書籍化されました
《日本政府は何故、朝鮮銀行を設立したのか》
日本は、近代化間もない極東の小国でしたが、日清、日露両戦争で、大国を相手にした「総力戦」に見事勝利しました。
台湾という、新しい領土と、朝鮮半島という「内地の延長」が出来ました。
ちなみに、日本が清国に勝利した下関条約では「清国は台湾を大日本帝国に「永久割譲」する」とうたわれています。
「永久割譲」ですよ。
そして、大東亜戦争終結後のサンフランシスコ講和条約では、台湾については
「日本は台湾及び澎湖諸島の「施政権=行政権」を放棄するとうたっているだけで、
「何国に割譲する」とは一言も書いていません。
従って、電子書籍「国際法上は台湾の主権は まだ日本にある」伏見顕正(t)
にでも書きましたように、現在の「台湾(及び澎湖諸島)の国際法上の帰属地域は未定」であります。
《1972年の「日中共同宣言」の「一つの中国論」の正しい解釈》
1972年に時の首相の田中角栄は訪中し「日中共同宣言」を出しました。
その中に、所謂「一つの中国」と解される文言があります。
中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」・・・・「理解し、尊重し」ですから、
日本国政府は中国共産党政権の主張する「一つの中国論」を厳守する義務は有りません。
加えて、1978年に締結された日中平和友好条約には、「台湾の帰属問題」には、一切触れていません。
日中平和友好条約日本語全文(外務省)
ですから、「台湾政府及び台湾の方々の民意」が「俺たちを「日本国」に戻せ(怒)」というのであれば、私は「日本政府は受け入れる義務が有り、台湾政府と台湾の方々にはその権利がある」と確信しています。
《日本政府は、戦前「大日本帝国臣民」だった台湾の方々、または該当者がお亡くなりになっていたら、その遺族、血を引く方々に「戦後補償」をする義務が有る》
大東亜戦争中、台湾の人々は原住民の方も含め男女を問わず、帝国軍人、軍属、内地での「少年工」、
又は台湾以外の外地、満州国等で官吏として働かれていました。
終戦後、生還された方及び戦死された方々の御遺族、血縁者には「日本人並みの軍人恩給」、
を全て「本土並み」で、補償すべきだと思っています。
このことについては、私なりの具体的な案がありますので、また別の機会に述べたいと思います。
話しを朝鮮銀行に戻しますと、日清、日露両戦争に勝ち抜き、幕末の不平等条約を全て解消し「列強」の仲間入りを果たした日本は、通貨「円」が当時の国際経済の「基軸通貨」となりました。