日本の室町時代の一休さんのケース
「マラリア」で死亡した歴史上の著名人➁一休宗純
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。説話のモデルとしても知られる。
生涯
出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている[1] 。母親の出自は不明だが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存する[2]。
文明13年(1481年)、酬恩庵(京都府京田辺市の薪地区)においてマラリアにより死去。
命式を見て見ましょう。
四柱推命鑑定命式 一休宗純
1394年2月1日~1481年12月12日(87歳)
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 蔵干 | 12運 | 吉凶星 | ||
年柱 | 癸 | 酉 | 辛 | 比肩 | 偏印 | 印綬 | 病 | 隔角 |
月柱 | 乙 | 丑 | 己 | 食神 | 偏官 | 偏印 | 冠帯 | 羊刃、 暗禄、 血刃 |
日柱 | 癸 | 巳 | 丙 | 正財 | 印綬 | 胎 | 天乙貴人 | |
時柱 | 癸 | 丑 | 己 | 比肩 | 偏官 | 偏印 | 冠帯 | 羊刃、 暗禄、 血刃 |
【午未空亡】
宿曜経 房宿
【総合鑑定】
大出世が約束され、その通りになった命式だが、2個の血刃と、「羊刃の冲「ちゅう」」「飛刃の冲「ちゅう」」の凶作用でマラリアに罹患した。
《「三合」が2組、組み込まれた強力な命式》
四柱の地支に、巳―酉―丑の三合金局が2組も組み込まれている。
命式に三合、又は方合が組み込まれた人物は大出世して権勢を誇るケースが多いが、2組も組み込まれていれば歴史に名を残す。
天乙貴人が有ります。
天乙貴人の成立は、条件が厳しくて、「不成立」になるケースが多いのですが一休さんの場合は問題なく成立しています。
月柱と時柱に羊刃が有りますが、各々、同柱に偏官が有るので「大出世」します。
《ネガティブな暗示》
偏印が3個、印綬が2個あるので「印星殺」の成立です。
行運(大運、年運、月運、日運、時運)に印星が巡りくると、運勢が暗転する怖れが有ります。
病気や怪我に縁のある血刃が2個も有ります。
人生ピンチの時に助けてくれる暗禄が2個も有ります。
戦乱や疫病の絶えなかった15世紀に87歳まで生きられたのは暗禄の効果でしょう。
日柱の天干が「癸(水滴)」です。
2月生まれなので、早春で気温も上がり始めて、水滴は蒸発を始めます。
癸は厳寒が旬の季節なので、月令は得ていません。
その意味で命式の構造は強くは有りません。
《高齢者や基礎的疾患をもって長患いしている人は「三合」が成立すると容態が悪化する傾向がある》
亡くなった年は87歳なので大運は
79歳~89歳 丁巳―偏財―胎・・・・・血刃
大運の十二運が胎なので、運気は弱いです。
また、丁巳なので「巳」が、命式の巳―酉―丑に加えて、三合金局を成立させます。
これで、命式と合わせて3組の三合金局が成立しました。
亡くなった1481年12月12日の行運(大運、年運、月運、日運、時運)を見ると
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 吉凶星 | ||
1481年 | 辛 | 丑 | 己 | 偏印 | 偏官 | 三合、 血刃、 羊刃3個、 飛刃3個 |
12月 | 庚 | 子 | 癸 | 印綬 | 比肩 | 飛刃 |
12日 | 癸 | 未 | 己 | 比肩 | 偏官 | 空亡、 羊刃3個、 飛刃3個 |
亡くなった1481年は丑年なので、やはり、巳―酉―丑の三合金局を成立させます。
これで、命式、大運と合わせると、三合金局が4組成立したことになります。
偏印の年運なので「印星殺」の成立です。
マラリアを暗示させる血刃が来ます。
命式、大運と合わせると4個も血刃が巡ってきました。
12月は庚子で「子年」なので、命式中に羊刃の有る柱の地支の丑と「支合」を形成します。
子―丑の支合です。
これを「羊刃の冲「ちゅう」」と言って、災厄に遭う暗示です。
飛刃も巡ってきました。
「飛刃の冲「ちゅう」」と言って思わぬ災厄に遭う怖れが有りました。
12日は癸未の日で、一休さんは午未空亡なので「空亡日」でした。
しかも、命式中で羊刃と同柱の地支の「丑」と未は「冲「ちゅう」」を形成します。
「羊刃の冲「ちゅう」」で災厄に遭いやすい日でした。
不吉の星の羊刃が3個も巡ってきました。
飛刃も3個巡ってきて「飛刃の冲「ちゅう」」で思わぬ災厄に遭う怖れが有りました。
しかし、一休さんが亡くなったほぼ百年後の織田信長は「人生50年」と言っていた時代です。
15世紀後半の87歳は、21世紀の現代では130歳に相当するのではないでしょうか。