トランプが大騒ぎし続ける「不法移民」の正体は何か?
画像はメキシコ政府の監視をものともせずメキシコに向けてグァテマラ国境を渡河する移民
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181027/k10011688471000.html?utm_int=news_contents_news-main_004
中米からアメリカ目指す集団相次ぐ メキシコは対応に追われる
NHK 2018年10月27日
アメリカへの移住を目指し中米から6000人規模の集団がメキシコを北上する中、これを追いかけるように数百人規模の複数の集団が北に向かって移動していて、メキシコ政府が対応に追われています。
貧困や治安の悪化から逃れるため、今月13日にアメリカを目指し中米のホンジュラスを出発した人たちの集団は徐々に膨れ上がり、現在、およそ6000人がメキシコ南部を北上しています。
地元メディアによりますと、グアテマラ側でも数百人規模の集団が次々とメキシコ国境に向かっているということで、アメリカへの移住を目指す人たちはあとを絶ちません。
アメリカを目指し北に向かう人たちの多くはホンジュラス人です。
背景には、母国、ホンジュラスの貧困と極度の治安の悪化があります。
中米にある人口910万人余りの国、ホンジュラス。
世界銀行によりますと、2016年の時点で国民の60%以上が貧困状態にあるほか、地方では、5人に1人が一日1ドル90セント(日本円でおよそ220円)未満で生活する、極度の貧困状態にあります。
また治安が極端に悪く、日本の外務省によりますと、人口当たりの殺人事件の発生率が世界で最も高い国の1つで、地元の研究機関の統計では1日当たり平均11人が殺害されています。(転載ここまで)
※https://globalnewsview.org/archives/6086
米ソ冷戦の遺産としての不法移民
中米紛争と言う「歴史の復讐」に苦しむアメリカ
画像は中米紛争の地理的相関図
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1988/s63-2-1-2-7.htm
外務省HPより
米ソ冷戦たけなわの1970年代、ソ連は当時「アメリカの裏庭=植民地」と呼ばれた中米の親米軍事独裁政権を転覆させるために各国の左翼ゲリラに軍事、経済支援を強化しました。
これらの軍事支援は地理的に近いキューバや中華人民共和国、北朝鮮まで参加していたと言われます。
その結果1979年にニカラグアでは左翼ゲリラは「サンディニスタ革命」と言われるクーデターに成功してソモサ政権(3代にわたる親米世襲独裁政権)を打倒して社会主義政権が成立しました。
翌年の1980年に大統領に就任したレーガンは「強いアメリカ」を標榜して、ソモサ政権の残党をコントラ(スペイン語で反革命の意味)と言う「親米反政府民兵」として組織化してニカラグアの隣国のホンジュラスににニカラグアの左派政権を攻撃するコントラの軍事拠点を作らせました。
紛争の相関図
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1988/s63-2-1-2-7.htm
外務省HPより
レーガンにニカラグア奪還を決断させたのはベトナム戦争に参戦した時と同じ「ドミノ理論」でした。
アメリカ、レーガン政権の戦略は「対ニカラグア奪還作戦」の軍事拠点はホンジュラスに作り、経済力の弱いエルサルバドルを防衛することにより、「反米親ソ勢力」がグァテマラ以北に浸透することを阻止する事でした。
この時レーガンは演説で「偉大なるアメリカの復活;Make America Great Again」と訴えたので,それが「MAGA」として36年後の2016年の大統領選でドナルド・トランプが模倣しました。
この時、コントラに軍事訓練を施し、武器や軍事資金の供与を行ったのはCIAであり、それを指揮したのがCIA長官からレーガン政権の副大統領に昇格していたパパ・ブッシュでした。ブッシュはコントラを支援する為に中南米の麻薬組織にも協力を求めた為に、交換条件として彼らの求めるアメリカと言う巨大市場での麻薬の密輸を黙認せざるを得ませんでした。
CIAの「コントラ支援」の具体的な作戦計画と指揮を取ったのが悪名高きウィリアム・ケーシーCIA長官でした。
画像はウィリアム・ケーシCIA長官
この時、CIAの分析官たちは①コントラは戦闘能力が低い②ニカラグア国民の支持を得ていないと言う理由で、作戦の実施に強行に反対しましたがケーシーは耳を傾けることなく、コントラの苦戦は続き、最終的には分析官達の予測通りになりました。
この間にもレーガン政権のスキャンダル(イランコントラ事件;イランに武器購入資金を供与していた)が暴かれてアメリカ議会はコントラ支援の為のCIAの予算を大幅カットしました。
工作資金の枯渇に苦しんだレーガンが頼ったのがなんとあの統一教会の教祖の文鮮明でした。
レーガンと朴普煕(パクポヒ;文鮮明の側近)
レーガンと文鮮明の仲は、レーガンが文に「ワシントン・タイムズ」の創設を要請したほどでした。
文鮮明はレーガーンの要請に応じて、コントラ支援の為の工作資金を日本円で35億円も供与しました。もちろんこの35億円の原資は日本の信者を洗脳して霊感商法で獲得した「犯罪収益」だったことは言うまでも有りません。
ちなみにトランプは文鮮明と同じ長老派のキリスト教徒です。
ニカラグアのオルテガ左派政権、コントラ勢力、ともに決定打が出ないまま戦闘はずるずると続き、中央アメリカ5カ国首脳による中米和平協定が1988年に成立して、翌年1989年にはコントラが武装解除し、アメリカのブッシュ政権も「米ソ雪解け」により撤退し、1990年には国際監視団の下で初の民主主義選挙が行われ、10年を超えた「低強度紛争」は結果的には隣国ホンジュラスにアメリカ陸軍、アメリカ空軍、イスラエル軍、アルゼンチン軍までが駐留して事実上の介入をしてもアメリカがニカラグアを奪還できなかったという「第二のベトナム戦争」とも言える当初のCIA分析官達の最悪の予測が的中してしまいました。