書籍化されました
媚韓政治家としての中曽根康弘
読者の皆様お久しぶりです。
12月も22日、後8日で「魔の令和元年」も終わりです。
間に、閑話休題の記事を2本挟んだとはいえ、「中曽根康弘」についての記事は、12月7日が最後ですから、15日間、間隔が空いたわけですね。
その間、私は参考文献の読みこなしをしていました。
この連載を読んでいて「中曽根について述べたいのか、韓国について述べたいのか、どっちなんだ?」と思う読者も多いでしょう。
★結論から言うと「両方」です。
例えば、同盟国アメリカの政治家を分類する際に、彼は「親日派」だ、彼は「反日」だという分類はできるでしょう。
しかし、「媚日派」の政治家と言うのはいないでしょう。
日米は同盟国とはいえ、力関係は明らかに「アメリカ帝国」の方が上です。
核を含めた軍事力は言うに及ばず、経済力を見ても、アメリカは依然として、世界第一位のGDP大国です。
日本も、中国に次いで、世界第三位のGDP大国ですが(注;中国のGDP集計には過去から「国家ぐるみの捏造統計」が言われておりその疑惑は現在も解消されていません)、アメリカは人口は日本の3倍弱で、「巨大な国内市場=内需」を抱えています。
要するに、「力関係」が現状、圧倒的に日本の方が弱いですから、如何に同盟国とはいえ、弱い方に「媚びる」必要はないわけです。
日本と韓国の関係も同じで、両国に「軍事同盟」は有りませんが、「日米軍事同盟」があり、「米韓軍事同盟」有りますから、アメリカを介して、「間接的な同盟関係」にあるといえるでしょう。
先月「揉めた」、GSOMIAがいい例でしょう。
北朝鮮の軍事情報については、レーダーなどの設備は日本の方が上なので、「北朝鮮情勢」について、わざわざ韓国から情報を貰わなくとも、安全保障上、日本には痛くも痒くもありませんでした。
それを、「対韓輸出規制」を封じるカードとして「GSOMIA破棄」をちらつかせた文在寅が頭が悪いのです。
韓国=大韓民国が成立したのは1948年ですが、アフリカ並みの「最貧国」から、年率10%を超える経済成長を可能にさせたのは、
- 1965年の日韓基本条約による、合計8億ドルの「経済援助」
- 朴正煕暗殺後の軍事政権の全斗煥に中曽根が与えた、40億ドルの「経済援助」
です。
更に加えて言えば「初の「在日」出身の大統領」の李明博がゆすり集りをした「日韓通貨スワップ」も韓国の経済成長に貢献しました。
李明博とは・・・・・Wikiより
日本の大阪府大阪市平野区出身の韓国の政治家。第17代大統領、ソウル特別市長を歴任。本貫は慶州李氏。生誕時および1945年までの日本での通名は月山 明博(つきやま あきひろ)
成長過程および教育
1941年、慶尚北道浦項出身の李忠雨(イ・チュンウ)を父親、蔡太元(チェ・テウォン)を母親とし、四男三女の三男(第五子)として大阪府中河内郡加美村(その後の大阪市東住吉区、現在の大阪市平野区加美南3丁目)の「島田牧場」の社宅に生まれる[3]。
李忠雨は1929年から島田牧場で働いていたが、終戦直後の1945年10月に一家は密航船に乗って[4]、父親の故郷である浦項へ引き揚げた。
大統領として
李は2007年12月大統領選挙で48.7%の得票で大統領に当選した。しかし、投票率は韓国の大統領選挙史上最も低いものであった。2008年2月25日に、第17代大韓民国大統領に就任。就任式には、外国からの招待客や一般市民ら約6万人が参加。
日本からは福田康夫首相のほか、中曽根康弘元首相、森喜朗元首相、重村智計早大教授らも出席した。
★前任の大統領の廬武鉉(自殺に見せかけた他殺ではないか?下手人はアメリカか?)が、頭のおかしい男だったので、「在日」とはいえ、数え年の6歳まで大阪で育った大統領の登場に、前前任者の金大中の時の様に「日韓関係の改善」が見られるかと思って、我々日本国民は期待しましたが、任期末期の2012年に、日韓関係の最もデリケートな「領土紛争地域」の竹島に韓国大統領としては、初めて上陸してみたり、平成天皇を「日王」と呼んで「謝罪」を要求してみたり、建国後「最悪」の「日韓摩擦」を巻き起こしてしまったことは記憶に新しいです。
