KCIAー金鍾泌ー櫻井よしこを結ぶ糸
KCIAー金鍾泌ー統一教会ー櫻井よしこ
金鍾泌(キムジョンピョル)は朴正煕の姪の婿で初代KCIA部長、元国務総理(首相)。
1961年、統一教会の「韓国政府機関」として再編成した。この事実は1978年アメリカ下院の「フレイザー委員会」で指摘されている。
画像は1976年~1978年にかけて議会の下院「フレイザー委員会」で「コリアゲート事件(KCIAと統一教会の米議会への贈賄工作)」について調査・追及したフレイザー下院議員。
フレイザーは議員として「米国の同盟国の人権問題」に強い関心を示し、政治活動の時間の多くを費やしたことで知られる。
彼の背中を押したのは同時期の大統領で「人権外交」で有名だったジミー・カーターで、カーター本人も韓国の朴正煕軍事政権の人権弾圧と極秘の核開発(暗殺現場に居合わせた大統領秘書室長の金桂元の証言)には強い嫌悪感を示し在韓米軍の撤退も視野に入れるほど米韓関係は険悪だった。
「人権平和外交」を推進したジミー・カーター 1978年「中東和平」を実現してノーベル平和賞を受賞した。固より朴正煕と折り合える余地はなかった。
フレイザー委員会は1978年11月に447ページにもわたる報告書を公表した。
その翌年の1979年10月に朴正煕は金載圭(キムジェギュ)KCIA部長に暗殺された。
CIA関与説もささやかれるが現時点で真相は定かではない。
金鍾泌は義叔父の朴正煕暗殺後は、長期独裁政権の責任を問われ、大統領の芽は消えたが、民主化を目指す金大中、金泳三らと手を組み(三金時代)、晩年まで巧みに韓国政界を泳ぎ切った。
終戦時19歳、日本留学経験も有った為、いわゆる「日本語世代」でネイティブと変わらない日本語を話した。存命中は韓国で最も「日本語の上手な政治家」と呼ばれた。
金鍾泌2005年6月来日時のNHKのインタビュー
韓日会談の金鍾泌(キム・ジョンピル)インタビュー (韓日国交正常化) 1.協議の開始
※https://www.youtube.com/watch?v=9N1H9qFf7aU&list=PLX0FmQfvniKFDptsmJyNkrWYoQ4GA6ZNs
達者な日本語で右派系雑誌「諸君!」などにも寄稿している。思想傾向としては櫻井よしこと随分と方向性が一致する。
2018年に92歳の長命で亡くなるが、晩年の日本メディアのインタビューでは元気な間は、毎年「お忍び」で来日していた。
来日するたびに櫻井よしこら「安倍真理教」の面々と会っていても何の不自然さもない。
櫻井よしこの潤沢な活動資金の不自然さ
櫻井よしこは、かねてより新聞に意見広告をガンガン出してますが、どうやって広告費を捻出してるのか不思議に思う声も多かった。
慰安婦問題を取り扱ったドキュメンタリー映画『主戦場』でも、インタビューで「資金はどっから出てるんですか」と尋ねられてましたが、
「とても複雑で……」と語ったあとは口ごもり、目が泳ぎまくっているさまが撮られていました。
櫻井よしこと安倍は「Google八分」で情報隠蔽したのか?
誰かが早々に火消しに走ったのか韓国での放送後1週間近く経ってもGoogleのニュース検索では右派メディア(産経新聞、夕刊フジのみで両紙は経営は一体)の反論記事ぐらいしか見つかりませんでした。
なお櫻井自身はSNSで「韓国MBCテレビによる名誉毀損行為に抗議します」と記されています。