無限拡散|井沢満の研究㉟NHK権力抗争

34からの続きです。

《1991年、NHKから「親米派」が粛清され、「親中派」の乗っ取りが完了した》

前の記事で、「NHKのドン、島桂次会長の失脚劇」、島桂次VS野中広務について書きましたが、説明不足で、単に竹下登と金丸信による島に対する「私怨」のような印象を与えましたが本質は、日本の社会に与える影響のもっと甚大な「権力構造の転換」でした。

親米派の巨頭が、島に連なる人脈で、親中派の象徴が、「エビジョンイル」の通称で知られた海老沢勝二です。

 

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海老沢勝二・・・・・Wikiより

来歴・人物

記者時代

早稲田大学高等学院を経て早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1957年にNHK入局。

最初は福岡放送局で記者として修行を積む。東京に移ってからは政治部で記者として勤めた後、管理職として出世した。

1991年に島桂次が会長の座を追われると、専務理事の職を解かれ出向、子会社・NHKエンタープライズ社長に就任。その後NHK本体に復帰し1993年に専務理事に復職、1994年に会長・川口幹夫の下で副会長に就任する。

会長就任

川口の後任として、1997年7月31日から2005年1月25日までの約7年半会長を務めた。この間、1999年にABU会長となり、2002年には「国際エミー賞」の経営者賞を受賞した(理由はハイビジョンの普及など)。また、韓流ドラマの放送に力を入れブームの原動力となった。

2001年 – 2004年までの『NHK紅白歌合戦』の司会陣を会長であった自身の「NHK色を強めたい」との強い意向でNHKアナウンサーで固めさせた。

『NHKニュース10』の開始は、テレビ朝日『ニュースステーション』に対抗する報道番組を作りたいという海老沢の意向が大きいとされる。

在任中、プロ野球・読売ジャイアンツ戦の視聴率低迷で放映を渋り始めた日本テレビに替わって、巨人戦の一定の放送枠を買い取った。契約前、東京ドームのVIP席で讀賣新聞主筆の渡邊恒雄からトップセールスを受ける場面は、日本テレビの巨人戦生放送の合間に紹介された。

NHK不祥事

2004年中に相次いで発覚した一連のNHKの不祥事を巡って、自身が参考人招致された総務委員会の国会中継を生放送でしなかった致命的ミスを下し、その後も最高責任者としてNHKの信頼回復とNHK改革に尽力する旨を表明していたが、2005年1月に会長職を辞任した。

また、この不祥事によって海老沢はNHKで人事権を武器に独裁的な立場にあると批判され、週刊誌などで「エビジョンイル」[注 1] というニックネームを付けられた[4]

この不祥事の影響からかあるラグビーの試合でゲストとして登場すると観客から大ブーイングを浴びた。

辞職から現在

会長辞任翌日に後任者・橋本元一の任命でNHK顧問として再就任したが、世間の猛反発に遭いわずか数日で辞任という事態になった。

 

早稲田高等学院→学部と言うのは、奇しくも「親中派政治家の巨頭」の竹下登と同じですね。

「冬ソナ」で「韓流ブーム」の火付け役となった人です。

★またNHKの職員の給料を倍増させ、「6年間産休で休む」という青山祐子のような不届きな女子アナを生みました。

NHKの権力者の交代は、花形キャスター、花形女子アナの人事にストレートに反映してわかりやすいです。

海老沢の失脚では、寵愛を受けていた、膳場貴子さんが、フリーに転向してTBSで、筑紫哲也の番組に出るようになりました。

有働有美子さんが、アナウンス職のままニューヨーク総局に飛ばされましたね。あれは事実上の左遷です。

代わりに、巨乳しか能のない青山祐子が、肩で風を切って局内を歩き出しました。

 

《歴史から抹殺されたNHKのドン、故島桂次》

1991年の、「竹下派による島追い落とし」が始まったころ、私は既に証券マンでしたが、朝、日経新聞を読みながら、「あの島ゲジが追い詰められている」と驚きました。

私は、島は「終身会長」ぐらいにはなるだろうと思っていましたから。

そして、日を追って島が不利になってくる。島を追い詰めていく、野中広務という政治家は、それまでの私の知識の中にはいない人物でした。

事の経緯をかいつまむと

GNN構想の失敗とNHK会長職の引責辞任

1991年東京都知事選挙公示時に小沢一郎(当時自民党本部幹事長)が現職の鈴木俊一を公認せず、報道局長・NHK特別主幹であった磯村尚徳を公認候補とした。

これに自民党東京都連は反発し、事実上の分裂選挙となった。結果的に鈴木の4選となった選挙結果によって自民党内では確執が生じた。その責任の一端が磯村を引っ張り出した海老沢勝二(島の側近)にあると言われ、影響が島まで及びそうになった結果、島は海老沢の理事職を解任し左遷させた。

1991年4月、島がCNNに刺激され、欧米の放送局と提携したニュース専門局であるGNN(Global News Network)構想を発表。

島は衛星ロケット費用が安いという理由でゼネラル・エレクトリックに委託したが、同年4月18日、フロリダ州ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられたBS-3Hを積んだアトラスIロケットが軌道を離れ、二度目の放送衛星の打ち上げに失敗した。

その後、島は、国会の逓信委員会で打ち上げ失敗の問題を巡って質疑していたが、この時、当時:逓信委員会の委員長であった野中広務は、ロケット打ち上げ失敗時に何をしていたのかと質疑し、島は、「GEで打ち上げのモニターを監視していた」と答弁した。

しかし、朝日新聞の1991年7月2日付朝刊社会面トップにて、「NHK島会長、国会答弁に疑問」という特ダネ記事を掲載され、数日後、東京スポーツが「NHK島会長、愛人と海外出張」と書いたことを契機に、国会での虚偽答弁、経費流用疑惑等々が質疑され、7月に会長職を引責辞任した。

 

この時の「放送衛星」のBS-3というのは、NECが、宇宙開発事業団から受注し、納入したプロジェクトだったんです。

次号へ続きます。

 

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