小泉組の闇;小泉純一郎学歴詐称疑惑
2018年秋、私は上京し都内港区某所のレストランで定例の母校慶應義塾大学のクラス会に参加していた。
クラス会と言っても経済学部の第二外国語で同じクラスで特に仲の良かった数人のごくプライベートな食事会だ。
慶応の文系は受験の願書に「第二外国語選択欄」があり入学後は自分で選んだ言語で機械的にクラス分けされる。
画像は慶應義塾大学日吉キャンパス(教養課程) 銀杏並木が紅葉で色づく11月が特に美しい
文中で小泉が入学時に被っていたという「慶應の丸帽(早稲田の角帽の反対)」私が在籍していた1980年代、学生服と丸帽をセットで着用していたのは大学生では
「ガチの体育会名門運動部」で活躍する学生か、通学時に東急東横線で一緒になる塾高(付属高校で通称;慶應日吉)生のみで日吉キャンパスで見かけるのも非常に稀だった。他校から陰で「アンパン帽」と陰口を叩かれ個人的にもカッコいいとは思わなかった。大学からの外部進学者はほぼ100%被らないと断言できる。栗本と小泉が入学した1961年4月に既に廃れていたと書かれているので尚更だ。小泉は1942年1月の早生まれなので学年は1941年生まれと同じ。入学時年齢は1961-1942=20歳で二浪していたことになる。
画像は慶應義塾大学日吉キャンパス(教養課程) 銀杏並木が紅葉で色づく11月が特に美しい
私の時は「独仏中」の三択。一クラス50人前後、コンパなどを通じて大体みな仲良くなるが教養課程の日吉から専門課程の三田に移るとそれぞれゼミナール(通称;ゼミ)と呼ばれる指導教授の研究室に入るか資格試験(公認会計士受験でTACに通う人が多かった)を狙う人はゼミに入らず専門学校に通う。
ゼミで新しい人間関係ができるとそれまでの交友関係での相性の濃淡から相互に選別し卒業後10年以上交友を続けるのは数名になる。
画像は慶應大学三田キャンパス(専門課程) 1980年代港区で地価が高いからか、学生数に比べるとキャンパスは非常に狭く感じた。
逆に学生の人口密度が高いので2年間在籍していれば日吉の頃のクラスメートとは必ずどこかで遭遇するものだ
この会は私がバブル崩壊後に声をかけて始めたものでA;メガバンク勤務、B;公認会計士、C;経済誌編集部、D;財閥系ビールメーカーと私の5人。結果的に「異業種交流会」の様になってお互いの情報収集に資するところが大きい。幹事は持ち回りでやっているが場所は都内で固定している。
クラス会 画像はイメージです
小泉純一郎は慶應大学に在籍記録が無い?
A君が今、この本に凝ってるんだと紹介しながら「小泉純一郎って慶應に在籍記録がないらしいな。みんな知ってる?」と唐突にみんなに聞いた。
他のメンバーは意外な反応で「それくらい知ってるよ」「知ったかぶりするな」と笑い出し「え?やっぱりそうか」と言ったのは私一人でみんなから「え!お前知らなかったの?」と馬鹿にされた。
私はA君に「いつから知ってたの?」と聞くと「だいぶ前1998年頃かな」と答えた。自民党総裁選に彼の情報網にヒットしない慶応卒を名乗る小泉純一郎と言う男が2度目の挑戦をしたので気になって調べたと言う。
画像は1998年の自民党総裁選 左から小泉純一郎、梶山清六、勝者の小渕恵三
その結果「在籍記録が無い」と言う事を知ったと言う。A君は「下から(附属からの内部進学者)の学生」で親子2代の慶應ボーイで,
著名だった某評議員とも縁戚関係にあり塾長選挙にも関与していた。
情報源はニタニタ笑って教えてくれなかったがバンカーとしてリスク管理の観点から見逃せないチェックポイントだと言った。