《「大勲位」中曽根康弘の「功罪」と「光と闇」を検証する》
※出版されました
「負の部分」については、既に電子書籍化した
で一部述べましたが、中曽根康弘という男は生涯「巨大な闇」を背負い続けて、言えないことはそのまま「墓場」までもっていってしまいました。
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《経済政策は、サッチャーやレーガンを真似て「弱肉強食」の「新自由主義」を持ち込んだ罪は重い》
「増税なき財政再建」を達成するために、現業官庁の「民営化」を進めました。
■国鉄の民営化→JR
■電電公社の民営化→NTT
■専売公社の民営化→JT(日本たばこ)
■日本航空の完全民営化・・・それまで株主構成が「半官半民」でしたが政府保有分の株式を全て売却しました。
中曽根が「増税なき財政再建」路線を採用したのは、「増税」すると自民党は選挙で確実に負けるからです。
現在、「富裕層を除く日本国民全員」を苦しめている「消費税」という非人道的で「無差別大型間接税」は、大平正芳の時は「一般消費税」、中曽根の政権末期は「売上税」という名称で、地縛霊の様に、国民が忘れた時に必ず姿を現していました。
特筆すべきは大平正芳も中曽根康弘も共にこの「大型間接税」を公約に掲げた直後に「レームダック(死に体)」となり、急死や退陣に追い込まれたのです。
《中曽根が生涯自慢し続けた「国鉄の民営化」は現在も「未完成」です》
「巨額の赤字の垂れ流し」と「ストライキの頻発」「だらけ切った国鉄職員の勤務態度」は、「民営化」と「不良組合の追放」しか道は残されていませんでしたが民営化の実現が迫ると「人員整理」を狙うJR3社(JR東日本、西日本、東海)の人事担当者を悩ませたのは「手元に残しておきたい優秀で勤務態度の良い社員」達のほとんどが、声をかけてくれた民間企業に再就職していったという「大誤算」でした。
《民営化後も職場に残った旧国鉄社員は「カス」と「カツ」ばかりと言われた》
「カス」とは仕事ができず、なおかつ勤務態度の悪い社員。
「カツ」とは「活動家」の意味で、鉄道会社本来の仕事より「組合活動」に血道をあげる問題社員のことです。
《JR東日本は中曽根の「人事のミス」により、現在も「極左テロ集団」の「動労(どうろう)の影響下にある》
中曽根は、JR東日本の初代社長に住田正二(すみたしょうじ)という運輸官僚を就任させたために、鉄道業の現場が分からない住田は「鬼の動労」と呼ばれた「武闘派組合」の委員長の松崎明にいい様にコントロールされた。
革マル派委員長も兼ねた動労委員長の松崎明は「内ゲバ殺人」などを繰り返しながらも、2010年に死去するまで23年間「暴力」と「脅し」で内部からJR東日本を支配し続けました。
《多くの「疑獄事件」を悪運強く逃げ切った(怒)》
ロッキード事件の「全日空ルート」での関与を疑われましたが腹心の佐藤孝行を身代わりに差し出すことによって逃げ切りました。
ロッキード事件に関しては、疑獄が発覚した際に、中曽根自らが動いて、駐日アメリカ大使館に「揉み消し」を依頼したともいわれました。
後に、佐藤孝行は有罪判決を受けています。
■リクルート事件への関与
事件発覚後、野党は予算審議と引き換えに中曽根の証人喚問を要求したが、中曽根はこれを拒否し、竹下政権は竹下自身の不始末も手伝って瓦解した。その後、中曽根はリクルート事件の責任を取って党を離れるものの復党し、1994年の首班指名選挙では村山富市首班に反発し、小沢一郎と共に海部俊樹を担ぐが失敗する。しかし、党からは貢献度を重視して不処分であった。
「中曽根派のプリンス」と呼ばれた藤波孝夫は中曽根政権の、1983年12月~1985年12月まで官房長官を務めていた為、受け取ったリクルートの「未公開株」と公務員採用時期を民間企業の就職協定の時期に合わせる旨の請託をリクルートから受けた受託収賄罪で在宅起訴されました。
《「必ず利益の出る未公開株」の受け取りと、リクルートの江副浩正への「便宜供与」が内閣官房長官という「地位」の為に「職務権限有り」と判断され収賄で起訴されたのです》
藤波は最高裁まで争って敗訴して結局、有罪判決を受け、失意のうちに2007年に死亡しました。
藤波の葬儀に、「極道政治家」のハマコーこと浜田幸一が参列して「中曽根の人殺し~」と大声で絶叫したのは有名な話です。