【小池百合子の研究PARTⅡ⑦】朝日新聞の社是は小池百合子の学歴詐称の隠蔽

朝日新聞の社是は小池百合子の学歴詐称の隠蔽

 

以下は石井妙子の大著「女帝小池百合子」の記述と7月9日に小池百合子の2度目の刑事告発を済ませた元側近の小島敏郎弁護士の発言からヒントを得て推理したものである。

答えは文庫化された「女帝」の後書きに石井妙子が書いている。

 

伝説の朝日ジャーナル編集長、伊藤正孝

 

画像は数少ない伊藤正孝の写真 出所の東京修猷会とは福岡県立修猷館高校の東京でのOB会

朝日新聞で外報部勤務、特にアフリカ、中東関係が長かった。鹿児島支局時代に細川護熙と同僚(先輩)筑紫哲也の後任の朝日ジャーナル編集長。

 

「小池の呪い」か?早逝した伊藤正孝

伊藤は自分の著書の出版記念パーティーの視界を小池百合子の頼んだりしたが1995年、58歳で癌で早逝した。

安倍晋三同様、小池が伊藤と「自分の宿命を差替えた」かもしれない。折しも当時の小池は厳しい野党生活(新進党後分裂)。

 

伊藤正孝の盟友で刎頚之友に「エロ拓」事、山崎拓自民党元幹事長がいる

伊藤正孝は早大商学部卒業後、高校、大学と7年間同級生だった山崎と共にブリジストンに入社後、何を思ったのか朝日新聞に転職した。

「エロ」が引き合ったのか、はたまた腐れ縁だったのか定かではないが、「自分の踏み台」として利用価値のある男には周囲の目を気にせず

「襲いかかる」のが小池百合子の「習性」なので伊藤正孝と小池百合子が「男女の仲」だったことは想像に難くない。

 

「小池百合子カイロ大卒と言う虚構」のプロデューサー伊藤正孝

 

https://archive.md/tDZhB

 

都民ファや小池シンパによる編集合戦の続く伊藤正孝のWikipedia

 

「伊藤は1980年にカイロ特派員となりこの時小池をアルバイトとして使い、才能を見出して世に送り出した」とあるが先ず時系列が矛盾している。

小池は1976年12月に帰国しており、その後カイロには戻っていない。

1979年4月には評論家竹村健一のアシスタントと言う初めての定職についており6年務めた後テレ東の報道番組職を得ているから今更、カイロでアルバイトする必要はないのだ。

 

1978年2月1日の奇妙な朝日新聞の記事

 

2月1日の夕刊に突然、奇妙な記事が載った。小池のサダトエジプト大統領のジハン夫人のインタビュー記事だ。

会見したのは事実らしいが、この会見に朝日は社として一切関わっていない。

 

朝日新聞記事と言う権威付け

 

真っ赤な嘘を事実認定し権威づける「朝日新聞と言う濾過器」

 

画像は季刊アラブ2022年夏号

 

自民党議員も含めた中東石油利権集団「日本アラブ協会」の機関誌の「季刊アラブ」の掲載記事を写真ごと、まるごと朝日の夕刊記事として転載したものだ。

胡散臭い特殊な利権団体の機関誌の記事など拡散力も無いし世間では誰も信用するはずがない。

しかしこの当時の朝日新聞は慰安婦誤報も吉田調書事件も無く国内では「絶大な権威」があった。

夕刊記事転載の骨を折ったのが伊藤正孝だと思われる。

 

画像は「季刊アラブ」1989年10月の小池の寄稿記事  サークルや同好会の会報レベルだから「言うたもん勝ち」で嘘八百書き放題

尚、赤い囲みは最初からあったもので筆者が付けたものではない

 

「真っ赤な嘘」が朝日新聞に報道され「事実」となり独り歩きしながら肥大化した

 

この時

①芦屋令嬢

②日本人女性初のカイロ大卒

③アラビア語堪能

④社長令嬢と言う「嘘の偶像」

が誕生した。そして2年後の1980年、小池自身が著作でカイロ大卒を「首席卒業」に昇格させ「事実」として40年間語り継がれることになった。

(都議会で追及され小池自身が「首席卒業」を否定)

 

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