年末の御挨拶
「大動乱と混沌の年」
八月十四日の政変・自爆テロ退陣
全ては8月14日から始まった。
停戦記念日(私は終戦記念日をこう呼んでいる)の前日の8月14日に突如、岸田総理が9月の自民党総裁選には出馬しないと宣言しました。
3年前の2021年9月の政権発足以来、少数派閥の悲哀から
①安倍晋三(翌年殺害)
②麻生太郎(主流)
③二階俊博(非主流)
④菅義偉(非主流)
らとのバランスを取りながら「複雑な連立方程式」を解くようにして政権運営を続け発足当初、短命と言われながらも、ぎりぎりまで9月の総裁選に意欲を見せ、岸田政権の政権継続日数はまる3年間に到達しようとしていました。
「総裁選での支持に麻生が難色を示している」と言う説も囁かれましたが私は麻生も概ね続投支持で固まっていたと思います(8月6日麻生―森山会談;岸田政権の政策実績を高く評価)。
※https://www.youtube.com/watch?v=sX5-ivE4u-s
要するに岸田総理自身が自ら手を挙げさえすれば自然と「再選続投」への道は開けていたのです。
理由は有力対抗馬は全て閣内と党の要職に据えて動きを封じ込めていたからです。
例を挙げると
【閣内】高市早苗、河野太郎、林芳正(林氏は早くから総理続投を支持)
【党要職】茂木敏充幹事長
【自民党の不文律と常識】総裁選の敗者が「次を狙う」ならば
① 入閣の誘いを辞退して次の総裁選まで「非主流」に徹する
② 現職の幹事長は総裁(総理)と一体化したNo2であり現職総裁が続投すると言っているのに対抗馬で出馬すると「倫理的に大問題」になる。
2012年の自民党総裁選で現職の谷垣総裁の対抗馬に立った幹事長の石原伸晃は「平成の明智光秀」と呼ばれ党内の信望と「総理総裁の芽」を失った。
再選確実な環境が整っていたのに、なぜ総裁選出馬辞退を宣言したのか?
最高権力者が局面打開と将来の復権を図って自らを引き摺り下ろした「自爆テロ退陣」
安倍派の「裏金議員」を大量落選させなければ自民党の存続が危うい
これについては私はかねてから安倍派(小泉純一郎以来の清和会)が賛成しにくい法案(例えば郵政再国営化など)を強行採決して衆院本会議で造反した安倍派議員を非公認にすると同時に「刺客候補」を送って落選に追い込み「政治的ジェノサイド」を行うべきだと拙ブログで何度も述べてきました。そしてその最後のタイミングが6月の通常国会会期末だと。
しかし通常国会会期末の解散だと7月の都知事選と重なり、公明党・創価学会が難色を示す。岸田総理は解散を見送り、次の政局は自民党総裁選の告示日までに総理が「続投宣言」するかどうかに焦点が絞られていました。
岸田前総理は「安倍派裏金議員のジェノサイド」を割り切って断行できる人が意中の人だった
その為には衆議院議員歴が長く自民党総裁選を通じて「安倍晋三及び安倍派との遺恨」が強い自民党有力議員が最善の人選でした。
国会議員歴を見ると
名前、初当選の年、議員歴
石破茂(1986年)議員歴38年
岸田文雄(1993年)議員歴31年(ちなみに安倍晋三も同期)
林芳正(1995年)議員歴29年(内参院議員歴25年)
石破さんは3人で比較すると国会議員歴も自民党総裁選出馬歴も3回(VS麻生太郎、VS安倍晋三2回)と群を抜いています。
2024年9月27日 自民党総裁選
高市早苗VS石破茂の決選投票、
岸田派宏池会は岸田前総理の指示の下、全員(一人の例外を除き)が石破茂に投票して僅差の大逆転で石破新総裁の誕生に貢献しました。
「高市総理」が誕生していたらと想像すると背筋がぞっとします。まさに「国運の分かれ目の日」で日本にもまだツキは残っていました。
※次項へ続きます。