※出版されました
《法政大学の超有名だが奇妙な同級生》
■爆弾テロリスト東アジア反日武装戦線のリーダーの故大道寺将司(確定死刑囚、獄中死)
大道寺将司・・・・Wikipediaより
1948年(昭和23年)6月 – 2017年(平成29年)5月)は、日本の新左翼テロリスト。東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバーで、リーダー格の人物
人物
北海道釧路市出身。中学校入学後は学区の中にアイヌ居住区が含まれていたため、多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった。
北海道釧路湖陵高等学校入学後はさまざまなデモに参加するようになる。同高を卒業後、社会主義研究会に参加するようになる。この研究会の意向で法政大学に同会の運動の足場を固めるべく、同大文学部史学科に入学。「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を醸成させていった。そして、大道寺によれば北海道出身のアイヌへの贖罪意識があったという。
以上
菅義偉は1948年12月生まれなので、同級生です。
《「2浪」して法政大学に入学したのも同じ》
私は、昨年「反日工作員」の正体を調査していて、その反日工作員の「腹腹時計」というフレーズから、大道寺の経歴を調べているうちに、同い年生まれ、しかも「2浪」して法政大学に入学した同級生に当時官房長官だった菅義偉がいるのを知って、「奇妙な共通点」に驚きました。
そして、その時見たWikipediaでは菅義偉は「法政大学の二部(夜間部)」となっていたので、キャンパスは同じでも、昼夜逆転で、知り合うことはなかったのかなと妙に納得しました。
それが、今年の自民党総裁選に出馬後は「実は夜間部ではなくて昼の部です」と訂正しているのに2度びっくりしました。
正確には法政の夜間学部ではなく「時に法政の夜間と報じてきたメディアもあるが、法学部政治学科に入学」という。
《1968年当時の法政大学は「学生運動のメッカ」で「反体制活動家」は無試験で入学できた》
この大学に、菅は入学したわけです。当時の学生運動のメッカの熱気の渦に巻き込まれることなく、はたして、空手、アルバイト、学業だけの活動ができたのでしょうか。
大道寺も北海道の釧路の実家はそれなりに裕福で、東京の予備校に通うという口実で仕送りさせて、2年遅れで法政大学に入学するまでは工場の労働者などをしていました。
上京した菅義偉が板橋の段ボール工場で働いていた姿が、妙に大道寺と被る気がします。
《学歴の「毀損」となる「法政大学の夜間部卒業」と言う誤報に何故、抗議・訂正を求めなかったのか?》
法政大学の夜間部卒業という報道の方が都合がよかった理由は何だろう?
《同い年で法政大学同級生の大道寺と重なる「アイヌへのこだわり」と「アイヌ新法」成立を推進した菅義偉》
アイヌ新法とは・・・・Wikipediaより
アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律。2019年(平成31年)4月19日に成立。
評論家で、菅義偉が推進した「アイヌ新法」は、反日イギリス人政商のデヴィット・アトキンソンと組んだ「観光目的」という人もいます。
そう言う側面もあるかもしれませんが、「思想」や「理念」が無いとよく言われる菅義偉ですが感情的に「アイヌに対する贖罪意識」もあるような気もします。
《疑惑⓵大学時代の「空手三昧」は表の顔で、反体制学生運動に熱中していたのではないか?》
■「東アジア反日武装戦線」はプロのテロリスト集団で「証拠隠滅」は徹底していた。
公安警察の「尾行のまき方」、書類やメモを残さないグループ間の連携行動。
主要メンバーが逮捕されるきっかけになった東京都練馬区の「非公然アジト」へのガサ入れで初めて、メンバーを記した手帳が見つかり、マークしていなかったメンバーの存在に気付いた。
その二人のうち、一人の桐島聡は、警察に一度も姿を見られないまま、現在も指名手配中です。
当時の公安警察のマークから漏れた「末端メンバー」がかなりいたはずです。
故大道寺将司と菅義偉の「人生の交差点」らしきものが非常に気にかかります。