慶応ブランド
興奮と反感を招いた甲子園の応援
(マネーポストWEB)
甲子園の応援“慶応高校出身ではない慶応大学OB”まで過剰に盛り上がったのはなぜ? 興奮と反感を招いた“強力ブランドの化学反応”
以上
慶應の応援はうるさい?
正直言って今夏の甲子園は私は一試合もみなかった。
執筆が忙しかったのもあるし慶応高校が出場するのも知っていたが、一回戦で負けると思っていた(ゴメンね)優勝する予定だったら前もって教えてくれればよかったのに・・・それだったら一回戦から全部TV観戦したのに。
慶應大学には付属高校が三校ある。
・慶應義塾高校・・・横浜市港北区日吉、通称、塾高、または日吉
・慶應志木高校・・・埼玉県志木市、通称志木 読みを「しぎ」と間違える人がいるが正式には「しき」
昭和のスター石原裕次郎が在籍していた当時は慶應農業高校で後に普通高校に転換。
・慶應女子高・・・東京都港区三田 鼠色ジャケットの制服で有名 私立女子高では関東で最難関らしく
実際に優秀な女学生が多い。但し美人は少ないと思う(私の主観です、ゴメンね)
3校とも大学受験が無いので高校時代から合コンしていた。
志木出身者によると女子高に合コンを持ちかけてもハブられることが多かったらしい。
「埼玉&元農業高校」と言うファクターがネガティブポイントだったらしい。
志木出身者に対しては「農業高校だった過去」に触れるのはタブーだった。
私が大学に在籍した1980年代、高校野球はさっぱりだった。
しかし1916年(大正5年、第一次大戦中)の慶應普通部時代に甲子園の優勝経験があると言う事実は知っていた。
今Wikipediaを確認すると強くなったのは21世紀になってからの様だ。
私の塾高生に対する印象
画像は慶應のマル帽、アンパン帽とも言うらしい。
私は東京の大田区、久が原の下宿から東急線を2度乗り換えて日吉まで通っていた。
乗り換えは田園調布の駅だったが入学して間もない頃、一人の詰襟の学ランを着た高校生が田園調布から乗り込んできた。「慶應の丸帽」を被っていたのですぐ塾高生だとわかった。かれは電車の座席に深々と腰を降ろすと、足を組んで何やら難しそうな表情をして、おもむろにカバンからある新聞を取り出して熱心に読みだした。
真正面に座っていた私は通学前に新聞を読むなんて立派な高校生だなと感心して、何新聞を読んでいるのか気になって身を乗り出してみて😲。
なんと「株式新聞」だったのだ。これは正直言って「プロ投資家」の購読する新聞です。
証券界では伝統ある業界誌で、彼はその当時から「立派な投資家」だったのだろう(爆)
資金源は働いてるわけないから親だったのだろうけど。
私は「真昼に幽霊を見た」気分になって日吉キャンパスについてクラスに付くと付属高校の内部事情に詳しい志木高出身のS君に「大変なものを見てしまった」と告白すると、S君は笑いながら「日吉のキャンパスには二十歳過ぎた高校生は星の数ほどいますよ」と言って詳しく解説してくれた。
20歳過ぎの大学生より年長の塾高生達は親が半端なく金持ちらしい。
親の職業で一番多いのは勿論、社長だが当時は「ラブホテルチェーン」を関東で手広く経営している実業家(?)が多かったらしい。
彼らは家業を世襲すればよいのと遊び癖がついているので大学進学すら熱心ではない。
慶應は大学も付属高校も一学年を野球で言えば「裏表」しかやれない。
一年生が表とすると落第すると「一年の裏」
無事二年の表に双六を進められれば良いが、「一年の裏」が2回目になると除籍される、つまり強制退学。
しかしこれには「裏技」が有って「一年の裏」が二回目になることが確実になると「海外留学」と言う手があるそうだ。
私の大学の同級生で「一年の裏」が二回目になって級友と「永遠の別れ」となった男子がいた。
噂によると美容師になったらしいが「慶應の経済中退のメイクアップアーティスト」も世間的には悪くないだろう(笑)
慶應は付属高校も大学の親の所得が中産階級以上が来ているので「除籍」と言ったら授業料滞納ではなく100%「怠学」だと思う。
という事で私が在学時代の塾高生についての印象はプラスもマイナスもなく「所得階層の違う世界の高校生」だった。
優勝してびっくり、そして「応援」を叩かれているのを知って二度びっくり(笑)我が母校はそんなに悪い事をしたのか?
