無限拡散|井沢満の研究㊱-1 NECの死闘

35からの続きです。

この時の「放送衛星」のBS-3というのは、NECが、宇宙開発事業団から受注し、納入したプロジェクトだったんです。

人工衛星事業は、「放送衛星」は東芝、気象衛星「ひまわり」はNECと「棲み分け」が決まっていたところを、当時の関本忠弘社長が「政治力」を使って、受注を奪い取ったものです。

関本社長は竹下登に非常に近い人でしたから。週刊誌には「東芝VSNECの人工衛星戦争」と随分と賑わされました。

私は本社経理部の経理マンとして、このプロジェクトに一定の関係を持っていました。

「受注合戦」の時から、防衛営業本部の宇宙営業部に、同期の仲の良い早稲田マンがいましたから、早くから情報は入っていました。

私が関わったのは、予算と実績の管理の管理だけでしたが、プロジェクトの進捗状況を経理担当役員に説明するためには、現場に足を運ばなければならない。

転職後、同期から聞いたらもう無くなったらしいですが、横浜市緑区の鴨居というところにあった横浜工場に、定期的に通いました。

事業部長にヒアリングし、工場配属の原価計算担当者に、コスト管理の状況を聞く。

その時、知ったのは、人工衛星の原価計算の仕方は、空母や船舶の原価計算と同じやり方だということでした。

売上計上基準(会計上売り上げを立てるタイミング)も同じでした。

 

 

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NECは陰に隠れた「大軍需企業」で、ミサイルや、戦車、無線兵器も防衛庁に納入していました。

トップの某社に次ぎ、受注ランクで3位でした。世間には表の顔は平和企業で売っていましたが。

防衛庁や宇宙開発事業団のプロジェクトを受注する事業本部を担当していましたから、府中工場や玉川工場にも定期的に足を運んでいました。

しかし、やはり強烈な印象を持っているのは、横浜工場です。

田町の本社(当時は森永ビルを一棟借り、安倍昭恵夫人のご実家)からJR田町駅まで歩いて、京浜東北線で、鶴見で乗り換え、JR横浜線といううら寂しい路線に乗り換えて

鴨居駅で降りて徒歩20分、途中に悪臭を放つ鶴見川の橋を渡る。この川は今、ワニ亀や熱帯魚が住んでいるそうです。

俗に「宇宙棟」という、別棟の工場があり、技術者たちは、さながら「細菌戦」の外科医のように、白衣とマスク、眼鏡をかけて作業していました。

もう時効だからいいか(笑)大規模メーカーの経理マンでの業界用語の「丸買い」。

製造原価の80%はGE製品の仕入れでした。そして、いつもついてくるのは仲介する「大倉商事」という怪しげな商社。

NECでの付加価値は20%未満、そして、総売上金は国家予算でシーリングがありましたから、言えませんが純利益率はかなり低い。

でもいいんです。NECのロゴを付けて発射するという「CM効果」のほうが大きいですから。

★だから、私は公安調査庁出身の菅沼光弘さんが言う、北の刈り上げ君が、世界の顰蹙を買いながら、発射し続ける「北朝鮮のミサイル」が、お得意先のアラブ諸国向けのCMだということがよくわかります。

間違っても、日本本土に着弾することはなく、洋上でも日本のマグロ船にすらかすりもしない(笑)

発射すれば日本やアメリカ、西側のメディアが大騒ぎして放送してくれる。スポンサー料も払わずにテレビでCMを流してくれる。

その映像を見て、エジプトやシリア、イランなどの、国防大臣たちが、今回のミサイルは「買い」か「見合わせる」かどうかを決めているんです。

話は飛びましたが私は楽しみにしていた、BS-3の打ち上げを見ることなくノルマ証券に転職しました。

関本社長は本当にいい人で、「円満退社」という形を文書で出してくれて、転職できました。

新人研修の時、グループ面接で謦咳に接しましたが、東大でのエリート技術者ということをちっとも鼻にかけない、明るく闊達な方でした。

NECを売り上げ1兆円から5兆円の企業に成長させた人です。会長になっても実力会長として当然君臨し続けました。

 

