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井沢満(160)野球のルールを知らない」井沢満は日本人なのか?

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続きです。

《これでもまだ「日本人だ」と強弁するのか(怒)井沢満の驚愕の過去》

我々のチームの人が驚愕の事実を発見してくれました。

https://web.archive.org/web/20190321105455/http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-20376

テレビドラマデータベース  「だから泣き虫甲子園」NHK 1983年6月~同年10月

高校野球部の監督を父に持つ娘は大の野球嫌い。娘の意に反して野球選手が娘に急接近。

「少年ドラマシリーズ」の最終作。

脚本の井沢満は野球のルールを知らないため執筆に苦労したという。

以上

「脚本の井沢満は野球のルールを知らないため執筆に苦労したという。」・・・・これに度肝を抜かれました。いやあ、マジで・・・・

21世紀になって、サッカー人気に押されて、プロ野球の人気はやや下火になりました。

プロスポーツとして、サッカーの人気の方が圧倒的に高い、欧州の国々では「野球なんか、アメリカの植民地のやるスポーツだ」という向きもあるようですが、それは違います。

戦前から、日本ではプロ野球とアマ、中等野球の人気は高かったのです。

理由として考えられるのは、野球のチームプレイの精神が、本来日本人が持っていた「集団主義」に親和性が高かったせいだと思っています。

「犠牲バント」など、自己犠牲の精神は日本人のメンタリティーにぴったりです。

戦前の中等野球は、本土のみならず、日本統治下の」朝鮮半島、台湾、南満州でも広がりました。

 

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全国高校野球;朝鮮、台湾、満州の代表校の全成績

https://web.archive.org/web/20190321113600/https://www.fanxfan.jp/bb/result/48_others.html

大正10年から、戦争で開催されなくなる昭和15年まで、毎年のように、半島、台湾、満州の中等学校(高校)が出場しています。

有名どころでは、

大正10年・・・釜山商業(ちょうせん)ベスト8

大連商業(満州)ベスト4

大正12年・・・徴文高晋(朝鮮)ベスト8

大正13年・・・大連商業(満州)ベスト4

大正14年・・・大連商業(満州)ベスト4

大正15年・・・大連商業(満州)準優勝

昭和4年・・・台北一中(台湾)ベスト4

昭和6年・・・嘉儀農林(台湾)準優勝・・・映画にもなりましたね

昭和9年・・・京城商業(朝鮮)ベスト8

昭和10年・・・・嘉儀農林(台湾)ベスト8

昭和12年・・・・嘉儀中(台湾)ベスト8

好成績を上げた年だけ抜き書きしましたが、大正15年以降、毎年のように本土以外の学校が出場しています。

私は、あまり詳しくありませんが、常連の京城中学や京城商業は、現地の日本人の子弟が多かったようです。

満州南部の学校もそうでしょう。

しかし、映画になって日本と台湾を沸かせた嘉儀農林は、現地日本人、台湾人、台湾原住民の混成チームでした。

徴文高晋(朝鮮)は、全員朝鮮人のメンバーだったそうです。

このように、日本人独特の「集団主義」にマッチした、野球というスポーツは、日本統治下の外地でもいわゆる「皇民化教育=日本的価値観の教育」が広まると同時に、朝鮮人、台湾人、南満州人の間で広まったのです。

昭和30年代生まれの私も、幼稚園から小学校に上がる春休みに、父がバットとグラブを買ってくれて、キャッチボールから教えてくれました。

理由は、男の子なのだから、みんなと同じ遊びができるように、集団の中で「浮かない」ようにという当然の親心でした。

私の小学校時代は「オールウェイズ3丁目の夕陽」という映画そのもので、学校から帰ると、家の玄関にランドセルを放り出して、みんなの待つ近くの公園に、バットとグラブをもって飛び出して、日暮れまで遊ぶという日々でした。

今では、少年の野球人口も減り、子供の頃から、サッカーをやる子供もいるようです。

私たちの頃は、サッカーは学校の校庭でしかやりませんでした。

何故なら、近所の児童公園には、ゴールポストがなかったから。

私の近所の児童公園にやっとサッカーのゴールポストが設置されたのは、小学校を卒業した後でした。

町内会長さんが、アチコチ頭を下げて回り、やっと市内の土建会社の社長さんが寄付してくれたのでした。

その意味で、サッカーが国民的な人気競技として盤石となるのは、漫画「キャプテン翼」の大ヒットと、それにつづく、Jリーグの設立、スター選手三浦カズが登場した以降でしょう。

それまでは、武道は別として、戦前からの子供のスポーツとして野球は欠かせないものでした。

そして、春夏2回行わられる甲子園の全国高校野球。

地元の代表が勝ち進むと、一家で応援したものです。

実際に野球はやらない私の姉だって野球のルールぐらいは知っていました。

スクイズぐらいは知っていましたよ。

日本本土以外の、日本統治下の「皇民」の児童は民族を問わず、当時の国民学校に行っていたら、得意ではなくともルールぐらいは知っていたはずです。

それを知らなかった井沢満はやはり、日本人ではない、戦前から日本にいた在日朝鮮人でもない、台湾人でもない、半島にいた朝鮮人でもない。

つまるところ、「北朝鮮訛り」の朝鮮語はネイティブで、中国語が中途半端な、中国東北部、吉林省、延吉市で、20歳過ぎまで育った中国朝鮮族だと判断するしかないでしょう。

そういう事実を知っていて、脚本家としての能力も資質も皆無な井沢にチャンスを与え続けたNHKの罪は「万死に値する」と言わざるを得ないでしょう(怒)

続きます。

 

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