書籍化されました
《横須賀小泉家4代と北朝鮮の縁》
北朝鮮金王朝3代を語る場合、元総理の小泉純一郎の祖父小泉又次郎に遡る小泉家4代を避けて通ることはできません。
「成りすまし金日成」こと金聖柱が、満州で「匪賊」として「凌奪」の限りを尽くして暴れまわっていたころ、
後に、日本人総理として「初訪朝」した小泉純一郎の「家」と朝鮮半島の「奇縁」がクロスし始めます。
昨年、元女子アナの滝クリと結婚して、妻の「素材を生かす夫育成術」で「総理の芽の消えた」小泉進次郎のシリーズで、
彼の曾祖父の「入れ墨もの」の小泉又次郎について触れました。
政治家に成る前の小泉又次郎は、連合艦隊の本拠地の「軍都」横須賀港の、「荷役稼業」を請け負う「小泉組」の「組長」でした。
該当記事の解説で書いた通り、「部落出身のヤクザの組長の息子」であることをカミングアウトしている作家の宮崎学の調査通り、
「小泉組」とは、成り立ちが、神戸港の港湾労働者を束ねて拡大した「山口組」と同じヤクザです。
小泉又次郎
入れ墨があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。神奈川県平民[2]。
又次郎は、1865年生まれ、維新の三年前です。
職を転々としながら、「小泉組」の経営と、県議として「普選運動」に異様な執念を燃やしましたが、
その時の又次郎の言葉で記録に残っているのが
「特権の牙城(がじょう)から民衆を睥睨(へいげい)[31]していた特権階級を正義、平等の一線まで引き下ろす[30]。
それとともに虐げられた下層階級の地位を正義、平等まで引き上げる[30]
でした。
「虐げられた下層階級の地位を正義、平等まで引き上げる[30]」・・・いい言葉ですね~
「部落解放同盟」の主張と一致する点が強いですね。
ちなみに「御生誕の地」と公認されているのは
略年譜
• 1865年(慶応元年)
6月10日(5月17日 (旧暦)) – 武蔵国久良岐郡六浦荘寺分村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道2丁目)に生まれる。
横浜市金沢区大道町2丁目となっています。
Googleストリートビューで見ると「小泉又次郎生誕の地」というのが有ります。
そして、すぐ近くに「白山神社」が有ります。
「新平民」だった可能性が高いですね。
※続きます。