書籍化されました
《「円」が基軸通貨であったからこそ「世界大戦」を戦い抜けた》
※③からの続きです。
「基軸通貨」をわかりやすく言うと、貿易の決済を「円建て」にできるということです。
決済とは
経済学用語のひとつである。取引等の経済活動の際に行われる。決裁とは異なる。
概要
決済とは、金銭等によって支払を行い取引を終了させること、または、金銭上の債務や債権等を清算することである。
主に企業を一人称とする場合に使用されるが、広義には人にも当てはまるものであり、その場合も「決済」していることになる。
「金融」を外国に握られると、即ち、自国通貨が「基軸通貨」ではない、「ローカル・カレンシー(地域限定通貨、例えば韓国ウォンや、人民元)」である場合はいざというときに「戦費」がどこからも調達できない可能性が高くなります。
日露戦争では、後の総理大臣の高橋是清が起債で随分苦労しました。
起債とは
(きさい)とは、国債、地方債、社債などの債券の発行や募集をすること。
狭義では、地方公共団体が地方自治法230条の規定に基づき実施する地方債発行(地方債を起こすこと)を指す。
高橋是清は、極東の新興小国日本が、世界最大最強の陸軍国のロシアに勝てるとは信じてもらえず、応じてくれたのはユダヤ人富豪のクーン・ローブ商会のヤコブ・シフのみでした。
ヤコブシフは、帝政ロシア内で行われている「ユダヤ人の無差別虐殺」の「ポグロム」に怒りを感じていたので、日本を応援してくれました。
ヤコブ・シフ
ドイツ生まれのアメリカの銀行家、慈善家。高橋是清の求めに応じて日露戦争の際には日本の戦時国債を購入した。
勲一等旭日大綬章を明治天皇より贈られる。
フランクフルトの古いユダヤ教徒の家庭に生まれる。代々ラビの家系で、父は銀行員だった。
1370年からフランクフルトのゲットーで、初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルド時代に「グリューネシルト(緑の盾)」
と呼ばれる建物にロスチャイルド家とともに住んでいた。
ロシア・日本との関係
日露戦争に際しては、日銀副総裁であった高橋是清が外債募集のためアメリカにわたるが、どこも公債を引き受けようとしなかった。
ついで2年前に日英同盟が結ばれていたイギリスにわたり、香港上海銀行のロンドン支部長だったユーウェン・キャメロン(デーヴィッド・キャメロンの高祖父)らのシンジケートから500万ポンドの公債引き受けをなんとかとりつけるが、バクー油田の利権を獲得していたイギリス・ロスチャイルドに融資を断られる。第1回の戦時国債は1,000万ポンドが必要だった。
そんななか、ある銀行家の晩餐会で隣席したシフより「日本兵の士気はどのくらい高いか」などとの質問をうけ、高橋が応答すると、翌朝、500万ポンド公債をシフが引き受けることが伝えられた。
1904年5月、日本は戦時国債を発行することができた。
シフは2億ドルの融資を通じて日本を強力に資金援助したことで、日本勝利と帝政ロシア崩壊のきっかけを作った。
以後日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を募集、シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズなどに呼びかけ、これも実現する。
結果として日本は勝利を収め、シフは一部の人間から「ユダヤの世界支配論」を地で行く存在と見なされるようになった。
またこれ以後、高橋との親交を結んだ。
のちにシフが高橋に語ったところによれば、融資の理由はロシアでの反ユダヤ主義(ポグロム)に対する報復だったと言われている。
「ロシア帝国に対してたちあがった日本は神の杖である」とのち回想録に記している。
日露戦争後の1906年、シフは日本政府に招聘され、皇居を訪れ、明治天皇より最高勲章の勲一等旭日大綬章を贈られた。
シフの帝政ロシア打倒工作は徹底しており、第一次世界大戦の前後を通じて世界のほとんどの国々に融資を拡大したにも拘らず、
帝政ロシアへの資金提供は妨害した。1917年にレーニン、トロツキーに対してそれぞれ2,000万ドルの資金を提供してロシア革命を支援した。
イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相の高祖父さんからもお世話になっていたんですね。知りませんでした。
ポグロム
ロシア語で「破滅・破壊」を意味する言葉である。特定の意味が派生する場合には、加害者の如何を問わず、
ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。
歴史的にこの語は、ユダヤ人に対して、自発的計画的に広範囲に渡って行われる暴力行為と、同様な出来事について使われる。
帝政ロシア政府は社会的な不満の解決をユダヤ人排斥主義に誘導したので助長されることになった。
1903年から1906年にかけての度重なるユダヤ人襲撃はユダヤ人の国外脱出の引きがねとなりシオニズム運動を招くことになった。
この時の高橋是清の教訓の元に、大東亜戦争前に朝鮮銀行や台湾銀行の金融ネットワークを設けておいたお陰で、日本は中国大陸に進出し、大東亜戦争を4年も戦うことができたのです。
大東亜戦争前、日本に対する経済制裁は様々な形で行われていたものの、大戦中、日本がほとんどインフレに陥ることが無かったのはこのおかげです。
《日本は大東亜戦争の最中も、日露戦争の戦時国債の借金を返済し続けて完済した》
凄いですね~、日米戦争、1943年以降の「負け戦」の間も「借金」を返済し続けて、結局完済したそうです。
それで培った「信用」あってこそ、戦後復興期に東海道新幹線の建設費を世界銀行に融資してもらって、調達できたのです。
世界銀行
各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う国際機関である。
本部はアメリカ合衆国ワシントンD.C.。加盟国は189ヶ国。
当初、世銀は国際復興開発銀行(IBRD)のみを指していたが、現在では1960年に設立された国際開発協会(IDA)と合わせて構成されている。
国際通貨基金(IMF)と共に第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担い、貧困削減と持続的成長の実現に向け、
途上国政府に対し融資、技術協力、政策助言を提供している。
1950年代と1960年代を通じて、融資総額の半分以上がインフラストラクチャーへの投資で占められているなど、
融資は大規模プロジェクトへのものが中心を占めていた。このころの世界銀行の主要貸し出し国のひとつは日本であった。
1952年に世界銀行に加盟した後、1953年から日本の借り入れが始まり、合計8億6,000万ドルを借り入れ、
その資金は東海道新幹線や名神高速道路・東名高速道路などのインフラの整備に充てられた[4]。
やがて、日本の経済成長とともに、途上国から順調な経済成長にもかかわらず世界銀行からの融資を受け続けていることへの
批判が高まったことを受け、1967年には経済成長によって投資適格国から卒業し、以後新規融資は停止されることとなった。
その後日本は世界銀行への純出資国となり、出資割合も経済の成長とともに急激に伸びていって、
1971年には日本は5大出資国の1つとなって理事一人を自由に任命することができるようになった。
世界銀行への残存債務も返済は順調であり、1990年7月には世界銀行からの借金を全額返済することとなった[5]。
話しを鮫島純也に戻します。
※続きます。