夢の宮=アネザイチカの管理人名「易の魔女」の救いようのない「日本語能力の不足」(怒)
二つのブログの持ち主
1 夢の宮~開運のツボ~
2夢の宮 別館アネックス
の管理人のハンドルネームは「易の魔女」です。プロフィール欄を見ると
http://archive.is/dpPvt
Eki‐MAJO(易の魔女)
開運ナビゲーター趣味で始めた占いが当たると評判になり、もっと開運法を極めるために神道、陰陽道、まで手を伸ばす。
占いは九星気学、手相、タロットなどを独自に習得。元神職の方に神道の初歩を学び、陰陽師のO先生から陰陽師の使う祝詞を学ぶ。
占い師 兼 神道研究家にして日本史研究家。
神道から見た日本史の謎を解き明かしてゆきたい。
と有りますが、ハンドルネームを構成する「易」という文字と「魔女」という文字が、しっくりきません。
このチグハグなセンスが、掲示板に登場する、「低能筋」「天皇筋」に通じるものがあります。
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ちなみに「易」とはWikiより
ブリタニア国際百科辞典より・
中国の占法。『易経』,正確には『周易』に基づいて行われる。陰,陽という相対的な2つの原理の結合交錯の変化によって宇宙の万象は形成,消長するとし,その変化の過程を占う (易とは「変化」を意味する) 。
そのために,陰,陽を象徴する画 (陰爻〈こう〉,陽爻) を3本ずつ組合せて8種の卦 (か) を作り,さらにそれを2つずつ重ねた 64種の卦にそれぞれ意味をもたせ,筮竹と算木を用いて卦を求め判断を下す。爻と卦の意味 (卦辞,爻辞) の解釈は次第に複雑化し,漢代には煩瑣な易学が成立して,思想,文化に広範な影響を及ぼした。日本には5世紀に伝わり,大宝律令では陰陽寮の官職が定められ,以後全国に広まって今日にいたっている。本来の筮法は複雑で長時間の緊張を要するため,今日では略筮法や中筮法が行われている。
易経とは・・・・Wikiより
古代中国の書物。著者は伏羲とされている[1]。商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。
『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』は植物である『蓍[2]』の茎の本数を用いた占いである。 現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。易経は儒家である荀子の学派によって儒家の経典として取り込まれた。
「玄学」の立場からは『老子道徳経』・『荘子』と合わせて「三玄(の書)」と呼ばれる。 また、中国では『黄帝内經』・『山海經』と合わせて「上古三大奇書」とも呼ぶ。
なにやら、難しそうですが、「易経」には、哲学書としての側面と占術としての側面があります。
占法
筮竹を使って占う男(1907年、日本、ハーバート・ポンティング撮影)『易』の経文には占法に関する記述がなく、繋辞上伝に簡単に記述されているのみである。
繋辞上伝をもとに唐の孔穎達『周易正義』や南宋の朱熹『周易本義』筮儀[5]によって復元の試みがなされ、現在の占いはもっぱら朱熹に依っている。易で占うために卦を選ぶことを立卦といい、筮竹をつかう、正式な本筮法、煩雑を避けた中筮法、略筮法(三変筮法)や、コイン(擲銭法)、サイコロなどを利用する簡略化した方法も用いられる。
後に「占術」として独自の進化を遂げ、街の「易者」が占うように筮竹でもって占うようになりました。
★「易」を名乗るからには、「筮竹(ぜいちく)」でもって、将来や対象人物を占えなければなりません。
果たして、夢の宮=アネザイチカにその占術の技術力はあるでしょうか?
