無限拡散|抗争|余命三年時事日記2016年㉓

※2016年03月より半年にわたって繰り広げられた、伏見顕正と余命三年時事日記との抗争の実録です。

ブログ【伏見顕正】2016年03月22日

余命検証(2)安倍政権の政策課題に「在日問題」は無い

総理に直接、確認したわけではないが、祖父の岸信介元総理、大叔父の佐藤栄作元総理、御実父の安倍晋太郎元外相、維新の元勲を大量に輩出した「長州藩」の歴史、風土を考えると、総理も所謂「在日特権問題」を陳情すれば、話は聞くだろうが、「余命爺の大嘘」の様に、やれ「ハードランディング」や「日韓戦争」やら、「在日一掃蜂起」やらは、一笑に付すであろう。

【余命ブログ一派の真の狙い】

★「余命三年時事日記」「待ち望むもの」「大和心の回帰」、余命爺、豆腐おかか、大和心(愛称なごみ(笑))この三人はリアルに電話で、連絡を取り合う仲だそうだ。

狙いは、一つ、国民特にB層の目を「在日問題」にくぎ付けにし、今夏の衆参ダブル選のテーマである「憲法改正」からそらすためである。それは中国の国益に一致する。

安倍総理が「政治生命」をかけて行おうとする「憲法改正」の足を引っ張ることだ。

そうです。「余命一派」は「反日」のみならず「反安倍」なのである(怒)

私は、天才歴史小説家の司馬遼太郎の大ファンで、彼の著作は、全部読破した。自分の歴史観は、「司馬史観」であるが、偏るといけないので、会津出身の「早乙女貢」の「会津士魂」なども読破した。

その意味で、「歴史観」はバランスが取れていると思う。

 

≪長州人にとって朝鮮は隣国ではなくて隣県≫

幕末、回天の時、長州の高杉晋作は、討幕を試みて、「もし、失敗したら天子(明治天皇)を抱いて、朝鮮に亡命する」と周囲に語っていた。

地理的な位置関係からも、長州「山口県」と朝鮮半島はシンパシーが強い。

司馬遼太郎の「世に棲む日々」(吉田松陰と高杉晋作が主人公)を読むと、高杉は、

藩から蟄居を受けている間、日本海の冒険に乗り出して、鬱陵島(ウルルン島)に漂着した。

島に上陸してみると、髭が白く長い老人が出てきて、何をしゃべっているかわからなかったという。朝鮮人だったのであろう。

歴史を飛ばして、安倍総理の話に戻そう。総理は長い期間、御実父の、安倍晋太郎元外相の秘書を務めていた。

安倍晋太郎先生は、総理の座に最も近い位置にいたが、惜しくも、癌で急逝された。

ここからは、安倍総理が民主党から政権を奪還し、見事に復権したときに、文芸春秋に総理が政治家になるまでの、軌跡を気鋭のライターが記事にしていたものである。

総理が、父の弔い選挙で、出馬したのは、1991年、未だ「中選挙区制」の時でした。

「中選挙区制」は、必ず、自民党候補が二人は当選する選挙制度でした。総理総裁を目指すためには、ただ当選すればよいのではなくて、自民党の対抗馬に勝ち、トップ当選しなければなりません。

そこで予想外の異変が起きました。御父上の晋太郎先生の時の日本人後援会の多くが、対抗馬の陣営に寝返ったのです。

総理の陣営は焦りを感じました。そこに、意外な救世主達が現れます。地元、下関のコリアンタウンの在日組織です。

彼らは、父、晋太郎先生、祖父、岸信介先生の恩を忘れずに、獅子奮迅の選挙協力をして、総理をトップ当選させたのでした。

我々は「余命一派のデマゴーグ」で、★朝鮮人イコール「恩をあだで返す連中」と洗脳されがちですが、大事なことは「恩を忘れない日本人並みに義理堅い在日集団」もいるという事実です。

悪い朝鮮人なら、ともかく、只でさえ義理堅い日本人の安倍総理ですから、「危機を救ってくれた地元の在日コミュニティー」のことは感謝こそすれ、悪くは思わないと思います。