私にとっては懐かしい神宮での早慶戦の雰囲気
1980年代の慶早戦 チアリーディングの女学生が今に比べると随分と素朴
あの雰囲気と熱気が甲子園に来ただけだと思う。
ただ違うのは相手が「野人」の早稲田ではなくて大人しくて実直そうな東北の仙台育英ナインだったと言うだけ。
五月蠅いのではなく「統制の取れた応援」
元々「慶應のアンチ」がいるのはわかっていたが(アンチは東大にも早稲田にもいる)、後輩たちのプレーよりも「応援のやり方」やら「マナー」とやらでやたらうるさいので、You Tubeにアップされているハイライトとなる試合をいくつか見てみた。
国立大学出身の人には到底理解できない神宮での早慶戦の雰囲気
結論から言うと「よく訓練されて統制の取れた応援」故に「魔物の棲む」と言われる甲子園でインパクトが強かった。
例えば、見方が先制点を入れた、または逆転打を放ったという時の応援。
今回の対戦高校も慶応もそれぞれスタンドに100人の応援団がいたとする。
ざっと見ると、同じシーンで応援するにしても、声が同時に出ず、人によってそれぞて数秒のタイムラグで
声を挙げたとすると100人の声のパワーが合計音量として「100未満」になってしまう。
しかし六大学野球で伝統的に鍛えられた慶応の応援団やチアガールたちは、全く同時の「タイムラグ無し」で声を出している。
そうすると100人の声のパワーの音量が、総量として対戦チームには「120」や「130」ものインパクトとして衝撃を与えるだろう。
要は「全体の応援力のキレ」が従来の甲子園の強豪校や常連校と全く違うと思う。
私は柔道をやるから敢えて例えれば「技のキレ」とでもいうのだろうか。
私も大学時代に神宮で早慶戦を観戦した体験者としてよくわかる。
※https://www.youtube.com/watch?v=MBgXepGFWq0
今から4年前、2019年の明治神宮大学野球大会の応援のハイライトの動画を見て欲しい。
相手は東海大学の様だ。「アンチ慶應」の人も是非見て欲しい。
大学時代は独特な熱気に圧倒されてここまで細かく「応援指導部」の動きを見たことが無かった。
先ず、どなたも気づかれると思うが、
①チアリーダーたちの動きの切れが凄い
②応援団長は「象徴天皇」みたいなものだから直立して腕組みしてフィールドを睨んでいればよい。
先ず団長の「塾生注目~」からね。これで応援指導部も在校塾生も「スイッチ」が入ります。
次は「声を出せ」と「ウォー」と言えと。丸で囲んだ応援団員がNo2かな
オーケストラに例えるとマエストロ(指揮者)と言う感じ。「扇の要」です。
全員に「立て」と言う指示ですね
「若き血」を謳う間にも右手の掌を動かして全体に「何か」指示を出している
例えは適切であるかどうかはわかりませんが「よく訓練され統制の取れた軍隊」のようです。
まさに「陸の王者」ですね。
チアリーディングの女子学生も、おそらく今夏の甲子園の様に慶應女子高から上がってきた人たちでしょう。
大学から入学の女子では続かないと思います。
高校の応援部もチアリーディング部も大学生と一緒に練習しているでしょうから「大学レベル」です。
これを甲子園でやられたら対戦相手の高校は堪らないと思う。
※https://www.youtube.com/watch?v=25RBE5LXhww
『清原から始まった6回6得点 アルプスも凄い』慶應義塾vs沖縄尚学 2023年8月19日
対戦相手は強豪の沖縄尚学ですが1イニングに一挙6点ですね。
沖縄尚学は追加点を取られるたびに、スタンドから「インパクトの強い応援」をやられたらダメージは大きかったでしょう。
大相撲で言えば勝負がついて「死に体」の姿勢にダメ押しされるのも同然です。
決勝の対戦相手だった仙台育英の監督は「慶應空間だった」と雰囲気にやや押されたと正直に言っています。
私は野球は小学校の時は「遊び」でやっていました。
その頃から甲子園は社会人になるまで欠かさず見ていましたが、今でもコンスタントに一番強いだろうと思っているのは、ヒーローがいなくても広島商業でした。
もし決勝戦の相手が広島商業だったら「慶應空間」にも動じなかったんじゃないかなと思います。
なんせ部員に、日本刀の刃渡りをやらせる高校ですから。
