皇室|国難としての美智子皇后③
国体破壊に最後の命を燃やす赤い異教徒、転載フリー
2015年4月22日
※正田邸
保守系の月刊誌、週刊誌に間歇泉のように現れては消える【美智子妃いじめ伝説】、暇つぶしに読んでいると、ある変化に気づきました。
それは、少しずつ進化しているのです。時間がたつにつれ、内容が、「いじめ」というより、美智子さんの実態、何故皇族と確執が起こるのかという原因と結果が、おのずとわかるような内容になってきました。
ふと感じたのは「仮にいじめがあったとしても、いじめられる方にも原因があるんじゃないか」という事です。
私が鮮明に覚えている内容は、入内後、何かの集まりで、ある皇族の女性から「お帽子曲がってよ」と直された美智子さんが、きっとなって帽子の向きを元に戻したそうです。それを見た当の女性はきーっとなって「まあ、なんて、可愛げのない人でしょう。もうなんにも教えてあげない」と激怒したそうです。
親切心でしてやった人から見たら、これは明確な侮辱です。殊に高貴な血を保っている皇族の女性にとっては絶対に許すことのできない態度でしょう。
私は美智子さんという女性が一時が万事こうだったのではないかと思います。彼女のご成婚の時、実家を出る時の写真、何度見ても緊張感が感じられません。それに自然な笑顔です。感じるのは「自分に対する絶対的な自信」です。下手な女優顔負けの美貌、聖心女子大首席卒業の頭脳。皇太子を負かすほど強いテニスプレイヤー、幼少の頃から、運動神経抜群だったそうです。
兄と弟は東大出、彼女も受験していたら東大も受かっていたでしょう。
「粉屋」とはいえ、父親は一橋大での言わば、資本家です。
実質的な仲人だった小泉信三は、何を吹き込んで、彼女に結婚を承諾させたか?何を「使命感」として吹き込んだか?
うすうす察しますが、事実を知りたいものです。
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小泉信三とは私の母校慶應の戦前から戦後にかけての塾長でしたが、私が在学中は、もう既に歴史のかなたの人で誰も話題にもしませんでした。一応経済学者ですが、有名な著作も論文もありません。経済学者としては2流だと思います。吉田茂とも親しく、行ってみれば戦前の支配階級の一員と言ったところでしょう。想像するに美智子さんに対して「あなたが、戦後の開かれた皇室を作る先兵となりなさい」とでも言ったのかな。
ご婚約まで最後の段階では正田家はかなり頑なになったそうですから、万能の良家の子女に決断を促すには、「使命感」に語りかけるのが一番だと思います。あくまでも私の想像です。小説のようなものです。しかし、そう外れてはいないと思います。この辺の経緯は、関係者がご成婚後比較的早く次々と亡くなったので、古参の朝日新聞の皇室記者が言っていましたが、メモや記録は少ないそうです。
ただ「軽井沢のテニスコートの恋」というのは、嘘のようですね。黒木というクリスチャンの侍従らが、その後お二人のテニスを十回ほどセッティングし、美智子さんを東京ローンテニスクラブの会員にしてまで、誘ったそうです。
今上陛下にも小泉信三が「帝王学」を講義したそうですが、あの人が帝王学の何を講義したのかクエスチョンですね~
さて入内した美智子さんは、浩宮を出産後、様々な改革らしきものを始めます。
「なるちゃん憲法」とか、マスメディアは喧伝しましたが一体なんだったんでしょうね?さっぱりわかりません。
香淳皇后は最初から美智子さんのことを嫌ってましたから、軋轢は避けようがなかったでしょう。
You tubeに米国訪問後の昭和天皇皇后を羽田に迎えに来た美智子さんを、皇后が無視したと主張する動画が有りますが、「そうじゃない」という人もいます。
有名な「宮中聖書事件」というのもありました。常陸宮がカトリックに傾きかけた。その時美智子さんが聖書を皇居に持ち込んでいたのが、発覚し、昭和天皇が激怒して、美智子さんはひれ伏したそうです。
この事件には諸説ありますが、日本の神道の総本山の皇室に聖書を持ち込むのもどうかな~と思います。私はキリスト教に関心もないし、知識もないので、敬虔なクリスチャンの女性の聖書に対する気持ちは、良くわかりませんが、状況を聞くと如何にもまずかったのではないかと思います。
戦後昭和天皇も、「国民を食わせるために、外国から食料援助をもらうためにカトリックへの改宗を考えたこともあった」そうですが、旧宮家の側近に諭されて止めたそうです。
これは為政者が考えることで、一皇太子妃の考えることではないでしょう。そもそも美智子さんという女性は、神社にお参りしたことがあるのか、正田家という家族が伊勢神宮に関心を示したことがあるのか?
実母の正田富美子が「天皇は偉くない」と娘に教育したぐらいだから、兄や弟もそうだったでしょう。父の正田英三郎もそうだったかもしれない。美智子さんは「聖書事件」を昭和天皇による宗教弾圧として恨みに思ったでしょう。
想像ですが、本当は皇族たちに布教したかったのかもしれません。しかし、昭和天皇が長寿だったためめったなことができなかったのかもしれません。この後、三人の子供ができると、子育てに専念します。
まるで、アメリカファミリーを見るようでした。
④編に移ります。
以上