《「在日韓国・朝鮮人」のイメージを悪くし「嫌韓ブーム」の火付け役となった李明博》
★更に、「経済支援」を日本にも集っていました(怒)
2008年秋にはリーマン・ショックによる世界同時不況とそれに伴う景気悪化、株価下落や急激なウォン安に苦慮するなど、頼みの経済でも活路を見いだせず、綱渡りの政権運営が続いた。
同年12月の第1回日中韓首脳会談では当時の麻生太郎首相と温家宝国務院総理との間で日本や中国とのスワップ枠を増額させる合意に成功した[13]。
日米中など他国とのスワップを得て2009年以降、OECD諸国の中では最も早くプラス成長に転ずるなど、堅実な経済運営で評価を回復した。
ポイントは
「2008年の韓国通貨危機による傷は深かったが、駐日大韓民国大使の権哲賢を使って、日本の政治家や政府高官などにロビー活動を展開させ、スワップ締結に難色を示していた対韓強硬派の中川昭一財務大臣(当時)に日本国内の親韓派から圧力を掛けて日韓通貨スワップ協定を成功させ外貨預金不足による投資家の韓国第2のIMFへの危機感を無くさせ、国外からの投資を呼び戻した」・・・です。
権哲賢(クォン・チョルヒョン)とは・・・・・Wikiより
大韓民国の政治家。慶尚南道の現在の巨済市の地域の出身。第15、16、17代国会議員を務め、2008年から2011年まで駐日大韓民国大使
駐日大使
権はインタビューにて韓国通過危機時に財務相だった中川昭一を韓国に友好的ではない認識していたため、彼に影響力のある日本の政治家や政府高官などにロビー活動を展開し、その結果スワップ協定を成功させたと語っている[3]。
在日本韓国大使としては韓日文化交流の増進、在日韓国人に対する地方参政権の付与ロビー活動、朝鮮王室儀軌の「返還」などを推進した[4]。
2011年4月、韓国が竹島に海洋基地を建設することを計画していることについて、松本剛明外相が異議を申し立てると、日本の中学校教科書検定で竹島を日本領土として明記したことに触れ、「日本が確執の原因を提供したのだから、わたしたちは言葉ではなく、行動で示さなければならない」と反論し、日本側の抗議を退けた。
帰国後
2014年1月、安倍晋三首相の靖国神社参拝について「全く断片的な思考、短見に基づいた行動だ。断末魔的なイベントだ。瞬間的な満足に酔っており、日本は滅ぶ。アベノミクスの瞬間的成功で、正常な判断力がマヒしているようだ。理性を失った行為だ。日本は寂しい島国になるだろう。」と批判した。
まさに、この大統領にして、この駐日韓国大使有で「最悪の反日コンビ」でしたね(怒)
2008年当時の300億ドルとは、円ドルレートが1米ドル=117円ですから。
約3兆5100億円です。凄まじい額ですね。
この、権哲賢(クォン・チョルヒョン)と言う大使は、「クラブ高円」の久子さんとも親しかったのですね。
東洋経済日報 2009/10/02
<Korea Watch>韓日・日韓交流おまつり、友好の新時代を拓こう!
仲良く、鳩山幸総理夫人(当時)も一緒に写っていますね。
韓国通貨危機とは・・・・・Wikiより
2007年の世界同時不況が発端となって、2008年から2009年にかけて大韓民国の通貨大韓民国ウォン(以下ウォン)の価値が大幅に下落したことに伴う通貨危機。
ドル不足と韓国の国際収支
リーマンショックに伴い、金融市場がクレジットクランチ(信用収縮)に見舞われると市場でドルの流通が滞り、インターバンク市場ではドル不足を招いた。
その結果、最もドル不足の影響を受けたのが韓国の通貨、ウォンであった。
アメリカのブッシュ政権の末期に、アメリカ有数の投資銀行(日本で言えば証券会社)のリーマン・ブラザースが倒産してから、もう既に11年たつんですね。
まさに「光陰矢の如し」です。
★「信用収縮」とは、要するに世界の大手銀行が、融資先(貸出先)を「信用度」に応じて「選別」し、その結果「信用度」の低い国には、融資してくれなくなることです。
「一応」先進国だった韓国が、真っ先にそのターゲットとされました。