広商は出てなかったけど対戦相手ではやはり広島の広陵は手強かったですね。
慶応というブランド
慶應は自分が卒業すると子供や親戚の子も行かせたくなる学校
私は大学からの入学でしかも第一志望ではなく滑り止め入学。日吉の入学式で学生部長のAさんがそう言っていた。
当時は入学金を払い席だけおいて駿台予備校に行って東大を受け直す幽霊学生がクラスに一人はいました。「東大病患者」と言う種族です。
クラスは第二外国語で分けられその先生が基本的にクラス担任のような形になる。
出欠を取って返事がないのが「他大学受験組」で受かれば2年時には消えるが不合格になれば復学してアルファベット順の同クラスの一年後輩となった。
入学式でのA学生部長の「人生の妙味は諦めることと待つことです」刺さる言葉だった。
私より先に慶應ファンとなった父
私は滑り止めで早稲田の政経も受かったので当初はそちらに行きたかったが
父は「ダメだ!慶応の経済に行け」
私「どうしてですか」
父「授業料は慶應の方が安いから」
めちゃくちゃわかりやすいので納得してしまった。
入学式にまでついてきた父
来なくてよいと言ったのに休暇まで取って上京してきた。
入学式の訓話は私より熱心に聴いていた。
父も含めて長兄、次兄男3人とも旧帝国大学出身なので、「ザ私立大学」と言った日吉キャンパスの雰囲気が気に入ったらしい。
父は「慶應は権威主義的でなくてよい」とも好評価していた。
慶應大学出身でない人に結構「慶應ファン」が多いのがブランドなのだろう
私は東大の合格発表まで待っていたので「下宿探し」は大幅に遅れて、日吉の学生部を訪れた時はキャンパスに近い東横線沿線の「多摩川を挟んで南岸」の下宿はみな埋まっていた。
残っている物件は少なく熟慮の上、ちょっと遠くなるが東京の大田区、久が原の下宿に決めた。
募集に「慶應の学生さんにお貸ししたい。家族同様にお付き合いできる方を希望します」と書いてあったから。
訪問すると奥様が随分と歓待してくれたので契約した。
代々、慶応の学生に貸していたようだ。
ちなみに私と入れ替わりに卒業・就職で下宿を出ていったの人も経済の先輩で、JETRO(日本貿易振興機構;経産省の外郭団体)に就職した人だった。
面白いのは奥様も御主人も大学は慶應ではなく、息子さんは明治大学の学生だった。
文字どおり4年間、家族同様に接してくれた。
私が「卒業」した後も代々、慶応の学生に部屋を貸しているようだ。
入学式が終わって疲れが出たのか風邪で発熱した。下宿の奥さんの勧めで近所の内科医院に行った。
診察後「どこの大学?」と聞かれて「慶応です」と答えると急にフレンドリーになった。
娘さんが3人いて全員、慶応出の男に嫁がせたのが自慢の先生だった。
先生の自慢話「第二弾」は娘婿の就職先だった。
3人の娘さんの夫の勤務先を全部覚えていないが、一人は日本鋼管(川崎製鉄と合併して現JFEスチール)であと一人はJALだったと思う。
先生自身は聞いたら、慶応の医学部OBではないと言っていた。
私が「東大に落ちて悲しい」と言うと「そんなことを言わずに早慶戦にでも行って発散して来い」と励まされた。
第二外国語で分けられたクラスは55人で半分が塾高や志木からの内部進学者、
女子は3人で一人は慶應女子高であと二人の出身校は筑波大付属高校と学芸大付属高校でみな優秀な人だった。
筑波大付属出身の女性は就職せずTAC(公認会計士受験専門学校)に行って翌年合格してしまったのには驚いた。当時の公認会計士試験の合格率は僅かに4%。
卒業後もクラス会を開いた楽しい級友達
どのクラスも大学受験組と内部進学者との溝が残ると聞く中で私のクラスはよく宥和した。
志木高校から来たS君(AFSで一年米国に交換留学していたので利は一歳上)が人格者で良くまとめてくれた。
外部進学者のまとめ役は私がやった。
クラスがまとまると合コンがスタート
シティボーイで顔の広いS君が自分のコネで都内の女子大に声をかけるとほとんど断られることは無かった。
どことは言わないが「東大せいじゃないと嫌」と言う特定女子大は最初から避けたが。
大妻女子大の思い出
懐かしの大妻女子大学。気の良い気取らない女学生が多かった。皆さん今も元気にしてるかな?
