書籍化されました
話しを鮫島純也に戻します。
上昇志向の強かった鮫島純也は、学歴もなく、呉服屋で働き続けることに限界を感じたようで、山形屋をやめて、朝鮮半島にわたり、朝鮮銀行に職を求めました。
しかし、日本銀行とほぼ同格で、東京帝国大卒ばかりの朝鮮銀行で仕事が有るわけは有りません。
結局、朝鮮銀行在職中は「お茶くみ」をやっていたようです。
絶望したのか「内地」に戻り、「職工」=工場労働者で大阪や関東を転々として、横浜市鶴見区の旭硝子の工場でも働いていました。
その後、代議士の岩切重雄の書生となり、日大法学部の夜間部に通わせてもらい1930年に卒業したと称しています。
《1930年度の日本大学法学部の夜間部の卒業生名簿に鮫島純也の名前は無かった》
これは、小泉純一郎が総理に成った2001年以降、多くのライターが調査して本に書いた有名な話ですが、鮫島純也という名前は1930年度の卒業生名簿に無く、指定したクラスには、朝鮮人の名前があったそうです。
《大学卒の学歴を得て、再度朝鮮半島に夢を託す》
雑誌「インサイドライン」編集長の歳川隆雄は、鮫島純也は1930年代、朝鮮総督府で働いていたと書いています。
しかし、1930年代の朝鮮総督府は、日韓併合後既に20年たっており、内地から就職する「キャリア官僚」は、内地の帝国大学か、地元の京城帝国大学卒しか基本的に採用していませんでした。
日大夜間部卒の鮫島純也に「居場所」があるはずは有りません。
それにしても「朝鮮半島に対する執着心」が半端ないですね。
《夢破れて、内地に戻り、「出世」の為の「裏技」を使う》
内地に戻った鮫島純也は、小泉又次郎が幹事長を務める立憲民政党の事務職員になりました。
そこで、小泉又次郎の一人娘の芳江と知り合い恋愛関係になりますが、又次郎が大反対したために、二人で駆け落ちして同棲を始めます。
又次郎としては、高学歴で名門の男を婿に迎えたかったようですが、又次郎の出自を考えたら、ちょうど、釣り合っていたのではないでしょうか。
小泉又次郎の一人娘の芳江は、又次郎の正妻の子ではなく、妾に生ませた娘です。
しかも、又次郎はその「妾」に芳江を生ませた後は「小泉組」の自分の子分に下げ渡して、「妻」として与えています。
「堅気」の家では考えられないですね。
結局、又次郎が折れて、結婚を許し、戦後は又次郎の横須賀の地盤から選挙に出ています。
《祖父又次郎から教わったことは「花札だけ」という小泉家の「良家らしい家庭教育」(爆)》
総理時代の小泉純一郎は、「夫婦同然」と言われたすぐ上の姉の信子のアドバイスで「変人キャラ」から「クラシックのワーグナー」が趣味の「孤高で清貧な政治家」を演じていましたが、本当の趣味は「無類の賭け事好き」だそうです。
総理を引退して以降はもう「演技」は必要ないので「クラッシック」などは聞いていないでしょう。
「ダークサイド・オブ 小泉純一郎~異形の宰相の蹉跌~」
岩崎大輔(著)
P88
6行目
「小泉純一郎は賭け事好きで知られるが、渡世人であった祖父から学んだようだ。
おそらく又次郎は孫と賭け事をしている最中にルールだけでなくなにがしかの人生教育を施したのだろう。」
「賭け花札」は立派な犯罪です(怒)
賭博罪とは|ゲームや麻雀で逮捕される条件・刑罰の重さ・実際の判例
賭博罪に該当する行為
「賭博罪の構成要件」でお伝えしたように、財物の所有権を争い、かつ一時的娯楽を供するもの以外を賭ける場合には賭博罪に該当する可能性があります。例としては以下のようなものがあります。
- 賭け麻雀
- 野球賭博
- 賭け花札 など
現在、国会は「賭けマージャン」で辞職した黒川高検検事長を「何故賭博罪で逮捕しないのか」と野党が、安倍総理と森雅子法務大臣を追及していますが、気持ちはわかりますが、黒川検事長が麻雀を覚えたのは恐らく、大学生以降でしょう(笑)
しかし、そもそもヤクザの「小泉組」で、物心ついた時から、組長の又次郎や組員に混じって「立派な賭博罪に該当する花札」を
やり続けた小泉純一郎が4年半も総理大臣をやった「日本政治の黒歴史」を追求するのが先ではないでしょうか(怒)
ちなみに「渦中の人」の黒川検事長は、2001年~2002年にかけて、小泉内閣で「司法制度改革」を推進する法務省の代表となり、閣議決定まで持ち込んでいます。
当時、小泉純一郎も黒川元検事長と「賭けマージャン」をやっていた可能性もありますね(怒)