともに「赤字幅」が拡大しているのが、顕著な特徴です。
1998年だけ、対日貿易収支が「改善」=ゼロに近づいているのは、この年に「アジア通貨危機」があったからです。
アジア通貨危機とは・・・・WIKIより
1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象である。東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼした。
概要
アジアの通貨下落は、アメリカ合衆国のヘッジファンドを主とした、機関投資家による通貨の空売りに惹起されたものである。狭義にはアジア各国における「自国通貨の為替レート暴落」のみを指すが、広義には、これによって起こった金融危機(アジア金融危機)を含む経済危機を指す。
前述のタイ・インドネシア・韓国はその経済に大きな打撃を受け、IMF管理に入った。マレーシア・フィリピン・香港はある程度の打撃を被った。中国と台湾は直接の影響はなかったものの、前述の国々から間接的な影響を受けた。
日本に関しては、融資の焦げ付きが爆発した。また緊縮財政と消費税増税のタイミングが重なった結果、1997年と1998年における金融危機の引き金の一つとなった。そして1998年9月の日本銀行政策金利引き下げ、10月7-8日の日本円急騰(2日間で20円の急騰)、10月23日に日本長期信用銀行の破綻と国有化、12月13日に日本債券信用銀行の国有化へと繋がる一連の金融不安の遠因となった。
また新興国における通貨不安はアジアに留まらず、1998年8月17日からのロシア通貨危機、1999年1月ブラジル通貨危機など、その他の経済圏でも同様の混乱を招いた。
★私は、当時現役のサラリーマンで、金融業界にいましたが、渦中の中にあって「全体像」はわかりませんでした。
日経新聞や、TVニュースで「タイ通貨バーツ暴落」と言う見出しがひたすら踊っていました。
当時は、飽くまでも「対岸の火事」だと思っていましたが、「タイ・バーツ暴落」が引き金となって、日本を含む、ロシアや地球の裏側のブラジルの通貨危機にまで波及していたことを知って、改めて驚愕しています。
ヘッジファンドとは・・・・WIKIより
金融派生商品など複数の金融商品に分散化させて、高い運用収益を得ようとする代替投資の一つ[1]。ヘッジファンドは厳格な規制を免れている。機関投資家らが1990年代に高い運用成績を残したが、近年では世界金融危機後の不振が目立つ[5]。
空売りとは・・・・WIKIより
投資対象である現物を所有せずに、対象物を(将来的に)売る契約を結ぶ行為である。商品先物や外国為替証拠金取引でも用いられる用語だが、差金決済を前提としたこれらの市場では売り買いとも「空(から)」である事が前提であるため端的に売り、ショート[1]と呼ぶことが多い。対象物の価格が下落していく局面でも取り引きで利益を得られる手法のひとつ。対義語は「空買い」。
《「アジア通貨危機」が「タイ・バーツ暴落」から始まった経緯》
日本、台湾、フィリピンを除くアジアの殆どの国家は、米ドルと自国通貨の為替レートを固定する「ドルペッグ制」を採用していた。それまではドル安の状態で、比較的通貨の相場は安定していた。
また欧米諸国は、固定相場制の中で金利を高めに誘導し、利ざやを求める外国資本の流入を促し資本を蓄積していた。一方でアジアは、輸出需要で経済成長するという成長システムを採用していた。中でもタイ王国は、このパターンの典型的な成長システムであり慢性的な経常赤字であった。
ドルペッグ制とは・・・・WIKIより
自国の貨幣相場を米ドルと連動させるペッグ制(固定相場制)をさす[1]
概要
経済基盤の弱い国・政情不安定な開発途上国の場合、それらの要因を敏感に反映し自国の貨幣相場が不安定な変動となりがちであるため、自国への海外投資や安定した経済運営を阻害し、取引を行う国々にとっても他国通貨による大きな不安定リスクの影響を受けることになる。
こうしたリスクへの対処と通貨相場の安定を目的として、政府や中央銀行などが金利調節や為替介入を行い、経済的に関係の深い大国の通貨との為替レートを維持する仕組みをペッグ制と呼ぶ。 ペッグ制の中で、実質的な基軸通貨である米ドルと連動させる場合を特にドルペッグ制とよぶ。ドルペッグ制を採用する国々では、自国への海外資本流入を目的に、金利に関して米ドルよりも高い金利を設定するケースが多い。
