■私の「宿願」は、台湾独立です。
現在も「中華民国」という国は存在していますが、日本や西側先進国との国交は有りません。
私は、台湾旅行で現地の人に非常に好感を持ちました。
そして、10年以上にわたるブロガーとしての執筆活動で、多くの参考文献を読んで、我々日本人が「本当に心から信用できる外国人」は台湾の人々と、台湾政府だということを痛感しました。
台湾は「3・11東北大震災」の時にアメリカを凌駕する莫大な義援金を出してくれたことは記憶に新しいです。
私は台湾の人々に「中華民国」ではなく「台湾」という国名で、独立してほしいし、独立後はきちんと外交関係を正式に結びたいです。
中国の圧力で「チャイニーズタイペイ」と呼ばされている「中華民国」は蒋介石一族が、台湾統治から離れて、故李登輝総統が民主化を達成したので既に実態が有りません。
■私が確信を持つ、「台湾独立の法的技術」と根拠となる理論
台湾地位未定論・・・・・wikipedia
または台湾主権未定論(たいわんしゅけんみていろん)とは、台湾独立論の一つであり、第二次世界大戦終結後の台湾の地位や主権については未だ定まっていないという理論。ただし中華民国政府も中華人民共和国政府もこの理論に反対するとともに、台湾は自らの領土の一部分であるという見解を示している。
国際法における台湾の立場を論じたものとして、1967年に国際法学者の陳隆志とその師であるハロルド・ラスウェルが書いた『(台湾、中国と国際連合)』がある。その後、マイケル・リースマンも1972年3月の『イェール・ロー・ジャーナル』に「(仮訳:誰が台湾を有するか:国際的権原の研究)」を発表している。これらの主張は、いずれも台湾の国際法における地位が定まっていないというもので、住民自決の原則に従って地位の決定を行うべきだというものである。
私の主張は、上記の様に国際法学者の陳隆志教授の論文に依拠します。
戦後の日本国政府の「政府見解」の流れ
1964年(昭和39年)
池田勇人首相(当時)2月29日の国会答弁
「法律的には中華民国のものではない」と述べ、中華民国の台湾に対する領土の所有権が未確定であることを強調した。
1972年 日中共同声明
田中角栄首相、大平正芳外相(いずれも当時)
日本は、中共の「一つの中国論」を唱える立場を「尊重する」としましたが、
台湾の主権の帰属は定められませんでした。
1978年 日中平和友好条約締結
福田赳夫首相、園田直外相(いずれも当時)
その中でも台湾の主権の帰属について触れられていません。
台湾の地位が「国際的に宙ぶらりん」のまま放置されている原因。
現在の政府見解は
1972年の政府見解(田中角栄首相)は、サン・フランシスコ平和条約により、台湾に対する一切の権利・権原を放棄しているのであるから、台湾の帰属については発言する立場にない。
現在も日本政府は台湾の帰属先について、「発言する立場にない」との見解を取っている。
2009年5月、日本政府の在台湾窓口機関「交流協会」の斎藤正樹代表(大使に相当)が「台湾の地位は未確定」という趣旨の発言をおこなった。台湾では野党や独立派がこの発言を歓迎した。
★障害となっているのは「日本政府の事なかれ主義」と「自民党内親中派(二階俊博ら)の抵抗」です。
■次の自民党政府が「台湾の地位を確定」した閣議決定をすればよい。
「日本政府は旧台湾総督府が施政した台湾及び澎湖諸島に関する全ての法的権限を民主進歩党政権に移譲する」
以上の文言で良いと思います。
民主進歩党とは、日本人に馴染みの深い、蔡英文総統が代表を務める「独立派」の政党です。
★閣議決定後、サンフランシスコ平和条約に署名調印した各国に通知して確認してもらえばよいと思います。
サンフランシスコ平和条約には、毛沢東率いる中共は不参加で、ソ連は参加しましたが、調印しませんでした。
★「外交的根回し」は、アメリカとイギリスに事前に了承を取り付ければ大丈夫です。
★台湾からの日本への留学生や日本語を理解する台湾の「独立派」の人々は、この情報を是非拡散して欲しいです。
★安倍前総理や岸信夫防衛大臣にお願いすればきっと動いてくれると思います。
私は「台湾独立」の為なら自分でできることは可能な限り尽力したいと思っています。
日本語版
同書籍の英訳版も既に出品しているので拡散に御協力いただきたいです。