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因業深い河野家:50歳未満の若い読者に知ってほしい「自民党内極左派」「自民党内反体制派」という河野一族三代の「立ち位置」
■「血は争えない」「血は水よりも濃い」「その家の家風とDNAの叫び」通りに行動する世襲政治家一族
祖父 河野一郎
・・・・Wikipediaより
1898年〈明治31年〉6月生まれ – 1965年〈昭和40年〉没67歳)は、日本の政治家。副総理、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。
自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。
農林大臣、建設大臣、副総理、を務めた。また、地元神奈川県県政にも強い影響力を持ち、県は「河野王国」とも呼ばれた。
横紙破りとは・・・・Goo辞書より
和紙は漉き目が縦に通っていて横には破りにくいところから。
自分の思ったとおりを無理に押し通そうとすること。また、そのような人。
与党保守政党幹部なのに、右翼に自宅を焼かれた。それほど嫌われていた。
右翼「かねてから河野大臣が自民党内の派閥抗争を激化さしておる。その反省を求めるためにやった。行動については、自分が一人で計画して行なった」
河野一郎邸焼き討ち事件・・・・・Wikipediaより
概要
1963年7月15日の朝、大物右翼であった野村秋介は松野卓夫とともに、神奈川県平塚市にあった自民党の政治家・河野一郎(当時は建設大臣)の私邸に侵入した。河野は名神高速道路の開通式に出席するため関西へ出張中で不在だったが、野村が河野の秘書の紫藤研一らに対し拳銃を突きつけて脅迫。家人全員を家の外に逃がした後で、松野が応接間の中にガソリンをまき、野村が点火。新築したばかりの河野邸の木造平屋建て(一部二階建て)251平米の建物は全焼した。
《河野太郎と麻生太郎はお互いに祖父同士が「天敵」の関係》
吉田茂と河野一郎は犬猿の仲
それぞれの孫が、麻生太郎と河野太郎、仲がいいわけがない
1963年7月
憂国道志会の野村秋介により、河野一郎の自宅が放火される
三木「随分ご機嫌ですね」
吉田茂は、「三木君は知らんのか! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」と、大喜びをした。
吉田周辺「罰があたった!」
その46年後、吉田の家も全焼した。
・・・ウィキペディアより
吉田茂は嫌いな人物は?と聞かれると「河野一郎と李承晩(韓国の初代大統領)」と答えるのが常だった。
そして今、それぞれの孫が現在、同じ派閥の領袖と部下という不思議な縁。
二代目:父 河野洋平 御存知「河野談話」の人物
「保守の敵」で親中リベラル左派でハト派
自民党の「金権政治」を批判して新自由クラブを結成して一度は自民党を飛び出したが、最期は「食い詰めて」復党。
得意技は「敵前逃亡」
三代目:民主党政権時代に「事業仕分け」に憧れていた河野太郎》
自民党でただ一人、蓮舫たちがやる「事業仕分け」に見入って「いいですね~僕もやりたいです」と言っていた河野太郎。
■現住所自民党、心は「旧民主党」の河野太郎。
実父の様に、思い切って自民党を飛び出した方が夢がかなうかも知れません。
それができないのは「三代の世襲議員」という「既得権益層」だからです(怒)
河野太郎のミッションは日本破壊工作
最終的には皇室廃止、中国の属国へ。その、第一歩が、ハンコ廃止だと思われる。
明治維新以降の近代日本を権威づけた「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」の重み
「皇室制度」と併行して2千年以上続き、日本人の生活や日常業務の奥深くまで浸透している「印章文化」を廃止してはならないと同時に「行政改革」の対象とするべきでは有りません(怒)
御名御璽とは・・・・Wikipediaより
とは、天皇の名前および御璽のこと。詔書や法令について、原本においては親署および御璽の押印があることを指すために用いる用語。天皇を諱(実名)をもって呼称することは伝統的に不敬とされるため、このように表記される。なお、歴史的には満洲国皇帝についても同様に用いられた。
英語屋・河野太郎の限界
英語は達者だが、中身がない、通訳機能しかない、そういう人間は、政治にかかわるべきではない
■「印章文化」と行政実務に歴史的伝統的に深く根付いた「印章制度」を軽んじている
「思いつきの行政改革」を俎上(そじょう;まな板の上、批評する為に取り上げる)に乗せることは、世界の知識層、指導者層が敬意を表する「日本の伝統文化と歴史」を破壊する「小泉純一郎&竹中平蔵」らの「反日新自由主義者」による「聖域なき構造改革」に他なりません。
そして、「反日新自由主義者」=「破壊工作員」らの「最終到達点」は「皇紀2700年の皇室制度」の廃止であり、「日本人の精神文化の破壊」と「純粋日本人の奴隷化」に他なりません。
自民党内で完全に孤立し、「人望も無く」、金で買ったツィッターのフォロワーだけが、唯一のアイデンティティー(自己証明)に過ぎない、軽薄でお調子者の河野太郎は、祖父の河野一郎が平塚の自宅を「大物右翼」の野村秋介らに焼き討ちに遭った歴史事実の意味を深く顧みる必要があるでしょう。
だまだ続きます。