書籍化されました
次に、オナシスの長男で後継者だったアレクサンダー・オナシスを見てみましょう。
アレクサンダー・オナシス
Alexander Socrates Onassis 1948年4月30日〜1973年1月23日
https://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Onassisより抜粋編集
1948年、ギリシャの船主アリストテレス・オナシスと彼の最初の妻ティナ・リバノス(Tina Livanos)の息子として、ニューヨーク市の私立クリニックで誕生。
1950年、妹のクリスティーナが誕生。
アレクサンダーは、正規の学校へ行かず、若い頃から個人教師をによる教育を受けた。
16歳でパリのライシーで試験に失敗、
1965年にモナコの本部で父親の会社で働く
給与は1万2000ドルだった。
アレキサンダーは、真面目な従業員ではなかった。
1960年代半ばに、オナシスはフランスのモデルOdile Rodinと交際が始まる。
ロダンはドミニカ共和国のプレイボーイで交官ポルフィリオ・ルビローザの未亡人であり、ロダンとオナシスはモナコで同居した。
1968年10月、父の、アリストテレス・オナシスは、米国35代のジョン・F・ケネディ大統領の未亡人、ジャクリーン・ケネディと結婚。
オナシスと妹クリスティーナは大きく動揺した。
父はギリシアのオペラ歌手、マリア・カラスとの関係がもとで、オナシス兄妹の母と離婚したが、父親と関係の終わりに向かっているように思えた、
オナシス兄弟は、父がマリアカラスとの関係を清算した後、母親と再婚することを望んでいた。
アレキサンダーは、「父は(ジャッキーの)名声に惚れて、ジャッキーは(父の)お金に惚れたのだ」と話しました。
父の後妻との仲は、悪かったものの、ジャッキーの連れ子のキャロライン・ケネディとジョンの姉弟は、オナシス兄妹との仲は友好的だった。
1967年に初めて飛行レッスンを受け、プロのパイロットの免許を修得。
オナシスの貧弱な視力は、航空輸送免許を保持することができないが、商用航空免許証を所有することができた。
1973年1月23日、所有する水陸両用飛行機が墜落し、24歳で死亡。
滑走路33から離陸して数秒後、飛行機の右翼は落下したままとなり、飛行機では15秒以内に飛行機が落ちた直後に飛行機が墜落した。
調査官は、新しいコントロールコラムの設置中にエルロン接続ケーブルを逆転させた結果として起こったと結論付けた。
事故の要因は、前に離陸したエア・フランスのボーイング727からの後流の乱れがクラッシュを引き起こしたと論じられた。
1974年01月、アレキサンダーが死亡した事に対して、6人が告発され、彼の飛行機に欠陥があったとされた。
1974年12月、有料広告でアリストテレス・オナシスは、息子の死亡が過失の原因ではなく「意図的な行為」の結果であったことを証明するために、1,000,000ドルの報酬(2017年には4.962百万ドル相当)の懸賞金をかけた。
アリスター・オナシスが死亡した3年後の1978年にマッカスカーに80万ドルを授与された。
父のオナシスは、米国の中央情報局(CIA)とギリシャの軍事政権のリーダー、ゲオルギオス・パパドロスロスによるものだと信じて、息子の死が事故であったと信じなかった。
オナシスの死は、息子の喪失から完全に回復したことのない父親に大きな影響を与えました。
アリストテレス・オナシスは、息子の死後、2年後に死亡した。
オナシス父子は、Skorpiosに埋葬された。
以上
スポンサードリンク
アレクサンダー・オナシス
1948年4月30日生まれ~1973年1月23日(25歳没)
・・・上 中 下 宿命星 十二運 吉凶星
年柱 戊 子 癸 正財 偏印 印綬 病 天乙貴人 隔角
月柱 丙 辰 戊 傷官 正財 偏印 冠帯 羊刃
日柱 乙 酉 辛 偏官 絶 咸池
時柱 乙 酉 辛 比肩 偏官 絶
【午未空亡】
【総合鑑定】飛行機事故死「印星殺」の教科書のような命式
条件によっては消えやすい、天乙貴人が生きています。月柱の辰と日柱、時柱の2個の酉が二重に支合を形成します。
この支合は「大吉」ですから、ダブルで大吉です。吉凶星を見ても、乗り物の事故で亡くなる凶星は有りません。
《印星殺の成立》
偏印が2個あります。印綬が1個あります。印星殺の成立です。
飛行機事故死した日の行運を見てみましょう。
73年 壬子癸 印綬 偏印・・・血刃
01月 癸丑己 偏印 偏財・・・羊刃
23日 己未己 偏財 偏財―空亡
1973年は印星の年でした。しかも大怪我の星血刃が巡ってきます。
1月もお約束の偏印が巡ってきます。
しかも、亡くなった年齢の25歳の大運を見ると、21歳~31歳は、己未―偏財―養―空亡で大運空亡です。
加えて、己未の未と1月の丑が冲「ちゅう」を形成します。不吉な月でした。
23日は空亡の日です。様々な偶然と必然が重なり合った悲劇だといえるでしょう。
1月ではなく、翌月の2月にスケジュールをずらしていれば、無事だったかもしれません。
★アテネ空港での飛行機事故としか情報がないので、離陸時の事故だったのか、着陸時だったのかはわかりません。
着陸時だったら、フライトルートで吉凶も見れるはずでした。
オナシスは、後継者として、この長男に期待することが大きく、そのショックから、体調を崩していったそうです。
次は、唯一、オナシスの遺産を相続した長女のクリスティナ・オナシスです。
次号へ続きます。