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2020/7/16【西岡力】報道されない北朝鮮の真実
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【西岡力】報道されない北朝鮮の真実 2020/7/16
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以下は西岡教授の主張を何度も聴いてメモを取り、専門家の西岡教授が「端折った」箇所を私が情報収集して補足したものです。
《北朝鮮の首都の平壌では4月以降3か月も「配給」が滞っている》
ここで「配給」と言う聞きなれない言葉が出てきましたが、「戦争」などの非常時に、「国家」が戦勝を「絶対目標」として、主に食料や衣料、燃料等の「資源」を、戦争目的に「優先配分」して、「国民の欲望」を強制的に抑制させることです。
私が子供の頃、1960年代に、お爺ちゃんや、おばあちゃんから「大東亜戦争中の配給」についてよく話を聞きました。
先の大戦中の標語が「欲しがりません勝つまでは」でした。
国家が「物資の配給制」を敷く=市場経済の否定です。市場経済なら、例えば「コメ市場」なら、お金持ちは、好きなだけ「お米」を買えます。しかし、「国家非常時」に「市場経済を休止」することにより、国家がコメを筆頭に食料の各家庭の「配分量」を決めるのです。
それが「配給制度」でした。
驚いたことに、第二次大戦後も旧ソ連を筆頭に社会主義国では「配給制」が続けられていたのですね。
北朝鮮については未確認ですが、「社会主義圏」に属したことにより、「市場経済」ではなく(市場経済を認めると資本主義国家になってしまう)「計画経済」だったので、1948年の建国以降も「物資配給制」だったものと思われます。
毎日新聞の米村耕一記者のこの本に詳しく書いてありますが
「北朝鮮・絶対秘密文書 体制脅かす『悪党たち』」
米村剛一
P39
冷戦終結とソ連・東欧圏の崩壊のあおりで、交易マーケットと経済支援を一気に失った北朝鮮は、
急激に深刻な経済難に陥ったことで国民のライフスタイルを大きく変えた。
国営企業は資材が手に入らない為開店休業となり、国の配給・供給システムは崩壊して、
国民には食料がいきわたらなくなった。
と有りますから、1948年の建国以来、最初から「食料・物資配給制」だったのでしょう。
《北朝鮮の人民は「自由に居住地を選ぶ権利」が無い》
朝鮮半島は、高等地図帳で見れば一目瞭然ですが、日本列島と同じ山がちの国で、耕作に適した「平野」は少ないです。
朝鮮半島全体の面積は日本の約58%で、イギリスのグレートブリテン島とほぼ同面積です。
ざっと見ても、平地は半島西側の黄海に面した、平安北道、平安南道、黄海南道にわずかに見られるぐらいです。北朝鮮の中部から東部は急峻(きゅうしゅん)な山地ばかりです。
《建国後、金日成に反抗的な人々は咸鏡(かんきょう)北道や咸鏡(かんきょう)南道に「強制移住」させられた》
咸鏡北道(かんきょうほくどう)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)北東部に位置する行政区。
地理
北は豆満江を隔てて中国・ロシアと隣り合い、西は両江道、南は咸鏡南道と接する。東は日本海に面している。一般に山がちで平地が少ないため、耕地に適した所が少ない。
また、山がちな地形とともに大陸性気候の影響で冬は非常に寒く、雨が非常に少ない土地である。そのため食糧不足が国内で特に深刻な所である。
金日成以下「金王朝」に反抗的な人物や「特定地域の住民」は、耕作地がほとんどない咸鏡北道に「強制移住」させられました。
日本流に言えば「江戸時代の島流し」で、北朝鮮の場合は「山流し」でしょうか。
「物資配給」でも差別され「自分の口は自分で養え」の一種の「流刑地」です。
《北朝鮮の人民は「住居の移動の自由」は認められていない》
従って、一旦「反党分子」のレッテルを貼られて、咸鏡道に「流された」ら、泣いても笑っても死ぬまで首都の平壌に戻れないわけです。
《首都の平壌に居住を認められている人はどのような人々か?》
・金王朝ファミリー
・朝鮮労働党幹部とその家族
・朝鮮人民軍の幹部とその家族
・国交のある各国大使
・日本の拉致被害者の主だった人々
以上のようなロイヤルファミリーを除けば「エリート階層」です。
従って平壌居住は、それ自体が「特権」なのです。
※続きます。