下関の高台にあり、見晴らしの良い、総理の御屋敷は、福岡の在日のパチンコ屋オーナーから、晋太郎先生の時に買い取ったものだそうです。

総理は、地元下関に帰ると、馴染みの韓国料理店に行き、「ホルモン」を美味しそうに食べるそうです。
トップレディーの昭恵夫人は、女性ブロガーの間では、厳しい批評をする人もいますが、私は、上手に夫婦で役割分担をしているのだと思います。

駐日韓国大使館での「キムチ漬け」にも毎年、参加していますが、それは、地元で選挙の時に「集票マシーン」となってくれる在日コミュニティーへのメッセージだと思います。
むしろ、一緒に参加する高円宮久子の方が、利権目当てで下品です。

 

総理、総裁、派閥の領袖は、離婚したら終わりです。あの小沢一郎さんが離婚したとたんに、子分たちは続々落選して、影響力を失いました。

何故なら、離婚する前は、地元の自分の選挙は女房に任せて、小沢さんは、全国を駆け巡って、子分の選挙応援に専念できたからです。

前回の衆院選では、小沢氏は、自分の選挙区を守るのに精いっぱいで、地元にくぎ付けになりました。

ですから、安倍総理も自分の地盤は夫人に任せて、その代り、多少の我儘は許しているのだと思います。

余命のハンドブックに、答えが有ります。P26の最終行から、P27の2行目まで「8年前の2008年には、山口県の下関市役所で、朝鮮学校への、補助

削減に抗議する約60人の在日集団が乱入し、市役所の一部を占拠」この話は、在特会の櫻井誠の著書で読みました。

彼が対応して、当時元総理の安倍事務所に何回も電話し太けれど、応答がなかったと。

それは、そうでしょう(笑)電話する先が間違ってますよ(笑)

安倍事務所ではなくて、警察でしょ。という事です。

総理のおじい様の岸信介先生が、A級戦犯の指定が解除され、戦後、初の選挙に出るときに、下関に有る人物が訪れました。

戦後、経済フィクサーとして名を轟かせた在日の町井久之です。

彼は、力道山の兄貴分として知られ、暴力団東声会の組長でした。町井は、同胞の下関コリアンに頭を下げて回り、岸先生の選挙応援を取りまとめました。

町井は、暴力団を解散後、事業家に変わり、岸先生の協力もあって、念願の下関―釜山間の関釜フェリーの就航を成し遂げました。

町井は、フェリーの就航を韓国政府から称賛され、母国に招待されました。その時スピーチで「母国が解放されたのは嬉しかったけど、日本が負けたのは悲しかった」と言って顰蹙を買いました。正直な男です。

戦前の帝国陸軍に朝鮮人のホンサイクと言う中将がいました。戦後フィリピンで、戦犯として裁かれました。

訴因は米軍捕虜に十分に食料を与えなかった捕虜虐待の容疑です。

死刑判決が出た後、米軍将校から「朝鮮人だから許してやろうか」と言われ、即座に「私は日本人として死にたい」と言って絞首台に上りました。

戦犯裁判中に、同僚の日本軍人の弁護は積極的にしましたが、自分の弁護は一切しなかったそうです。

このホンサイク中将には、安倍総理の大叔父の佐藤栄作首相が、鉄道省(現JR)の官僚の頃、満洲で非常にお世話になったそうです。

ホン中将の御遺族は戦後アメリカにわたり、生活に苦しんでいることを知った佐藤栄作首相は、800万円を自腹でだし、ホン中将の御遺族に渡したそうです。

これで、総理一族と朝鮮人、在日との代々良好な関係が理解できたと思います。

皆さん、ご理解いただけたでしょうか。無学の余命爺とその手下の様に、在日=オール悪、殲滅あるのみと言うカルト宗教並みの思想に洗脳されると自らの、身を滅ぼしますよ。職を失い、家族を失い。その時、余命爺一派は、印税もって、フィリピンに高跳びです。

余命と言う、統合失調症のカルト爺についていくものは必ず滅びるのです。

無限拡散|抗争|余命三年時事日記2016年㉔

 

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