《イザーマンはいったい何処なら、「水晶のような霜柱」を踏めるのか?》
住まいは千代田区、都心なのですが、冷えが今夜はきつくて2度です。
でも子供の頃はわりにしじゅう、零下になっていたような。水晶のような霜柱を踏んで学校に行ったものです。
霜柱wiki
霜柱が起こると、土が持ち上げられてしまい、「霜崩れ」と呼ばれるさまざまな被害をもたらす。植物は根ごと浮き上がってしまい、農作物が被害を受ける。これを防ぐため、断熱材として藁を地面に敷き詰め地表の温度を地中の温度に近づけ、気温との断熱を行う。斜面などでは霜柱により浮き上がった土が崩れやすくなり、侵食が起きやすくなる。
霜柱を見かけることが少なくなったという地域が増えている。一般に、寒冬の年に多く見られ、暖冬の年は少ない。
スポンサードリンク
《仮に、学齢期10歳ぐらいまで、ソウルで育ったとしよう》
ソウル・・・・・Wikiより
https://web.archive.org/web/20180825222757/https://ja.wikipedia.org/wiki/ソウル特別市
1月の最低気温の平均がマイナス5.9℃
2月がマイナス3.6℃
これなら、2か月間ずっと氷点下なので霜柱を踏むことができる。
しかし、ソウルは日本統治時代、大日本帝国が本土より優先して、インフラの整備に努めてきたので、「道路の舗装率」は高い。
これでは、霜柱はできない。
そう思った時に、飛び込んできたサインがこれだ(爆)
その時々に偏食するものがあって、時には練乳であったり
某コンビニのファーストフードであったりするのだが、
今、偏食しているのはびん詰の粒うに。
本物のうには食べられないのに、着色して味付けした
びん詰うにが好きである。
そればかり食べていたら体がやられるが、幸いすぐ飽きて
次の偏食に移行するので、無問題である。
奴の「十八番」の中国語「無問題」である。
《工作員枠か?天下の笑いものオオゴケドラマ「明日の君がもっと好き」が上海で上演》
推測:イザーマンは、日本語と英語は苦手だが、朝鮮語と中国語は得意である。
かつて、私が「余命真理教」と抗争を繰り広げた時に、おちょくって、コメ欄に中国語で書き込んできたりした。
それができる民族は何か?唯一「中国朝鮮族」だけである。
「上海のテレビ祭で呼ばれたとき、、、」
5月に訪れる拙作上演の劇場ではカーテンコールの時、舞台にあげられるかも知れません、と言ってきて、その時スピーチを求められるかどうか解らないのですが準備だけはしておこうと。
というのはドラマ作品で上海のテレビ祭に呼ばれたときも、ステージで挨拶を求められたらどうしよう、中国語は出来ないし英語で、ええっととあたふたしたことがあるので、準備だけはしておこうかと思ったのでした。
上海では結局それはなくて済んだのですが、あの時のあたふたを繰り返したくなく。
テレビカメラの放列も予期していず、あの時は落ち着きませんでした。
《朝鮮族は、日本語、中国語、朝鮮語の三か国語を容易に話す》
・朝鮮族は居住地や家族環境によって主に使う言語が異なるが、基本的には中国語・朝鮮語両方を学んでいる。
・日本語が朝鮮語と一定の類似性(共にウラル・アルタイ語)があるため、、中学・高校でも英語より日本語を学ぶ朝鮮族が少なくない。
・努力すれば比較的容易にトライリンガル(日・韓・中3か国語)になれる。
朝鮮族とは・・・・・Wikiより
https://web.archive.org/web/20180303165336/https://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮族
現在の中国の東北三省(旧満州国)に居住する朝鮮系中国人、いわゆる「朝鮮族」は約100万人、詳しい歴史を書くと分厚い本となる
しかし、彼らの「東アジアのロールプレイヤー」としての影響は大きい。
何故なら、母語の朝鮮語、そして現在の中国語、更に旧宗主国の日本語の三か国語が喋れるからである。
故に、中国共産党の意を受けて、韓国や日本へ送り込む格好の「工作員」となるのだ。
中国国内での分布は中国東北部(旧満洲)に集中し、中でも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。延吉市には、中国語と朝鮮語で教育を行う延辺大学も設置されている。
このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、関内(山海関以内)の北京、天津、青島、上海などの大都市にも進出している。各地の朝鮮族集住地区には、行政的に朝鮮族自治県(吉林省長白朝鮮族自治県)。これら東北三省の首府には、朝鮮族の学校や放送局、新聞社、出版社などが設置されて、朝鮮語の普及を図っている。