私は合コンの企画がある時はいつもS君のアシスタントとしてついていった。
偶々大妻女子大に訪問した時は当方の参加できる男が少なく10数人しかいなかったが
参加を希望してくれる女性が倍近く居り、私がくじを作って引いてもらった。
結果外れくじを引いた女学生と当たった女学生の集団で険悪な雰囲気となって随分と焦った。
本当に罪な事をしたと後悔したものだ。
S君と合コンプロデュースに精を出したお陰で私も気が付いたら
電車一本で行ける横浜のお嬢様学校と言われる女子大の「下から来た子」とお付き合いが始まっていた。
お陰様で五月病とは無縁だった。
彼女の大学の女学生達はまるで自分の学校の様に日吉キャンパスに出入りしていた。
当時日吉の学食に寿司を食べさせてくれる二幸食堂と言う学食が有り名物は鉄火丼だった。
ある時昼休みに飯を食いに行ったらほとんど空席が無くその女子大の学生が大勢で座っているのに驚いた。
当時はテニスブームで汗止めをしている女学生が多かった。
画像は横浜の某お嬢様大学。
夏休みになるころには「居場所」を見つけていた私
東京の生活に慣れるにつれて地方出身の私にとっては、東京の街は日々好奇心を刺激される所ばかりだった。
リアルな生活が充実するにつれて私の脳裏から東京大学の存在も、一年の夏休みを迎えるころには完全に消えてしまった。
生まれ変わっても大学生活はやはり慶応で送りたい
文系ならやはり経済。4年間通してサークルやゼミで教授も含めて多くの出会いが有った。
変わった人はいたけど「底意地の悪い人」には出会ったことは一度もない。
早慶戦の一体感と三田祭の楽しさ。
そこには堀江貴文元受刑囚、松川るいや三浦瑠麗みたいな「人格破綻者」は絶対いない。
私の様な母校愛は有ってもやや冷淡な人間でも母校の事はいつも気になる。
後輩は基本的な礼さえ失し無ければ無条件に可愛い。
私も就活で多数の会社を訪問したが多忙を理由に断る先輩は一人もいなかった。
私も逆の立場になり会社訪問する後輩には全員会った。
1985年にラグビーが日本一になった時は提灯行列も観に行った。
決勝戦の応援について
You Tubeで見ただけだが3塁側スタンドの盛り上がりは、関西在住の独身の慶應OB,OGや所帯持ちの人は奥さんや家族を連れて行ったのではないか。
中小企業で社長が塾生ならば社員に動員をかけることもある。
サントリーの佐治信忠会長は評議員だから社員に動員かけた可能性は高いと思う。
画像はサントリー創業家一族の佐治信忠代表取締役会長(慶大経済学部卒)
現在慶應義塾評議員。評議員とは慶應の最高意思決定をするバチカン枢機卿の様な職務。
新浪剛史を「パシリ」に使う黒幕
2連覇をかけた仙台育英は東北から関西まで遠く地の利が悪いから、大応援団の動員は難しかっただろう。
しかし準優勝は優勝と同様、健闘は称えたい。
そして実直な東北人である彼らは「慶応の応援がうるさくて負けた」とは絶対に言わないと信じている。
確かに応援の音量は大きい気がする
ただ超音波装置や電磁波など兵器を使っているわけではないんでしょ。
