秋篠宮殿下「立皇嗣の礼」無事完了
昨日「首を長くして」待っていた待望の「秋篠宮殿下の立皇嗣の礼」がやっと無事完了しました。
私の正直な感想と言えば、でれでれ草さんのツィッターの様に「長かったなあ」の一言に着きます。
でれでれ草さんが満を持していたかのように「精緻な検証」をしてくれています。
令和即位の礼|7・立皇嗣の礼
「斯界(しかい;この専門社会)の権威となったでれでれ草検証」をご堪能ください。
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コロナさえ来なかったら、4月頃に行われる予定だった「立皇嗣の礼」、私は政府が本当に挙行してくれるかどうか心配していました。
しかし、平成天皇の「生前退位(譲位)」&佐伯天皇の即位と秋篠宮殿下の「立皇嗣の礼」は、「不可分の行事」でしたから、「立皇嗣の礼」を挙行しなければ
1. 平成天皇の生前譲位
2. 佐伯徳仁氏の即位
は、「法的」にも「皇室制度的」にも完結しないことになります。
ですから、菅義偉国家主席の「真意」がどこに有ろうとも、挙行せざるを得ない行事でした。
未だに「女性天皇」に拘る国内のマスゴミに比べ、海外のメジャーメディアはシンプルながらも真実を普通に伝えています。
立皇嗣の礼、秋篠宮さまの皇位継承順位1位を国内外に宣言
BBC NEWS JAPAN 2020年11月9日
天皇代替わりに伴い文仁親王(秋篠宮、54)が皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)になったことを国内外に示す「立皇嗣(りっこうし)の礼」が8日、皇居で行われた。
(中略)
天皇陛下(徳仁さま、60)は「本日ここに、立皇嗣宣明の儀を行い、皇室典範の定めるところにより文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します」と述べられた。
(中略)
また、宮殿「鳳凰の間」では、天皇陛下が「壺切御剣(つぼきりのぎょけん)」と呼ばれる皇太子の守り刀を、秋篠宮さまに授けた。
壺切御剣(つぼきりのぎょけん)とは・・・・Wikipediaより
(つぼきりのみつるぎ/つぼきりのぎょけん)は、日本の皇太子(東宮)に相伝される太刀。皇室経済法第7条に規定する皇位とともに伝わるべき由緒ある物(いわゆる御由緒物)であり、三種の神器や宮中三殿とともにいわゆる御由緒物の中でも別格の扱いを受けている。「壺切の御剣」「壺切太刀(つぼきりのたち)」とも。
概要
壺切御剣は皇太子に相伝される護り刀で、代々の立太子の際に天皇から授けられてきたものである。その始原は、寛平5年(893年)の敦仁親王(醍醐天皇)の立太子に際し、親王が宇多天皇から剣を賜ったことまで遡る(『西宮記』)。
その後、初代の御剣は平安時代後半の内裏の火災で焼失し、別の剣が充てられた(2代目)。これも承久の乱(1221年)に際し所在を失ったため、寛元元年(1243年)の久仁親王(後深草天皇)立太子に際して3代目が新鋳された。しかし、正嘉2年(1258年)の恒仁親王(亀山天皇)立太子に際して勝光明院の宝蔵から2代目が見つかったため、3代目は廃され2代目が壺切御剣とされた。
日本国憲法施行後における法体制では、皇室経済法第7条に規定する皇位とともに伝わるべき由緒ある物(いわゆる御由緒物)とされており、これにより相続税法第12条第1項第1号の非課税財産とされている。また、御剣は、昭和天皇崩御の際に昭和天皇から明仁親王へ皇位とともに相続されていることから、民法上の所有者は皇位を持つ天皇であり、使用貸借契約に基づき皇太子が占有している状態である。立太子の礼の際の授受は、民法上現物の授受であり、このときに契約の成立要件が満たされる形である。
ここで、重要な専門用語の意味と「歴史的起源」を確認しておきましょう。
東宮とは・・・・Wikipediaより
とうぐう・みこのみや)、あるいは春宮 (しゅんぐう・はるのみや)とは、皇太子の居所、つまり住居する場所を意味し、転じて、皇太子そのものを意味する言葉にもなった。
概要
唐の太宗李世民が皇太子時代に尚書令として、皇帝の居住する大明宮の東で執務したことに由来する。東も春にも五行思想での「若い」という意味があり、春は万物の生長する季節で、また易で東を「震」といい、「震」は長男とされていた
中国初の「世界帝国」の「唐朝」に歴史が遡るのですね。
《日本は「堂々たる世界四大文明」の一つであり、その中の一つ「中華文明」の正統な後継者でもあります》
中国の大学では、歴史学の教授は「盛唐在日本」と教えるそうです。
つまり「「盛唐」=大唐帝国、最盛期の文明は現在の中国大陸には存在せず日本にある」と教えるそうです。
じゃぽにか反応帖
中国人「現在最も恐ろしい国は韓国・ベトナムではなく日本」 中国人「日本人に悪気はない」「中国人の自信のなさの表れ」
中国掲示板, The日本
2020年8月24日
[記事]現在最も恐ろしいのは韓国でもベトナムでもなく日本。日本は潤物細無声に中国文化を侵食している。そして何より恐ろしいのは、中国の発信力のある大物たちが皆「正当な中華文化が現在残るのは日本」と信じてしまっていることだ
広州さん
うちの大学の学長も入学式で開口一番「大唐在日本」と言い出してびっくりしたのを覚えてる [211 Good]
■ 福建さん
ネットで「盛唐在日本」と言っている人がいたけど、その人は京都には唐代の特色を生かした建築がたくさん残っているだけで、真の唐文化が残っているのは西安だと言っていてちょっと安心した [269 Good]
■ 北京さん
唐代建築を見に多くの人が日本に行ってるけど、西安や山西にだって唐代の建築は残っている [38 Good]■ 山東さん
山西には結構残ってるけど西安にはあまり残ってない [13 Good] (訳者注:現在中国に残る唐代の木造建築は4つあり、全て山西省にあります。南禅寺、佛光寺、広仁王廟、天台庵(写真の順)で、南禅寺と佛光寺は「五台山」としてまとめて世界遺産に登録されています)武漢さん
中国が先に築いて日本に伝えた文化を中国は伝承に失敗し、日本は見事に伝承させてしまった。歴史観の混乱は中国人の自国に対する自信のなさの表れ [68 Good]
中国の「易姓革命(えきせいかくめい)とは、新しい「姓」の権力者が王朝を創立し、「前王朝」の築いた文化や文物を全て「破壊」して「更地」にしてしまうことですから、世界帝国だった「唐朝」の「大唐文明」が、遣唐使らによって、日本に伝えられたものしか残っていないのは当然です。