1943年の夏以降の戦況を見て見ましょう。
前年の夏から、運気が入ってきます。
1943年
8月
ニューギニア島の戦いで日本軍は敗走を始めます。
11月
タラワ島の日本軍守備隊が玉砕しました。
1944年から、甲申 印綬 で昭和天皇の空亡が始まりました。
6月
マリアナ沖の海戦で連合艦隊は敗北
7月
インパール作戦撤退。これ以降、東南アジアの占領地帯からの撤退が始まります。
7月
サイパン島守備隊が玉砕。
これによって譲れない「絶対国防圏」が崩壊し、日本本土へのB-29による戦略爆撃が日常化します。
サイパン失陥の責任を取って、東条英機大将は総理を辞任します。
1945年は、乙酉で、昭和天皇の2年目の空亡でした。
3月
東京大空襲 神風特攻隊開始
6月
沖縄戦、日本軍全滅。
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ポツダム宣言を受諾して「玉音放送」を出した日の行運(大運、年運、月運、日運、時運)を見て見ましょう。
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 吉凶星 | ||
1945年 | 乙 | 酉 | 辛 | 偏印 | 偏官 | 空亡 血刃2個 天乙貴人 |
8月 | 甲 | 申 | 庚 | 印綬 | 正財 | 空亡 劫殺 |
15日 | 丙 | 辰 | 戊 | 劫財 | 傷官 | 羊刃 |
正午 | 甲 | 午 | 丁 | 印綬 | 比肩 | 羊刃2個 血刃 「囚獄&白虎殺」2組 |
御覧のように、空亡の年、空亡の月での「停戦」でした。
玉音放送が有った正午まで、凶星がずらりと並びます。
しかし、年運には天乙貴人も来ます。
一億総玉砕ではなく、戦後は「軽軍備経済大国」として不死鳥の様に、蘇るチャンスが来ました。
8月15日は、丁度、お盆の最終日です。
昭和天皇は、「停戦」を成し遂げて、運気は、空亡明けの翌年の年運となりました。
ちなみに、停戦の日の昭和天皇は44歳です。
大運は
38歳~48歳 戊子―傷官―絶
けじめをつけられる厳しい10年で、しかも、十二運は最弱の「絶」でした。
歴上の著名人は、大運が「傷官」で十二運が「絶」の10年間の時に命を落とす人を多く見受けますが、
停戦後、昭和天皇はマッカーサーと会見して「全ての責任は私に有る」と毅然と、明言して歴戦の優勝のマッカーサーを感動させ、
マッカーサー以下、イギリスなどの連合国の代表は、極東軍事裁判での「天皇不訴追」を決めました。
日米戦争を含む、大東亜戦争は、アジアの諸国を白人の植民地から、解放するという「大義」が有りました。
戦後は「禁止用語」とされましたが「八紘一宇(はっこういちう)」とういう崇高なスローガンも有りました。
八紘一宇
「天下を一つの家のようにすること」、「全世界を一つの家にすること」を意味する語句であり、
「天皇総帝論」、「唯一の思想的原動力」等ともいう。『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、
全世界を一つの家のようにすると解釈したもの。
世界中の国を「人種」や「肌の色」「宗教」で優劣を付けずに、「一つ屋根の下の家族」のように、
平等な世界を作ろうというスローガンです。
繰り返しますが、大東亜戦争には「大義」が有りましたが、勝敗は「時の運」で「運」が有りませんでした。
大日本帝国は「解体」されましたが、同時に大英帝国も海外の植民地をすべて失って「解体」されました。
植民地を失った、オランダ、フランス、ベルギーも然りです。
終戦間際に「火事場泥棒」の様に、日ソ中立条約を破って、日本に宣戦布告したスターリンのソ連も、東欧と東ドイツを「衛星国(事実上の植民地)」としましたが、ゴルバチョフが出てきて、ソ連は1991年に崩壊して、東欧諸国のみならず、中央アジアのトルコ系の民族自治区も独立して、一回り小さい「敗戦国としてのロシア」が残されました。
アメリカも1975年に、10年以上戦った小国北ベトナムに勝てずに、「建国初の敗戦」を舐めました。
第二次大戦の枢軸国側の指導者のヒトラー、ムッソリーニは非業の死を遂げましたが、昭和天皇は「民主国家日本」の新しい象徴として「戦後の奇跡の復興」と「世界2位の経済大国」となるのを見届けて、87歳で薨去されました。
日本史を眺めると、平安末期に権謀術数を好き放題やった後白河法皇は源頼朝から「天下一の大天狗」と呼ばれましたが、帝国陸海軍に操られながらも、大東亜戦争を戦い抜き、勝てませんでしたけど「アジアの白人植民地」を全て「解放」「独立」させた昭和天皇は、さしずめ、英仏辺りにわせると「世界の大魔神」でしょうか。
《「ポツダム宣言」を受諾した日本は「無条件降伏」したのではない》
良く誤解されますが、「無条件降伏」したのは、大日本帝国の陸海軍であって、日本国では有りません。
その証拠に「国体護持=皇室制度の維持」という条件を連合国に呑ませています。
正確には「条件付き停戦」だと私は理解しています。
以上の様に、昭和天皇の例を挙げて、天皇の「運気」が「国運」を左右する実例を挙げました。
同様に考えると、そもそも「皇室の血」を一滴も引いていない、佐伯徳仁氏や、「家系が三代前まで遡れない」小和田雅子と、既に「別人」が成り代わっている「愛子さん」ら3人については皇祖神も、正式な天皇とその妻、娘とは認めていないようです。
徳仁と雅子の運気と、今の日本の国運は連動していません。天皇として認められていないからでしょう。
ですから「生前退位」した平成上皇の「運気」が空亡になり、祭祀王として祈る天皇が不在であることが、「国運」に悪影響を及ぼしているのです。
誰しも、「空亡の前年のお盆過ぎ」から、翌年、空亡の運気が入り始めます。
平成上皇の「空亡の前年」、2019年の夏以降はどうだったでしょうか。
2019年
9月
台風15号により千葉県を中心に大規模停電などが起こった。
10月
3日に発生した台風19号が関東・甲信越・東北地方を直撃。長野県の千曲川、
福島県の阿武隈川を始めとする河川氾濫や暴風により、死者86名、被害総額3961万円に及ぶ甚大な被害が発生した。
天皇徳仁の即位礼正殿の儀。各国元首、首脳らを招待。
沖縄県那覇市にある世界遺産、首里城が火災により正殿と北殿、南殿が焼失した。
はっきりと、平成上皇の空亡の前の年の「運気」が国民に被害を与えています。
平成上皇が空亡期間中でも、安倍総理や官邸がしっかりしているので、未だ日本は持っているのです。
しかし、今年、まだ半年も経っていませんが、後1年半以上、2022年まで平成上皇の空亡は続くのです。
読者の皆様も、用心して頑張りましょう。
後は、一日も早い「秋篠宮さまの立皇嗣の儀」が恙無く完了し、平成天皇と「その妻」、
「愛子なる正体不明の少女」が臣籍降下する日を待ちましょう。
以上