「中華文明」の発祥地の「中原」=黄河流域は、「有史以前」から疫病を世界中に拡散してきた土地
★疫病の流行は、中華帝国より長い。
歴史とは、「資料」、主に紙媒体に、文字で記録された信頼できる事実を元にして書かれます。
これを「信史」というのですが、中国の歴史資料には、文書により記録以前にも、亀の甲羅や獣骨に刻み込む「甲骨文字」が有ります。
この甲骨文字に、既に疫病に関して占っていた形跡が見られます。
古代の疫病駆除は、たいてい、巫術(ふじゅつ)によって行われてきました。
巫術(ふじゅつ)とは・・・・Wiki
所謂、「シャーマニズム」のことですね。
シャーマン(巫師・祈祷師)の能力により成立している宗教や宗教現象の総称であり[1]巫術(ふじゅつ)などと表記されることもある[1]。
シャーマンとはトランス状態に入って超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信する現象を起こすとされる職能・人物のことである[1]。
現在の様に、「医学」そのものが無かった時代には、祈祷師を読んで、祈ってもらうしかなかったでしょうね。
《かの有名な「スペイン風邪」も発生は「中国南部」だった》
1918年のインフルエンザパンデミックと呼ばれています。
大流行したのは1918年秋ですが、そもそもは1917年に中国南部で生活していた苦力(クーリー)の間で流行していました。
苦力(クーリー)とは・・・・Wiki
19世紀から20世紀初頭にかけての、中国人・インド人を中心とするアジア系の移民、もしくは出稼ぎの労働者である。
主に大英帝国の植民地、旧植民地であるアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、香港、シンガポール、等で低賃金で過酷な労働を強いられた。
歴史上の定義では、出稼ぎ労働者となっています。
有名なのは、アメリカの大陸横断鉄道の敷設工事に大量動員された中国人の苦力ですが、中国でも清朝の国力が衰退して、英仏などの列強に「租界」として本土が蚕食されると、中国内でも苦力は増えました。
最初は中国に駐在していたアメリカ人が感染し、第一次世界大戦の欧州戦線に従軍した時に発病して、同盟国のフランス軍に感染し、最後は敵軍のドイツ軍にも感染させて、全世界に拡散されて「史上初のインフルエンザ・パンデミック」となりました。
感染者は5億人以上で当時の地球人口の20%~40%に達し、最終的な死亡者数は5千万人~1億人、致死率は約2.5%でした。
当時はインフルエンザに対する治療法が確立されていなかったので、被害は拡大する一方でした。
中国は古代から現代にいたるまで、地域による大きな気候の変動は有りません。
ですから、昔から、華北の黄河流域は乾燥地帯で、長江(揚子江)流域は高温で湿潤な気候でした。
https://www.travel-zentech.jp/world/map/china/Rivers_Map_of_China.htm
司馬遷は「揚子江以南の地域は、土地が低く気温が湿潤であり、成人男子は若くして亡くなる」と書いています。
マラリアによる感染死が主な原因だと思われますが、中国で発生した疫病は、陸と海のシルクロードによって、欧州にも拡散していきました。
東は日本、西はイギリスまで。
※続きます。