1998年積年の野望だった経団連会長の座を新日鉄の今井敬と争って敗れました。

実は、その時には頼みにしていた竹下登が既に、不治の病で入院していましたが、永田町でもこの事実を知る政治家は少なかったです。

そして、経団連会長選に敗れた直後に起きたのが「防衛庁不正調達事件」です。

最初にやられたのは、関連会社のT社でした。あれはNECグループと関本会長を狙い撃ちにした意味深な「政治ショー」でした。

竹下登が死んだのは翌年でしたが、発表されたのは何故か2000年でした。

そして、翌年の2001年に「売国朝鮮人総理」の小泉純一郎が登場したのです。

私は証券会社で上司から「お前もあの事件に絡んでるんだろう」とからかわれましたが、笑って受け流しました。

関わってはいませんでしたが「カラクリ」は知っていました。

大規模メーカでは、全ての情報は「本社経理部」に集中します。人事部のデータも要求すれば見れます。特定人物の人事考課もね。

これは業種に限らず、例えばトヨタなどの自動車メーカー、全ての一部上場企業に共通するはずです。

メーカーは普通、技術屋が社長になりますが、NECでは経理マンは副社長にまではいきます。過去には社長になった人もいます。

トヨタなんて一橋での馬鹿の奥田硯なんてのがかつて社長になりましたからいずれ滅びますよ。呪い。

NECは入社後、配属された先で一生が決まります。本社配属となるのは事務系で経理部と人事部だけ。後は事業部という名の子会社配属です。

事業部配属となった人は、技術屋なら、役員までなりますが、事務系だとよくて部長どまりです。

そして、本社配属でも、成績と総合評価の高いものを優先的に経理部がとり、その他残りが人事部に行きます。

旧民主党が政権を取ったときに、年金しか知らない長妻昭という男が厚労大臣になりましたが、無能ですぐ解任されました。

彼もNECのOBですが、慶応の先輩でも法学部です。Wikiを読むと随分と盛っていますね(笑)

大型コンピューターの営業職と書いてありますが、私が先輩から聞いたのは半導体事業部という子会社の、工場の棚卸担当。

工場の倉庫で「半導体が1個、2個」なんて数える仕事です。有名大学でのやる仕事ではないですね。

でも、同期の東大出でも事業部配属になった人は沢山いました。

将来の無い職場だから、長妻氏は2年も続かずに日経ビジネスという雑誌社に転職します。

1984年前後から大量に中途入社を募集し始めました。当時はチンケな雑誌社でしたが、バブルとともに、雑誌を増やし膨張しましたが

当時は、大規模メーカーで、「将来の無い職場」に配属された人、都市銀行(今のメガバンク)で、入行後2年ぐらいで「無能」の烙印を押された人。

例えば、都心の出世コース支店、丸ノ内線内の支店から「システム部」への異動を命ぜられて将来を絶たれた人の言わば「受け皿会社」でした。

ですから、長妻が大臣になったときは長く持たないだろうなと思いましたがその通りになりました。

しかし、よく成りあがったものです。

 

ついでに面白い話をすると、1980年「何となくクリスタル」という小説で受賞し作家となり、その後長野県知事から衆議院議員になった一橋出身の田中康夫。

私は、彼は「もの書き」としては評価していませんが、政治家としては一定の評価をしています。

何故なら、長野県知事時代に部落解放同盟と対決して抑え込んだからです。勇気があると思います。同じ一橋での石原慎太郎よりはまし。

彼についての逸話。これは、可愛がってくれた一橋出の人事部の先輩から聞いた話です。検証したわけではありません。

 

Wikiにも書いている。

「一橋マーキュリー事件」

サークル「一橋マーキュリー」での横領事件(サークル員全員の合意を取らずに資金を流用してサークル用に神宮前のマンションを借りていた事件)がある。当時田中は日本興業銀行(現みずほ銀行ないしみずほフィナンシャルグループ)から内定を得ていたが、事件を起こしたとして卒業予定日の直前に停学処分を受け留年し、そのあおりで日本興業銀行からもらっていた内定は取り消された。この停学期間を利用して、『なんとなく、クリスタル』は執筆された。

1981年3月、一橋大学法学部卒業。同年4月モービル石油(現:JXTGエネルギー)に入社(なおフジテレビからも内定があった)。横浜市内で新入社員研修を受けるなど当初は作家業との両立を志向していたものの、『なんとなく、クリスタル』がベストセラーとなっていたこともあり、作家業を中心に活動することを決意して3ヶ月で退社する。

 

「ブランド小説」の走りと言われたこの本。100万部売れたそうです。

しかし、小説のネタには慶応の学生の「チャイライ連中」を使って、情報を集めたそうです。

「横領事件」を大学側が知り、田中康夫を退学処分にしようとしましたが、信州大学の教授をしていた父親が、政治家を使ってそれを阻止しました。

憤懣やるかたない大学当局は、田中氏の「通学定期券」の不正請求を見つけて、それを理由に停学処分にしたそうです。

要するに「微罪」で、興銀の内定を取り消しに追い込んだそうです。

 

話は飛びましたが、「防衛庁の不正調達事件」。今の時点では当時のお世話になった上司達が高齢ですが未だ多数健在なのでこれ以上は書けませんが、いずれ機会があれば書きたいと思います。

