小泉純一郎と暴力団
《絶対に当選する「世襲弔い選挙」で落選した小泉純一郎》
学生時代の「女子大生レイプ事件」でロンドンに「逃亡中」だった小泉純一郎。
この年、1969年8月10日に、小泉の実父の小泉純也が65歳で急死します。
「政治」でしか食っていけない「政治屋小泉家」は当然ながら、亡父の地盤を長男の小泉純一郎に世襲させなければなりません。
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弔い選挙で落選した小泉純一郎の青春
「強姦の常習犯」「横須賀のスーフリ」だった小泉純一郎の地元の評判は最悪だった
「小泉純一郎と日本の病理」 藤原肇(著)
スーパーフリー代表の和田氏は、総連幹部の息子だった。
スーパーフリー事件
早稲田大学のイベントサークルを舞台にして組織的に行われた大規模な輪姦事件。
早稲田大学の公認[2]インカレサークル「スーパーフリー」のメンバーである大学生らは、1998年4月頃[3]から常習的に女子大生らへ輪姦を行っていた。輪姦された女性の数は数百人以上に上る。2003年5月18日に警察に被害届が出されたことで発覚した。早稲田大学の他にも東京大学、慶應義塾大学、法政大学、学習院大学、日本大学といった首都圏の名門大学出身[4]の学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。
小泉「不純ちゃん」の、地元での評判の悪さ
ロンドンに「逃亡中」だった小泉純一郎の元に、父の訃報が届き、帰国にもたついているうちに、地元横須賀では、対立候補達が手ぐすね引いて待っていました。
対立候補達は、地元での小泉純一郎の「悪評」を利用して、ネガティブ・キャンペーンを既に展開していました。
怪文書の様なビラが横須賀市内に大量にばらまかれたと言います。
内容は「小泉純一郎が地元横須賀で女子大生をレイプして現行犯逮捕された」という内容だったらしいですが、これは「怪文書」と言うよりは「真実」でした。
こんなビラをまかれなくとも、横須賀の地元民は、小泉が「強姦常習犯」であることは知っていました。
「純ちゃん」ではなく「不純ちゃん」と陰で呼ばれていたそうです。余罪は多数あり、泣き寝入りした被害者が多かったのでしょう。地元では、性犯罪者として認識されていたことがわかります。
票が公明党に流れ、公明党候補がトップ当選
この時、小泉純一郎に対する「ネガティブ・キャンペーン」の指揮を執ったのは、後の公明党書記長の市川雄一だったと言われています。
市川雄一は、巧みな「ネガティブ・キャンペーン」で「故小泉純也の弔い同情票」を吸い上げて、何と、公明党の松尾正吉をトップ当選させました。
「中選挙区制時代」とはいえ、創価学会を支持母体とする公明党候補が自民党や社会党の候補を抑えてトップ当選するなど他に例を見ません。
如何に、小泉純一郎が地元での評判が「最悪」だったということの証左でしょう。
松尾正吉
1915年(大正4年)- 1997年(平成9年)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(1期)。
経歴
群馬県生まれ。高等小学校を卒業する。卒業後は上京し、プレス加工業を営み、川崎市議、神奈川県議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙において神奈川2区から公明党公認で立候補してトップ当選した。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。次の1976年の第34回衆議院議員総選挙には立候補しなかった(後継者は市川雄一)。
選挙区内にビラを大量にまかれただけではなく、遊説中に小泉が、公園のトイレに入ろうとすると、中から若い女性が赤ん坊を抱いて出てきて、小泉に対して「あなたの子よ」と近づいてきて、腰を抜かしたなどと言う話が地元に残っています。
圧倒的に不利な状態に置かれた小泉は、祖父の小泉又次郎が逓信大臣だった関係で、選挙区内の郵便局をくまなく回って、選挙協力を要請しましたが「小泉の悪評」に、「郵便局の組織票」は、同じ自民党の田川誠一に流れてしまいました。
「郵便局の組織票」に助けてもらえなかった小泉純一郎は「逆恨み」して、それ以降30年間「馬鹿の一つ覚え」の様に「郵政民営化」を念仏の様に唱え続けます。
けっして「政策的な根拠」があったわけではなく、只の「私怨」でした。
この選挙では、小沢一郎が急死した父の小沢佐重喜の「世襲弔い選挙」で当選しています。
《実父の「世襲弔い選挙」で落選したのは自民党史上、小泉純一郎ただ一人だけという不名誉》
・世襲と言う、既に後援会組織も出来上がった「選挙基盤」
・「弔い」に対する「同情票」
私が、現在から過去に遡って、知っている限りでは自民党公認候補で、「世襲弔い選挙」で落選した例は聞きません。
最も有名な例は、現職の総理大臣で在任中に急死した小渕恵三総理の弔い選挙での娘の小渕優子の圧勝です。
小渕優子
衆議院議員に就任
2000年(平成12年)4月3日に、父・小渕恵三は脳梗塞により緊急入院、翌5月に逝去。
同年6月の第42回衆議院議員総選挙に群馬5区から自由民主党公認で出馬し、16万票超を獲得して、26歳で初当選した(当選同期に竹下亘・梶山弘志・後藤田正純らがいる)。
この時の「当選同期」では
竹下亘・・・・死亡した竹下登の実弟で「世襲弔い選挙」
梶山弘志・・・・・実父の梶山清六の「世襲弔い選挙」