《韓国陸軍唯一の大将で「救国の英雄」、白善燁(ペク・ソニョップ)将軍逝去、享年99歳》
1920年(昭和元年)日本統治下の朝鮮半島に生まれました。
当時の平壌師範学校を卒業後に、一族に軍人が多かった関係で、当時の満州国に渡り、満州軍官学校に入学し、軍人となりました。
卒業後は満州国軍の軍人として勤務し、1943年2月、間島特設隊に転勤。白頭山の鴨緑江、豆満江上流部一帯で、中国共産党が主導する中国人、満州人、朝鮮人により構成された抗日ゲリラの討伐に従事した。
1944年春、熱河省の八路軍(紅軍)掃討作戦に参加、特殊工作とくに情報収集で偉功を立て、旅団長賞詞を受ける。
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間島特設部隊(かんとうとくせつぶたい)
かつて満州国に存在した朝鮮人部隊。
満州国軍隷下として1938年(昭和13年)12月(1939年3月とも)に間島省明月溝で創設された。
おもに間島地域で徴募された朝鮮人兵士により組織され、士官は隊長と中隊長の一部が日系軍官で、それ以外は満州国軍官学校で教育を受けた朝鮮人士官が配属された。
日本の野副討伐隊の討伐作戦に参加し、その働きぶりは日本軍からも「常勝の朝鮮人部隊」と高く評価され朝鮮人独立運動勢力の掃討に貢献した。
昭和19年には華北戦線に投入され、日本軍の一翼として八路軍系の中国軍と戦った。
部隊は第二次世界大戦終結にともない解体されたが、この部隊出身の士官は、初期の大韓民国陸軍で重要な地位を独占した。
連隊長クラスや将軍にまで昇進したものも多く、大韓民国建国後の反乱鎮圧や共産系ゲリラ討伐に活躍し、後の朝鮮戦争でも戦った。
白将軍は極めて優秀な軍人で、韓国建国後は、朝鮮戦争で大活躍し、緒戦の北朝鮮軍の奇襲作戦で釜山まで追い詰められた韓国軍を連合国軍とともに、盛り返し、滅亡しかかった祖国を救った英雄です。
その勇敢で、巧みな采配は、韓国軍を民兵としか見ていなかった、アメリカを筆頭とする連合国軍から称賛され、「ホワイティ」の愛称で親しまれました。
朝鮮戦争終結後、退役し、後は各国の大使や、朴正煕政権で交通部長(日本で言えば国土交通大臣)を務めました。
交通部長時代に有名な「よど号ハイジャック事件」の解決に協力してくれました。
拙ブログでもよく引用する白将軍の自伝ですが
若き将軍の朝鮮戦争 (草思社文庫)
非常に良いことが書いてあるので、読者の皆様と共有したいと思います。