決勝戦だけに文句を言わず、一回戦が終わった後から高野連や、大会主催者が監督と応援団長に注意すればいいじゃないか(怒)
マナーに問題はない
「肩を組んで応援する」のが何故悪いんだ(怒)
高校野球が教育の一環なら、球児と在校生、OBが「心を一つ」にして戦う事こそ教育の成果じゃないか(怒)
応援の音量について
慶應の応援団の音量のせいで負けたのなら、一回戦から負けてきた対戦相手はみなメンタルが弱すぎるよ。
負けるべくして負けたと思う。
決勝で勝った相手の評判が比較的良いので逆に慶應が叩かれている
これがかつてのKKがいた頃のPL学園や今の大阪桐蔭、古豪の広島商業や新興宗教の天理や智弁だったら「カルト退治」で逆に褒められただろう。
慶應は本当に強かったのだろう
よく神奈川県大会を制したなとYou Tubeを見たらなんと決勝が松坂大輔を出した横浜高校だった。
5対3でリードされた9回表に逆転3ランで勝ち越し。しかし腑に落ちないのは9回裏の横浜の攻め。
逆転されたとはいえ5対6の一点差。少なくとも同点に追いつくことはできたはず。
逆転された横浜に全く勝とうと言う気迫が感じられなかった
応援席も慶応の応援が多い。
まるで気を呑まれた様に横浜は9回裏「無気力試合」かと見紛うような淡白な攻めであっさりと勝負がついた。
事実と異なる慶應義塾大学のイメージ
事実と異なる慶應義塾大学に対する誹謗中傷は止めて欲しい
同窓組織の「三田会」の影響力の過大評価。確かに卒業生は自動的・機械的に各種「三田会」に登録される。
職域三田会、私が勤務した大企業2社にも三田会に席が有った。
但しパーティーに参加したのはNEC三田会の2年目一回だけ。
寄付金はサラリーマンの現役中、毎年のように「お願い(強要ではない)」が来た。
しかし私は現在に至るまで一度も寄付したことが無い。
理由は私は寄付と言う概念がキリスト教の色がつきすぎていることと、おおくの「寄付」について共通していることは寄付後の「金の流れ」が不透明だからだ。
また塾生で無駄に金を持っているゆおう富裕層の塾員がふんだんに寄付をすればいいと思っているからだ。
例えば年棒30億円も貰うトヨタ社長のの豊田章男、今問題となっているサントリーの佐治信忠会長等々。
所得税をほとんど払っていないんだから、その分母校に寄付したらいい。塾生の中には富裕層が多い。
彼ら彼女らは菅義偉の作ったふるさと納税と言う「官製通販」で地方税すら払っていない。
重量のある外車で市道、県道、を走って道路に穴をあけても自治体に住民税を払っていないので補修費を払っていないのと同じ事だ。
その分、富裕層でなくふるさと納税もやらない私の様な「ド庶民塾員」が代わりに払わされているのだ(怒)
「三田会」についての恐ろしい誤解
卒業生は自動的に登録されるらしいが、サラリーマンを辞めた私はさしずめ地元の「地域三田会」と言う所だろうけど、案内が来たことは一度もない。何度も言うが登録されても「会費」すら請求されないのだ。
飽くまでも篤志家が任意でと言う精神と規則なのだ
熱狂的な「慶應ファン」は社会通念に反する異常者なのか?