どういう形式になるかはわかりませんが。

ただ、これだけは言っておきたいのは、あれは防衛庁の指示通りやっただけです。

防衛産業の「調達事業」(武器全般、戦車、戦闘機、護衛艦、ミサイル、潜水艦、レーダー、無線兵器等々)は、国家予算の策定→受注業者の選定→プロジェクト管理→原価管理→納入までどの受注業者も全く同じなんです。

 

受注から完成して納品まで、「箸の上げ下ろし」まで、微に入り細を穿って文句を言われる。

虫の居所の悪いときは、報告書に誤字が一個あっただけでも、「もう一度、やり直して再提出せよ」ですから。

そして、報告書を再作成してFAXしようとしたら「持ってこい」ですからね。

気に食わないことがあれば、製造事業部長を呼びつけて、ほとんど言いがかりに近い詰問。

技術屋上がりの事業部長は、会計学や、原価計算になるとわからないから、本社経理部に電話してきて「SOS」、当時の課長が泡を食ってホワイトボードの行き先に「六本木」と書く。

当時、防衛庁は六本木にありましたから。時代はバブルが始まったころ。

部下たちがからかって「いいですね。六本木ですか?」というと。課長が「馬鹿野郎、ディスコに行くんじゃねえんだよ(怒)」職場中大笑い。

「嫌なことがあっても、少なくとも明日は今日よりもっと良くなる」いい時代でした。

今でも、懐かしく思い出すのは、原田知世ちゃんの主演した映画の「私をスキーに連れてって」です。

あの頃、私も、職場の仲間たちと男女混成で、毎年1月末に、「スキー合宿」に行ってました。

場所はいつも同じ、新潟県の越後湯沢の「石打丸山スキー場」

田中角さんの引いた、上越新幹線で、当時上野駅から、1時間半だったかな。新潟県があんなに近いとは思いませんでした。

ユーミンの主題歌は、今での気分転換にyou tubeで聞いています。

キャストもみんなよかったけど、もう映像で見なくなった人もいますね。

 

脚本かも優秀でした。誰かと大違い(爆)

 

ですから、あの事件でNECグループが狙い撃ちにされたときに、思わず心の中で叫びました。

「岩崎弥太郎重工業は、何故やられないんだ(怒)」と。

住友グループだけやられるなんて不公平じゃないか(怒)

この憤りは未だ、心の中で清算されていません。だから、皇室問題で、偽眞子様の「フェイク婚約者」のキムコムロが、某岩崎財閥のメガバンク勤務だったとか。

Fランク女王の結婚相手の守谷慧氏が岩崎財閥系の海運会社だとやけに胡散臭く思えるのです。

 

NECの経理マン時代、新人の頃から、上司に口やかましく言われたのは、ひたすら「アンテナを高くせよ」でした。

また、「他部署の自分より上役、または先輩からのみに誘われたら絶対に断るな」でした。「どんなつまらない情報でもいいから一つでも多く持ち帰れ。野球部の球拾いに徹するんだ」でした。

私は、酒が強いから平気でしたけど、飲めない人は大変だったと思います。

飲み会に誘われていくと「酒の上で」ということで、面白おかしく、いろんな話を聞かされる。課長クラスだと、上司、部長以上の悪口とか、不正を匂わすもの、不倫の噂などのスキャンダルめいたことも。

虚実取り混ぜて話す人。上司を陥れようとして「タメにする情報」を吹き込もうとする人。人それぞれです。

 

最後は「人を見極めろ」とよく言われました。

この時代、職務を通じて、自分なりの「哲学」を持ったのは「情報は質より量だ」ということです。

最初から「質」に拘れば、ストライクゾーンが狭くなり、実は有効な情報を見逃してしまう。

ノイズ(雑音)と思われるものでも、丹念に、労を惜しまず拾っていけば、後でその中に「キラリ」と光る宝石を見つけることがよくありました。

「膨大な量の情報」でも、真贋を見極める知識と感性があれば「情報戦」を制することができると思います。

NEC時代に学んだことは「情報は「権力」のある所に集まってくる」

ノルマ証券時代に学んだことは「情報は「金」のある所に流れていく。」これについては、また別に機会に話そうと思います。

 

話は、あちこち飛びますが、NEC時代に縁のあった放送衛星BS-3、お客様は、宇宙開発事業団でした。当時はNASDA(ナスダ)と言ってました。

やたらと威張り散らす防衛庁の「背広組」と違って、ここの人たちは本当に頭の良い、ちょっと浮世離れした技術者さんたちでした。

NECを離れた後、「オウム真理教事件」が世の中を騒がすようになり、教団の幹部でスマートで弁の立つディベート巧者の人物がよくテレビに出るようになりました。

 

次号へ続きます。

 

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