読者の皆様へ|年末の御挨拶と2024年の回顧④ 石破政権は長期政権となる

バルカン与党となった石破政権は長期政権化する

1975年(昭和50年)に総理に就任した三木武夫は戦前からの党人政治家で自ら少数政党の党首となり、多くの政党と離合集散を繰り返しながら戦後も生き残り、1955年の保守合同で「三木派(高村派から現在は麻生派)」として自民党入りし、保守傍流ながらも政権派閥と巧みに交渉して閣僚ポストを獲得して派閥を維持してきた。

その手法から第一大戦前、欧州の火薬庫と言われたバルカン半島の各国になぞらえて「バルカン政治家」と呼ばれた。

先の衆院選で議席数を増やした国民民主党やれいわ新選組には根強い「立憲民主党アレルギー」が有り、それを突き詰めると「野田佳彦嫌い」に行きつく。

 

 

戦後政治史における1993年の意味

政治とカネ「55年体制」の終焉

内閣不信任案可決で天を仰ぐ宮澤喜一首相

1993年3月、半年前議員辞職していた自民党のドンの金丸信が脱税で逮捕された。

「政治改革(小選挙区比例代表制の導入)」を唱える竹下派経世会の小沢一郎らは40人を引き連れて離党し、野党が提出した宮沢内閣不信任案に賛成票を投じ、可決された宮沢総理は衆院を解散して国民に信を問うたが、国民の不信感と折からの「新党ブーム(日本新党や新党さきがけ)」で単独過半数を割り込み細川連立政権が発足して政権交代が起きた。

「55年体制」とは自民党が他の保守系政党と連立を組まずに単独で政権を握るが日本社会党を筆頭とする野党が衆参それぞれ三分の一の議席を確保して「改憲を阻止する」と言う政治体制だった。

これ以降、自民党は単独で過半数を取れず現在に至るまで「連立政権の時代(自社さ連立、自自公連立、自公連立)」が続いている。

 

石破総理と1993年初当選組の野党幹部の縁

超党派で訪台した石破茂と前原誠司   頼清徳総統とも会談 2024年8月14日  奇しくも岸田総理の退陣表明の日

1993年7月の選挙で当時、議員歴8年目の石破さんは内閣不信任案に賛成票を投じ、無所属で地元の鳥取選挙区でトップ当選した。

この時、日本新党の初当選組に、野田佳彦、枝野幸男、前原誠司がいた。

石破さんは1995年、自民党に復党するまで、細川連立政権や新進党などの野党で野田や前原と同じ立場で国会議員活動をした。

個人的な人間関係は知らないが、理論派の石破さんは議論好きの野田佳彦や前原誠司とは馬が有ったのではないかと思う。

特に前原とは既に報道されているが「鉄オタ」と言う共通の趣味もある。

 

前原誠司に「背乗り」された維新は自公の「補完勢力」になる

「馬場おろし」の背景にあった維新の「吉村VS馬場」の内紛

画像は引責辞任記者会見で号泣する維新の馬場代表  2024年11月29日

衆院選での大敗を受けて維新の馬場伸幸代表が引責辞任に追い込まれた。

背景には永田町で「飲み会政治」を展開する馬場に対して、「吉村&橋下派」の対立があったと言われる。

維新の出直し代表選で大阪府知事の吉村洋文が再選されたが共同代表には、前原誠司が就任した。

府知事の吉村は大阪を離れられないので国会対策は前原が主導権を握ることになる。

石破政権にとっては「渡りに船」だ。

年内の補正予算成立までは国民民主が必要だったが、補正予算が成立すればもう不要になる。

来年年明けからの通常国会での2025年度の本予算では「前原維新」に賛成して貰えば、本予算は楽に成立する。

万が一のハプニングで、内閣不信任案が成立するか、重要法案が否決されれば衆院を解散して国民に信を問えば良い。

その時期が通常国会末(会期180日で通常は6月中)なら自ずと衆参ダブル選となる。

※次項へ続きます。

 

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