メリット
- 基軸通貨である米ドルとシンクロ(連動)させることで、自国通貨の安定をもたらし不安定な自国通貨変動リスクを防ぐ
- 自国通貨がドルと連動することで、対米貿易の採算を安定させる効果がある[2]ため、主な収入がドル建ての国には妥当な制度である。
- 自国の経済が好調な(本来なら通貨高になる)時にドルが弱い状態の場合は、経済的に特に有利に働く。
《国の「経済実績」と「自国通貨の評価》に大きな「ズレ」が生じた時に、機関投資家のファンドマネージャー(運用担当者)達から狙われる》
タイ王国が「ヘッジファンド」の最初のターゲット(標的)にされた理由
➀タイバーツと米ドルの「交換レート」が固定されていた。
②対米輸出主導の経済成長を続けてきた。
③アメリカが「不況」で「米ドル安」であれば、タイバーツの方が強く、「自由相場」であれば、タイバーツの方が米ドルに対して値上がりするはず。
④タイバーツが値上がりすれば、輸出品も値上がりしてアメリカ市場での競争力を失うが、「ドルペッグ=固定相場」なので、安い価格で輸出を続けられる。
⑤この頃、アメリカの景気が持ち直したため、米ドルはタイバーツより「強く」なり、対米貿易収支が赤字となり、慢性的な経常赤字が続いていた。
《タイは「貿易赤字」「経常赤字」が続いているので、実際のタイバーツの「値段=対米ドル交換レート」はもっと安いはずだと「判断」した「投機マネー」が「タイバーツ売り」を仕掛けた》
巨大機関投資家(「機関」とは「組織」「法人」のことで「個人投資家」の反対語)、例えば、アメリカの「カリフォルニア州年金基金」のファンドマネージャー(資金運用担当者)は、外国為替市場で、大量の資金を動かして、「タイバーツ売りと米ドル買い」の取引を行います。
★尚、このような取引は「経済行為(儲ける為)」なので「犯罪」ではありません。
機関投資家が動かす大量の資金での「タイバーツ売り・米ドル買い」の取引は、経済規模の小さいタイ王国にとっては「台風並みの自然災害」なので抵抗できません。
★タイバーツは「外国為替市場」で、市場参加者(様々な投資家)が「妥当だ」と納得する水準まで、下げられて落ち着くことになります。
「無駄な抵抗」と諦めたタイ王国は、ドルペッグ制(対米ドル固定相場)を断念して「変動相場制(市場が交換レートを決める自由為替相場)」に移行しました。
★今まで、「対米ドル固定相場」で、赤字を隠していたタイの企業や銀行が軒並みバタバタと「連鎖倒産」して「経済パニック」となりました。
この動きにつられて、タイと全く同じ状態だった韓国も、幾つかの財閥企業の倒産、倒産した財閥企業の取引先の中小企業の連鎖倒産に見舞われました。
《アジア通貨危機で崖っぷちに追い詰められた国はIMF(国際通貨基金)の管理下に入らざるを得ない》
当時の韓国の大統領は、朴正煕→全斗煥→盧泰愚と三代続いた「軍事政権」が終わり、初めての「文民政権」の金泳三が大統領でしたが、前の記事に書いたように、民主活動家時代に、朴正煕から弾圧されていたので「逆恨み」して骨の髄から「反日」でした。
その露骨な「反日言動」や「反日政策」で日本政府に嫌われていたので、日本政府からの「単独金融支援」は公的には受けられませんでした。
★大統領の任期が迫ったときの「アジア通貨危機」の余波をもろにかぶって、一気にレームダック(死に体)となり任期一杯で退任せざるを得ませんでした。
《1998年「IMF管理下」に入った韓国は実質的に国家破綻した》
日本からの「単独金融支援」が受けられなかったので、金泳三には国を滅亡させないためには「IMFの緊急支援」を要請するしかありませんでした。
★韓国にとっては「金融敗戦」でした。
《IMFの緊急融資を受けるためには「IMFの管理下」に入り、要求された「政策」を全て呑まなければならない》
★これは、IMFが当事国を緊急支援するときの「絶対ルール」であり「お約束」です。
金泳三の「尻ぬぐい」をして「IMF金融敗戦」の後始末をしたのは、同じ「民主化運動家」でありながら、激しいライバル関係にあった金大中でした。
彼は、IMFの指示通りに「経営危機に陥った財閥」の統廃合や整理を余儀なくされたのです。
韓国|行き詰まる外交と経済(4)へ続きます。