書籍化されました
≪長男ジョー・ケネディ・ジュニアの戦死≫
ジョーの長男、ジョー・ジュニアは極めて優秀な人物でした。しかも、文武両道で、生前の写真を見ると私見ですが、4人兄弟で最もイケメンに見えます。
息子が複数いる時、長男が優秀な時が、父親が一番機嫌が良いものです。
父親のジョー・シニアもハーバート卒ですが、成績は下位でした。
アメリカの東大ともいうべき、ハーバートは難関校ですが、大金持ちの子弟は金で入れます。直近の例で言えば、大統領を務めたブッシュ・ジュニアがそうでした。
ハーバート・ビジネススクール卒です。
東大も戦前、元首相の吉田茂が金で入りましたから、大きな声で言えませんが・・・・
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しかし、ジョー・ジュニアは父と違い、地頭がよかったようです。ハーバート卒業後、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で著名な政治学者の
ハロルド・ラスキに師事しています。
その後、ハーバート・ロースクールに入学しています。
アメリカの弁護士試験は、日本の司法試験より格段に易しいですが、ハーバード・ロースクールの授業について行くのは、非常に困難です。
ロースクール在学中に、海軍のパイロットに応召。ヨーロッパ戦線に配属されます。
イギリスでは、元駐英大使の息子だからと言うことで、大使館付武官を命ぜられます。少しでも安全なポストにおこうと言うアメリカ政府の配慮です。
しかし、彼は、これを断固拒否。危険な最前線を志願します。
フランス、カレーのドイツ軍基地を叩く、アフロディーテ作戦に参加します。火薬12トンを搭載して、飛行するという生還確率の低い任務です。
彼は、もし戻らなかった場合の父への伝言を友人に託していたと言いますから「覚悟の出撃」だったのでしょう。
何が、一族が将来を期待するケネディ家の長男をそこまで駆り立てなのか不明です。
果たせるかな、ジョー・ジュニアの搭乗機は、イギリス南部の上空で爆発。ケネディー家期待の長男は、29歳の短い人生を終えました。
ジョー・ジュニアの命式を見てみましょう。
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四柱推命 鑑定命式 ジョセフ・パトリック・ケネディ・ジュニア
1915年7月25日生まれ~1944年8月12日PM18時20分戦死(29歳)
・・・上 中 下 宿命星 蔵干 十二運 吉凶星
年柱 乙 卯 乙 偏印 偏印 印綬 病 囚獄 白虎殺
月柱 癸 未 己 偏官 食神 偏印 冠帯 羊刃 血刃 暗禄 紅艶
日柱 丁 巳 丙 劫財 帝旺 孤辰 駅馬
時柱 丁 未 己 比肩 食神 偏印 冠帯 羊刃 暗禄 紅艶 華蓋
【子丑空亡】
【総合鑑定】本来はこの人が大統領になるべきだった。
①非常に強い命式だが事故に遭いやすい命式、パイロットに志願すべきではなかった。
①については
掛け値なしの強い命式。
十二運を上から見ていきましょう。帝旺が1個、冠帯が2個、病が1個です。
強い十二運とは、帝旺、建禄、冠帯、長生のことを言います。年柱の病がちょっと気になりますが、総合的に判断して「身旺」とみてよいでしょう。
月令を見てみましょう。7月生まれの丁です。真夏の夜の蝋燭の灯ですから、気温が低くて、火が消えることは有りません。
月令を得ています。自分の「旬」の時期に生まれたという事です。
ただ、弱点もあります。吉凶星に、吉星が少なく、凶星が多いと言う事です。
厳密に吉星と呼べるものは2個の暗禄のみです。男の色気星の紅艶が2個有りますが、これは、彼の生前の写真を見ればわかることで、魔除けには成りません。
病気や怪我の星、血刃が有ります。飛行機事故に遭いやすい白虎殺が有ります。殺気の星羊刃が2個もあります。
≪印星殺の成立≫
偏印が4個、印綬が1個あります。印星殺の成立です。
戦死した年齢29歳の大運は、26歳~36歳 庚辰―正財―衰・・・羊刃が支配する10年でした。
戦死日と時刻の行運を見てみましょう。
44年 甲申庚 印綬 正財 劫殺2個
08月 壬申庚 正官 正財 劫殺2個
12日 戊申庚 傷官 正財 劫殺2個
18時20分 辛酉辛 偏財 偏財 白虎殺3個
印星殺の怖さが来ました。1944年は印綬の年でした。劫殺が2個来ています。行運に劫殺が来ると災厄に遭うサインです。
これが月運、日運にも来ています。
8月の壬申は、日柱の干支が丁巳の彼にとっては「晦気」の月でした。晦気が行運に来ると命を落としやすく成ります。
晦気の出し方は、命式の日柱の干支が、丁巳なら、先ず丁と干合する天干を選びます。答えは壬です。
そして、巳と支合する地支を選びます。答えは申です。
12日は傷官の日運です。けじめをつけられる日です。
18時20分は酉の刻で、辛酉です。酉は年柱の卯と冲「ちゅう」を形成します。不吉です。
白虎殺が3個も来ます。命式の白虎殺と合わせると4個です。航空機事故から逃れられない魔の時間帯でした。
≪宿命ではなく運命による戦死≫
彼が、大使館付の武官のポストを素直に受けていれば、戦争が終われば、裕福な実家に戻り、大統領候補も視野に入る「約束された未来」でした。
しかし、大使館付武官のポストを拒否した時から、「死へのカウントダウン」が始まったのです。
出撃日と時刻は組織が決めたものですから、拒否はできません。しかも、絶対に生還できない日時でした。私にはある意味「覚悟の自殺」のようにも思えます。
ジョー・ジュニアの父への伝言の内容を知りたいです。ちなみに1944年、申年は、父、ジョーシニアにとって空亡の年、
空亡の恐ろしさは、自分が死ぬか?家族の誰かが死ぬかと言う時期です。
ジョー・ジュニアは、父の身代わりだったのかもしれません。
彼の二十八宿は箕宿(きしゅく)です。武人型の剛毅な人物だったでしょう。
次号は次女のキックを見てみます。