中国と大韓民国(韓国)の国交樹立以来、韓国人との接触が増え、韓国に出稼ぎに行く朝鮮族も多い。韓国に留学する朝鮮族も多く、勤勉さと2か国語を話せることを武器にしている[3]
朝鮮族の教育
朝鮮族の教育レベルは中国平均より高く[19]、漢族を含む人口100万人以上の各民族の中でも屈指である[20][21]。
朝鮮族は居住地や家族環境によって主に使う言語が異なるが、基本的には中国語・朝鮮語両方を学んでいる。
また日本語が朝鮮語と一定の類似性があるため、日本文化に親近感を抱き、中学・高校でも英語より日本語を学ぶ朝鮮族が少なくない。
努力すれば比較的容易にトライリンガル(日・韓・中3か国語)になれるため、朝鮮族は北東アジアにおいて活躍できる場所の選択肢が多い。 例えば、語学力を生かして日本・韓国に留学することや、韓国・日本企業に就職することがよくある。
《吉林省の気候》
吉林省延辺朝鮮人自治区延吉市
https://ja.wikipedia.org/wiki/延吉市
平均最低気温
・1月・・-19.4℃
・2月・・―16.0℃
・3月・・―8.4℃
・4月・・-0.1℃
《4月まで氷点下だ。これで、「霜柱」ができる》
しかも、延吉市は、戦後韓国が日本のODA(政府開発援助)を受け、農村部までインフラを拡充するまで、道路などのインフラは未整備だった。
従って、終戦後1945年以降の児童が学校に通学するときは、畑地を通ることが多く、冬季は「霜柱」を踏むことが常であっただろう。
これが、イザーマンの幼いころは、しょっちゅう零下になり、「水晶のような霜柱」を踏んで学校に通ったという話と符合する。
例え日本の本州の関東以北で畑地などに「霜柱」ができても、舗装されている道路が有る限り、日本の学童は、畑地を突っ切って歩くということはしなかっただろう。要は「躾」と「マナー」の問題で、道路が有るのに、畑地を通れば土地の持ち主に叱られるからである。
《私は現在のイザーマンは在日ではない。10代、若しくはそれ以上の年齢まで延吉市で生活した中国朝鮮族だと思っている》
延吉市は日本海にそそぐ豆満江を下れば、
北朝鮮の羅津港まですぐたどり着く。
羅津港につけば、「工作員船」で夜陰に乗じて、短時間で日本海側の漁港にたどり着く。
後は北朝鮮の工作員同様、日本国内の土台人の案内で潜伏するだけである。
「土台人」が日本国内の在日同胞なのか、創価学会、公明党なのかはっきりしないが恐らく、創価学会であろう。
《二つのパターンが考えられる》
①10代で、日本国内に入り込んだ場合。
新宿2丁目で、「春」を売りながら、生活費を稼ぎ、日本語に磨きをかける。
そして、何らかのタイミングで大分舞鶴高校出身の〇〇満氏に「背乗り」したのであろう。
それがどのタイミングかは未だ分からない。
そもそも、〇〇満なる人物が大分舞鶴高校を卒業したかどうかは、同校の卒業名簿を入手しない限り分からないし、個人情報保護法の徹底した現在、私には不可能である。
②20代以降の侵入の場合
「持ち時間」が多いので、その間中国国内でみっちり日本語の習得ができる。
更に脚本家としての、訓練や、パフォーマンスも練習できる。
いずれにせよ、公式な記録の残る1982年以前となる。
その場合は、現在のイザーマンが、大分舞鶴高校卒の〇〇満であることも考えられるが、現状の、知性や教養を検証する限り、イザーマン=〇〇満「説」は考えにくいのである。
《土台の無いところには家もたたない》
例えが適切かどうかはわからないが、すでに引退した、元プロ野球巨人軍のバッターの清原和博は、西武から巨人に移籍後極度の成績不振に苦しんだ。
解決方法は、バッティングフォームと生活習慣の改善しかなかったのだが、何を勘違いしたのか、清原はオフシーズンにアメリカにわたり、「格闘家まがい」の体作りと筋トレを行った。
根本的な「土台」の改善をせぬままに、体という土台を思い「筋肉の鎧」で固めた。
その結果、一時的には復調したものの、引退を早めることになった。
イザーマンの場合、百歩譲って日本人だとしても「盗作癖」と奇妙な嗜好と精神の異常さが考えられる限り、外面だけ「空疎な古語や美辞麗句」で固めても、「尻尾」は周囲に見えてしまう。
ダヤン氏が指摘したように「痕跡を消せない男」が決して「痕跡を残せなかった場所」が、「故郷の大分」であり「正体不明の家族」である以上、今後百万遍の弁解を続けても、ネット空間からの「監視の目」が消えることは無いだろう。
まだまだ 続く