私は無いと思います。
アネザイチカの講演会、夢の宮のブログ、どちらか一方でも、「易占」をやっているのを見たことがありません。
それでは、夢の宮=アネザイチカがマスターしたと豪語している陰陽道については
陰陽道とは・・・・Wikiより
陰陽寮で教えられていた天文道、暦道といったものの一つ。これら道の呼称は大学寮における儒学を教える明経道、律令を教える明法道等と同じで国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語ではない。
古代の中国で生まれた自然哲学思想、陰陽五行説を起源として日本で独自の発展を遂げた呪術や占術の技術体系である。 陰陽道に携わる者を陰陽師とよんでいたが、後には陰陽寮に属し六壬神課を使って占いをし、除災のために御払いをするもの全てが陰陽師とよばれるようになった。陰陽師集団を陰陽道と呼ぶことがある。
現代における陰陽師の家系としては、京都に健在する安倍氏嫡流の土御門家、そしてその支流とされる角之倉家が主な家元とされる。福井県大飯群おおい町に健在する神道の宗派、天社土御門神道は、歴史的に土御門家と関わりのある宗教法人ではあるものの、関係者は土御門家の末裔ではない。
明経道(みょうきょうどう)とは・Wikiより
日本律令制の大学寮において儒学を研究・教授した学科。
明法道(みょうぼうどう)とは、・Wikiより
古代日本の律令制の元で設置された大学寮において、律令法(法学)を講義した学科。
★要するに、明経道(みょうきょうどう)と明法道(みょうぼうどう)を総合した陰陽道とは、平安時代の所謂、テクノクラートの、学者と行政に携わる高級官僚を養成する学問だったのです。
ですから、夢の宮=アネザイチカは、「易占」に関する技術は持っていません(怒)
しかし、ここで述べた「陰陽道」は、アネザイチカが、講演で好んで取り上げるテーマです。
その意味でも、アネザイチカ=夢の宮、「同一人物説」の強固な裏付けともなります。
そして、「
魔女」とは・Wikiより
古いヨーロッパの俗信で、超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、または妖術を行使する者のことを指す[1]。現代の人類学では非ヨーロッパ諸国の呪術にシャーマニズムの概念を適用することがあるが、ヨーロッパの魔女や魔法にもシャーマニズムに通じる面があることが指摘されている[2]。
旧石器時代の洞窟壁画には呪術師ないし広義の「シャーマン」と解釈される人の姿が描かれており[3]、呪術は有史以前に遡る人間とともに古い営みであると考えられている。現存する史料からうかがわれる魔女狩りの時代の魔女観では、魔女は、多くの場合女性で、時には男性であったとされている。
★「魔女」とは純粋に「ヨーロッパ」「キリスト教文化圏」の概念です。
古代「中華文明」を源流とする「東アジア」の、「土俗信仰」「土着宗教」とは縁のないものです。
★これで、夢の宮=アネザイチカの使用する「易の魔女」という「語感」が如何に、アンバランスで、「純粋日本人の感性」と合わないものかがわかります。
夢の宮=アネザイチカは日本語がおかしいだけではなく「漢字」も正しく使用できない(怒)
韓国の「漢字教育の廃止」
朝鮮における漢字より・Wikiより
漢字教育の廃止[編集]独立後は、日本統治時代に漢字を使用していたことや、中華帝国による古代からの冊封体制への不満といったナショナリズムの台頭により漢字を排斥[要出典]し、国語をハングルのみで表記しようとする機運が盛り上がった。
1948年施行の「ハングル専用に関する法律」(略称: ハングル専用法)により、漢字廃止に法的根拠が付与される。
「大韓民国の公文書はハングルで書く。ただし、当面の間、漢字をかっこに入れて使用することができる」が法律の全文だが、公文書の定義も当面の間の定義もなく、施行規則もなく、違反者に対する罰則規定もないこの法律は、法律でなく宣言文だと解釈する法律家もいる。
李承晩の時代には、小学校段階から漢字教育が行われたが、朴正煕は漢字廃止に傾斜を強め、1970年には漢字廃止宣言を発表、普通教育での漢字教育を全廃した。
1945年に、大東亜戦争が終結し、1948年に南北分断国家のまま、大韓民国が成立しました。
初代大統領の李承晩は、「大の反日」でしたが、当時の機運としては、日本統治の36年間より、更に長い、数世紀における、中華王朝の「冊封体制」のもと、属国として隷属されてきた歴代中華王朝に対する「恨(ハン)」の精神の方が強かったのです。
その歴代の朝鮮王朝に「惨めな歴史」を敷いた中華帝国のシンボルが漢民族が発明した「漢字」でした。
ただ、日本統治時代に、李氏朝鮮時代と違って、半島全体の村という村に「国民学校」を作って、今まで教育を受けられなかった、奴婢や、白丁(ペクチョン)の子供たちにも、みっちりと、漢字教育を見につけさせたために、一気に「漢字廃止」はできませんでした。
従って、独立した1948年に「漢字廃止」の根拠となる法律が立法され、「漢字教育」の「骨抜き」が始まりました。★「公文書はハングルで書け」ということになったのです。
そして、朴正煕が、大統領だった1970年に「漢字廃止の宣言」がなされ、公教育から「漢字」が正式に追放されたのです。
しかし、1948年以降、児童教育でも「ハングル優先」の教育と「漢字軽視」の流れが始まっていたので、アネザイチカ=夢の宮が、漢字の知識が「貧困」のまま、日本のバブル期に、韓国人ホステスとして、「ニューカマー韓国人」として、日本に入国した可能性が高いと思います。
もう一つ可能性があるのが、高麗人の可能性です。
続きます。