塾生でも母校愛に「濃淡」がある。濃い人は会社で休暇を貰っても決勝を見にいただろう。しかし私は行かない。
私が就職する数年前の1985年に阪神タイガースが優勝した。
当時は掛布・バース・岡田と言う夢の強力打線だった。
その時にNECの本社人事部の数人(偶々関西出身で大学は別々)の社員が休暇を貰って優勝が決まる神宮球場のヤクルト戦を見に行った。
認めるかどうか随分と揉めたらしいが許可を出した当時の人事部長の判断は英断だったと伝説に残っている。
トラキチに何を言っても無駄。認めなかったら野暮と言われるだけだ。
「阪神ファン」は惨敗しようが何しようが「阪神すっきやねん」なんでしょ(笑)
慶應OB,OGは北は稚内から、南は台北、西は韓国のソウルにも住んでいて現地で「三田会」を創設している。
言わば「トラキチのグローバル版」で早稲田も各地に稲門会はあるが結束が感じられない。
叩かれている慶應OGは昔はいなかった人
画像は1980年代の三田祭の「ミス慶應コンテスト」如何ですか?地味なもんでしょう。
それにしてもエントリーした慶應女子のスペックが低すぎる(怒)ていうかそもそもこのレベルです。
私が審査委員長だったら全員、予選落ちです。
元フジの女子アナ平井理央(慶應OG)の発言が俎上に載っている。
画像は平井理央。筆者の過去ブログ「時を斬るブログ」の女子アナシリーズで取り上げた。
フジで先輩女子アナの彼氏(慶応卒のディレクター)を寝取ったが結婚後は元グラドルに
同じ事をされて離婚。なんとも微妙な人生だと思う。
私が学生だった1980年代から秋の三田祭の名物コーナーで、「ミス慶應コンテスト」は有ったが参加者は少なく、受賞者も正直「何で❣この女学生?」と言う受賞者が多かった。
それが21世紀になってフジテレビを中心に「ミス慶應」は、民放キー局の女子アナの「登竜門」になってしまった。「女子アナブーム」は電通とフジがつるんで作ったブームだろう。
気の毒に悪者にされた三田祭実行委員会は「ミス慶應コンテスト」は止めたらしい。
私の代で女子アナになったと聞いたのは一人だけ。
それもTVでちやほやされずに良い縁談で寿退社したらしい。
同様に私が学生時代に電通に就職する学生は「成績が悲惨で縁故のみが頼み」の、学生で毎年数人いたが陰で馬鹿にされていた。
例えばある有名お菓子メーカーの子女ならコピー取りで採用しても実家のCM枠は電通が独占できるから。
電通にとっては縁故採用=人質なのである。
信憑性の低い慶應情報に惑わされないでほしい
2017年にこういう本が出たので買って今読み直しているが
「一私学の一同窓会」の影響力なるものをさも誇張して面白おかしく書いてある。
ベースとなる事実に嘘はないがそこを起点としたイマジネーションが現実との間に
読者を誤解させる巨大なギャップを抱かせている(怒)
著者は慶應の出身ではないので結論としての「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言う話の膨らませ方になるのだろう。
今日本中で総スカンを喰らっているサントリーの新浪剛史も出てくる。
著者の近い親戚に塾生がいたらもっとましなレポートが書けただろう。
大企業に勤務すると塾生の裏も表もよくわかるし現在活躍中の人の正体も三田会ルートで自然に流れてくる。
ブッシュ一族が関係するスカル&ボーンズとの類似性なんてとんでもない話だ(怒)
筆者の大企業2社の経験で言うと塾員の会社幹部や先輩達は互いに仲が悪いケースが多い。
正直結束力なんてとても言えないレベル話だ(爆)。
慶應の塾員(OB)は政治家には向かない
今も政界、特に自民党の政治家に塾員は多い。
しかし総理大臣になったのは戦前は犬養毅一人、戦後は橋本龍太郎一人で二人しかいない。
犬養は金解禁の「昭和不況」から景気を回復させたが5・15事件で非命に斃れた。
「橋龍」はきざだと嫌う向きも多かったが、戦後の日米関係史を詳細に調べると
「日米貿易戦争」では総理として陣頭指揮を執り最終的に日米貿易交渉でビル・クリントンを押し切って「日本の国益」を立派に守った。
だから68歳の若さで「不審死」させられたのだろう。
気の毒な最期を迎えるぐらいならやらない方が良い。
資質も資格も学歴も人望もなくとも総理をやりたい奴はいくらでもいる。
以上