土地登記簿による再検証①
「女帝 小池百合子」によると実家跡地は宮川と言う小規模河川のすぐそばとなっている。
土地登記簿による再検証②
阪急神戸線のすぐ線路脇で宮川の堤防と阪急電車の線路に囲まれた南北逆三角形の土地で現在はコインパーキングになっている。
土地登記簿による再検証③
You tube動画「一月万冊」の調査から
土地登記簿による再検証④
実家跡地はここだろうと特定しました。
阪神地区に住む友人の協力
小池百合子が関西学院大学中退と名乗っていることを知らなかった関学OB
先月会社の同僚だったM君とskypeで話した時に小池の話で盛り上がった。彼は関西学院大学の卒業生だったが小池が関学中退と名乗っていることを知らなかった。
同窓会のパーティーに行っても小池とほぼ同年輩の年長のOB・OGから「私は小池百合子さんと同期入学だった」と言う人に一度も会ったことはないと言う。
実家跡地の土地の登記簿を閲覧してもらった
現在起業して不動産関係の仕事をしている彼に「ここが小池の実家跡地らしい」と言う話をしたら「土地の登記簿を取り寄せて検証してみるよ」と協力してくれた。
仕事の合間に調査してくれて先日やっと連絡をくれてskypeで彼の解説を聞いた。
借家住まいの芦屋令嬢?
少なくとも土地の地権者が小池勇二郎だったことはない
彼によると調べたい土地の住所が分かれば管轄法務局に聞けば「地番」を教えてくれその地番で土地登記簿が見れるそうだ。
調べるのに相当日数がかかったらしい。あたかも「いわくつきの土地」の様に地権者が転々と変わり一時金融機関による「差押え」にあっていた時期もあると言う。
昭和44年4月まで遡っても小池の実父の小池勇二郎はおろか伯父の準一郎の名義すら出てこなかったそうだ。
昭和44年4月と言えば小池の父の小池勇二郎が年末の衆議院選挙で落選した1969年だ。
不吉な土地なのか?
彼に解説してもらったが数回登記簿を取り寄せたと言う。
①土地の区画整理により一度、登記簿が閉鎖されていた。これは公共利用の為、私有地に公道を通す場合、地番を変更する為それ以前の登記簿は閉鎖されるからだ。
石井妙子が「地図に無い新しい道が通っていた」とはこの事だろう。
閉鎖登記簿を取り寄せた上の結論
小池の人生のターニングポイントとなった1969年12月27日以前も以降も小池勇二郎と言う名義の地権者または「小池姓」の地権者すら一度も出てこなかった。
という事は少なくとも「借地」の上の家に住んでいたという事。家屋の登記簿は既に取り壊されて久しいのでわからなかったという。
大正14年頃、借家に移った事は事実
大正14年は翌年から元号が昭和になる大正最後の年だ。
友人がポツリと漏らした一言は「なんで41㎡程度の土地を買い取らなかったのだろう?」と言う素朴な疑問だった。
頻繁に電車が通る線路と川の土手に三角形に包囲された土地の坪単価が高かろうはずがない。私も友人の意見に納得した。ただ地主が売らないと言えばそれまでだが。
1969年12月一家で夜逃げするまで借家住まいだったと推測するのが妥当
引っ越してから45年間、小池勇二郎は借家を買い取って持家にすることも可能だったが。
友人に言わせると土地付きの一戸建てで鉄筋造りの立派な家でも築10年以上経てば土地付きで売却する時は「上物(うわもの;家屋の事)」はほぼ無価値だと言う。